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元「笑っていいとも!」レギュラータレント、オスマン・サンコンさんに家族についてインタビューしてみた

鹿児島県徳之島にギニアとの友好の証として風力発電のできるオブジェを建てたい!とクラウドファンディングサービスReadyforでのプロジェクトに参加しているオスマン・サンコンさん。いつもテレビで大声で笑っているオスマン・サンコンさんのイメージとは少し印象が違う今回の活動についてオスマン・サンコンさんを取材しました。

オスマンサンコンさんとは?

「1コン!2コン!サンコン!」というキメ台詞でお茶の間を明るくさせていたオスマン・サンコンさんは、1949年ギニア共和国生まれの67歳(2017年1月時点)。

底抜けに明るい性格と一度見たら忘れられない笑顔で「笑っていいとも!」のレギュラーとしてタレント活動を開始しました。

サンコンさん曰く、「47都道府県をまわったけど70%くらいの人が僕のことを知っていてくれた」。

サンコンさんはフランスでは優秀な学生が多いことで知られるソルボンヌ大学に国費留学、1972年にギニア外務省に入省したエリート中のエリート。

そんなサンコンさんが日本でタレント活動を始めたのは、「ギニアのことを日本の人に知ってもらうため」。言葉もよくわからないまま、なんの資料もなく、「笑っていいとも!」のオーディション会場に行ったと言います。

オスマン・サンコンさんの家族

(写真はギニアの一般的な家族の様子。)

サンコンさんの兄弟は22人。小学校の同じクラスのほとんどが兄弟のような状態です。サンコンさんによると「今のギニアでは8人〜10人兄弟が普通。僕が幼い頃は、20人兄弟くらいが普通だった」とのこと。これほどお子さんが多いのは、ギニアがイスラム教圏であり、一夫多妻制度を採用しているからだとか。サンコンさんのおばあさまは3人。大家族の中で育ちました。

お母さんの違う兄弟が自分以外にも21人いれば、大変なこともあったはず。そう思い、子どもの頃の思い出を聞きました。

サンコンさん「海がないのでみんなで川に泳ぎに行ってた。マンゴーやココナッツの木があるので木登りした。兄弟喧嘩しても、すぐ仲良し。おいしそうなマンゴーをとったら分け合う」

ここで、サンコンさんは寂しそうに語りました。

サンコンさん「日本には自然が少ない。今の日本のような人殺しなどなかった。みんなでご飯を食べたらすぐ仲直り」

ご飯を口の周りにつけながら笑い合う兄弟の姿が思い浮かびます。

サンコンさんの最も大事にしていることを教えていただきました。

サンコンさん「分かち合う。譲り合う。許し合う。そして、感謝する。この4つはすごく大切」

今の日本にはそれらが欠如しているとサンコンさんは続けます。

サンコンさん「兄弟、親に感謝するということが当たり前だったのに、日本にないよ」

ギニアでは人は皆、大地の恵みで生きていることがよくわかると言います。

サンコンさん「ギニアではストレスなんて言葉知らなかった。都会は不安だらけ。疲れが溜まっているように感じる」

ギニアには「ストレス」という概念自体が存在しない?そんなことがあるのかと思った筆者でしたが、インタビューを続けるうちにそうかもしれないと思い始めました。

家族と離れ、日本に来てから

そんなに仲の良い家族であれば、日本というよくわからない国でサンコンさんが働くことにどんな反応があったのだろうと思い、ご家族の反応を聞いてみました。

サンコンさん「大丈夫か?苦しくないか?という連絡いつも」

地方に住む親御さんが都会で暮らす子どもを心配するのと同じように、やはりサンコンさんのご兄弟も心配をしていたようです。ここで、気になったのが「苦しくないか?」という言葉。私たち日本人は、この生活が「普通」だと思っているけれど、ギニアの人から見たら「苦しそう」だということ。「大変」という言葉にも様々なグラデーションがあり、「忙しい」「大変」「きつい」「しんどい」「辛い」などありますが、「苦しい」はかなり生命の危機を感じさせる言葉ではないでしょうか。

そんなサンコンさんのご家族とサンコンさんは毎年お墓まいりの時に会ってお互いの安否を確認しているそうです。

サンコンさん「家族は日本に行くことを応援してくれてた」

また、サンコンさんはギニアに仕送りをするとともに文房具を贈っているそうです。2016年には4,500個のランドセルを贈ったそうで、「ランドセルを背負いながらギニアの子どもたちは日本のことを考えている」とのこと。

自分だけお金持ちになっても意味がない

本当は外交官で聡明なサンコンさん。テレビでタレント活動を行うにあたり、自分に向けられる言葉の真の意味をわかっていながら全てを笑顔で返していたようです。テレビ出演をされていた時の心境に迫ってみました。

サンコンさん「テレビに出てよかったと思う。でも何か残るものをしたいと思った。有名になって終わっちゃうのはいやだ。自分だけお金持ちになっても意味がない。日本にもギニアにも何かしたい。子どもが日本に2人、ギニアに3人いる。子どもが将来お父さんがこうしたということを残したい」

自分だけお金持ちになっても意味がない。というフレーズに、幼いころ「美味しいマンゴーはみんなで分け合った」というエピソードが重なります。

大好きなキャッサバ芋

今回、サンコンさんが徳之島とギニアの友好の証として風力発電のできるオブジェを建てたい、というクラウドファンディングのプロジェクトを行なっているのは、何か役に立つもの、そしてお互いの絆を確認できるものを残したいということなのだなと思いながらお話を聞いていました。

サンコンさん「徳之島はギニアに似ている。近所に集まって踊ったりする。楽しいことがあると踊る。何か嬉しいことあったらみんなが外に出てきて楽しく踊る。東京のように知らんぷりしない。いいなーと思ったよ。日本の昔もこんな感じだったのかなと思う」

今回、徳之島に風力発電のできるオブジェを建てて徳之島とギニアの友好の証にしたい、とクラウドファンディングのプロジェクトを立てているサンコンさん。徳之島は、実はサンコンさんの故郷・ギニアに医療援助を行なっている徳洲会病院の会長の故郷でもあるそう。故郷を助けてくれている恩人の故郷を好きになる、というのはとてもシンプルな感情だと思います。

一番感動したのは、ギニアでしか食べられないと思って諦めていたキャッサバ芋が徳之島では食べられるということだそう。

サンコンさん「すごくびっくりしてたくさん食べた」

あの満面の笑顔で幸せそうにキャッサバ芋を頬張るサンコンさんの姿が容易に想像できます。

徳之島で幸せいっぱいな様子でキャッサバ芋を食べていたのが島の人々に印象的だったのか、大使館に戻ってからも、「キャッサバ芋あるから送りましょうか?」と電話をもらい、送ってもらったそう。

ギニアのことを日本に知ってもらったように、徳之島のことをみんなに知ってもらいたい

恩人の故郷で、ギニアにも似ており、キャッサバ芋もたくさんある徳之島。

すっかり虜になったサンコンさんは、2017年1月現在「徳之島に風力発電付オブジェを作り教育・観光資源にしたい」というクラウドファンディングをReadyforにて行なっています。

「自分だけお金持ちになっても意味がない」。

サンコンさんのその言葉には、少年の時に兄弟と笑顔で分け合ったマンゴーの感触が染み込んでいる、そう思いました。

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