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カフェラテに溶けていく甘味造形

カフェラテに砂糖が溶けていくのを眺めるのが好きだ.
今日は日常を論うように感覚的になってみる.

ぼくはリッチじゃないのでマクドナルドの150円のカフェラテで楽しんでいる.

お値段から100円のブレンドコーヒーを選びたいものだが,ブレンドコーヒーに溶けていく砂糖の様は素っ気ないので,ぼくはカフェラテをレジで注文する.別にカフェラテが特別に飲みたいわけでもないし,半端なミルク感で気分を悪くすることもあるけれど,それでもカフェラテを眺めるために注文する.50円多くお支払いしてブレンドコーヒーよりもカフェラテを頼んだりする.


なんたってカフェラテの泡に溶けていく砂糖には趣があるから.

カフェラテの泡ぶくが砂糖の微かな重力を感じて抱擁するようにして砂糖を沈めて埋めていく.そのとき,砂糖に重みがあることをカフェラテは視覚的に強調してくるから,ぼくは蟻さんの苦労を知ることができる.巣穴をほじくった幼少期をカフェラテは戒めてくれる.けれども,砂糖は束の間に溶けてなくなってしまう.ぼくの網膜から甘さは消え,視覚的に甘さを感じることができなくなる.

ぼくは徐ろにマドラーを指でつまんで,泡ぶくのカフェラテを搔きまぜる.しばらくマドラーはザラザラとコップの底を這い,指先から伝わる砂糖の造形が甘味をトレースする.触覚に回帰した甘味にぼくは歓喜する.でも,それも束の間に砂糖は溶けていなくなる.マドラーは泡を空ぶるようになり,指先の感覚は遠くなる.

泡のついたマドラーを置いて,ぼくはカフェラテをすする.

前戯を終えた砂糖は造形を失ったかわりに味覚に還元される.二度もぼくの感覚を去り,ようやくひとつの感覚に帰着する.カフェラテはまったく面倒なやつだ.カフェラテはぼくに色々と考えさせてくる.適刺激の変換と交換を.そしてその移ろいによる儚さを.


そんなことを考える昼下がり,微睡む最中に,カフェラテは最後に時間の経過を酸化として酸味でお知らせしてくれる.まったくできたやつだ.



文言/うめの瑳刀
写真/Jr





のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.