つながるまち富岡~「差し出し力」と「やっちゃえ力」の繋がりに学ぶまちづくり~
みなさん、こんにちは。ばいそんです。
今回は「このようなマチの繋がりの中で生きられたら、子どもたちだけではなく、私たちもどんなことができちゃうんだろうか」をテーマに、群馬県冨岡市での出来事をお伝えしていきます!
富岡市へ寄ってみよう
私は以前、一般社団法人富岡市観光協会が主催していたパートナーズカレッジの参加者としてつながり始めました。
これは富岡の人たちが学ぶにあたり、「全国の皆さんと一緒に学べないか」と開いてくださった1か月間のオンライン大学です。詳細は以下のnoteよりご確認ください。
それから3ヶ月が経ち、同じく受講していた仲間と群馬に寄る機会があったとき、その仲間から「ぜひ富岡に寄ってみようよ」とお誘いを受けました。
「ぜひ寄ってみよう!」は良いのですが、宿もごはん屋も全くわからない。と思っていたところ、知らず知らずのうちに宿の手配もしてくださり、なんと休業日であるスナックも開けてくださったのです。
いろんなプレゼントを「差し出し」てくださいました。
そうして夜はみんなでスナック=集会所へ。
そのスナックはスナックではなく、集会所だというのです。
普通のスナックでは接待される側とする側があり、そこには上下の関係性があるように伺えます。
しかし、そのスナックではおもてなしはしてくれますが、上下関係みたいなものは存在していないと私には見えました。
その場はいい関係性が生まれており、そこにいる人々が自分のありたいようにあれる、そんな場でした。
そのような場は、その場にいるみなさんからの「話を聞かせて」という気持ち・雰囲気の「差し出し」や、料理やドリンクなど「ぜひリラックスしていられますように」という「差し出し」など、多くの「差し出す力」によって支えられているように感じられました。
ちなみにこのスナックは「介護スナック」という、デイサービスのようなスナックのような場を設けているようで、そこには活き活きとしたおじいちゃまやおばあちゃまが集まっているそうな。
マイクを決して離さないおじいちゃまもいるとか。
臨時「カメラ部」開催!?
スナックに集まっていたカメラマンの方とお話をしていると、「カメラ部」という集まりを富岡では月に一度程度開いているとのこと。
そこで撮られた写真を見ていると、とても素敵で、ふと「カメラ部体験してみたいな」と口に出てしまいました。
そしたらそのカメラマンの方は「ではこの後、カメラ部やっちゃいますか!」とすぐに「差し出し」てくれたのです。
「え、そんなに簡単にいいんですか?!」と言うと、「せっかく来てくれているのだから、やっちゃいましょう!」とのこと。なんという「差し出し力」。
それから「朝散歩!」というものもあるとのこと。じゃあ「朝散歩×カメラ部」にしちゃおう。
そんな感じに簡単に企画がたっていき、翌朝ほんとに実施されたのです。
「いつもこんな感じでやっちゃうの??」
読んでくださっている方もこのように思うでしょう。
「これが富岡のふだんだよ」
「差し出し力」と「やっちゃえ力」に溢れる富岡
富岡には1泊2日という短い期間でしたが、富岡にあつまる人々の「差し出し力」と「やっちゃえ力」に圧倒される濃密で温かい時間でした。
このまちの「差し出し」と「やっちゃえ」のすごさは、「受け取ること」も「一緒にやること」も強要していないことです。
差し出して断られることもあると思うのです。そんなとき人は少し悲しい気持ちになるものだと私は思います。
でも「断ってもOK」の気持ちで、「目の前の人のために私ができることがあるのなら、ぜひ」と差し出せる姿は学ぶべきだと感じました。
それができるから、「やっちゃおうよ」と誰かを誘い、「一緒に何かできませんか」とお願いしやすいのでしょう。
私にとっては「まちの外から来てくれたから、もてなしたのだ」と言われたとしても、こんなにおもてなししてくれたり、せっかくだし何かやろうよというお誘いをしてくれたりするのは有難いことだと思います。
しかし、それが日常であるということに圧倒されました。
これが富岡のふだん。
「このまちに暮らしちゃったら毎日どうなっちゃうんだろう??!」と考えずにはいられませんでした。
このようなマチの繋がりの中で生きられたら、子どもたちだけではなく、私たちもどんなことができちゃうんだろうか
たとえばこのまちで育つ子どもたちは、どのように育つでしょう。
他の人の顔色をうかがって迷惑をかけないように生きるよりも、お助けしたい時には「あなたのために何かできるのならぜひ」の「差し出し力」があり、自分が困った時には「別にやってくれなくてもいいけど、もしよければ手伝ってくれませんか?」とお願いできちゃうかもしれません。
もしくは、世の中の人ができないと考えていても、「やってみちゃおう」とできるかもしれません。しかもひとりではなく、他の誰かと一緒に。
では我々、大人はどうでしょう。
おそらく全てが楽しく、毎日が笑顔なんてことはないと思います。
でも苦しい時、くじけそうな時、あなたの隣には誰かがいるような気がします。
そして楽しい時だってそう。
あなたの日常にたくさんの人との思い出が増えていき、日々が豊かになるのではないか。
そんな可能性に私はワクワクしています。
おわりに
最後までご覧いただきありがとうございます。
みなさんはどのような可能性を感じましたか。みなさんの暮らすまちではどのような可能性がありますか。
ぜひ「私のまちだって!」というエピソードをお聞かせください。
「こんなまちだったらいいな」の期待もお聞かせください。
そこから始められたら何かが始まりそう。