飲み会の帰り道は、泣いてしまう
私は下戸だ。でも、飲み会が好きだ。こんなタイトルをつけてるくせして、大前提飲み会が好きなのだ。
居酒屋ならではの味の濃い料理が好き。あれもこれも、好き勝手食べたいものをちょっとずつ食べれるのも好き。ジュースよりちょっとおしゃれでフルーツとか乗ってるノンアルドリンクが好き。
酒の場でのしょうもない冗談が好き。意外な人が思いっきり酒で壊れるのも好き。仕事場よりもよっぽど真面目な説教話だって好き。
でも、飲み会の帰り道は泣いてしまうのだ。
在宅勤務が増えたから、終電前に駅から家までの帰り道を歩くことなんて、飲み会のときくらいになった。
終電近くの静かな住宅街。涙で滲む電灯や月を眺めることばかりになった。
なんで泣いてしまうのか?あんまりよく分かってない。少なくともプラスの感情ではないことは分かる。
「お酒も飲めないんだし、そんななら飲み会に参加しなきゃいいのに」と言われるだろう。
でも参加したいのだ。だって飲み会が好きだし。
そんなモヤモヤのお話を、家に帰ってほろよいを飲みながら書く。マジで本末転倒だと思う。
(ちなみに下戸なのは嘘じゃない。3%までしか飲めない、多分。居酒屋や飲みの場の酒は何%か得体が知れないし、場酔いするから飲んでない。飲んでしまったらシンプルに体調不良になるのでいいことはない。)
モヤモヤするのは今に始まった話ではない。
みんなが盛り上がるスラムダンクの話に一切ついていけなくて非国民だと恥じたこと、
逆に今見てる今期アニメの話を出してみて冷え切った空気に戦慄したこと、
飲みの場で悩みを聞いてくれると聞いて、何を話そうか準備したのに一切話せなかったこと、
誰かの歓迎や送別の会なのに、その人とたくさん話せなかったこと、
飲み会は他部署の人とも交流すべき場なのに、そっちの席に行けなかったこと、
突っ込んだつもりが、人を傷つけてしまったこと、
職場での自分の評価や噂を聞いて落ち込むこと、
飲みの場での熱いアドバイスが、あまりにも正論なこと、
………………ほかにももっとあるのかも。
たくさんの「うまくできなかった」という自省が、帰り道に一気に自分を責め立てる。
「飲み会 頑張れない」とか「飲み会 メンタル崩れる」とかググってみたけど、しっくりくる答えは見つけられなかった。
断り方を探すとか、飲み過ぎて失態を犯さないようにするとか、そういう話じゃあないんだよなぁ。
シンプルに、「飲み会が上手じゃない自分が嫌」。そして「やっぱひとりがサイコーだよね」とか逃げる自分も嫌。
いや、うん、そうなるならお金を払って飲み会に行く意味はないのかも知れないけど、そうやって距離を置くと、もう後戻りできないほどに孤独になる感じがしている。
あ、彼氏との飲みや同期との飲みは好きだ。全ての神経をオフにして空間にまどろんでいられる感じがする。
それは、周りの人が頭を使って話を回したり気を使ったりしてくれているからなんだけど。
結局はそうやって「お客さん」でいられる飲み会がいいってことなのか?本当にわがままで嫌なやつ。それならキャバクラやホストにでも行ってろって思っちゃうよね。
でも事実、「仕事なら」比較的まともに話せたりする。会話に話す意義や事前情報があれば頑張れる。世の中の彼氏以外との会話が全部商談だったらいいのにな、とも思う。
そんなの狂ってるかも知れないし、これを読んだうえで私と会話する人は心底嫌な気分になってしまいそうだけども、「仕事としての私」で武装することによって、相手に迷惑をかけず、私のメンタルが保てるなら、それもそれで正解な気がする。
人生のアドバイザーとして、いつも彼氏に意見を求めがちですか、聞いてみました。
「azumiは飲み会に期待しすぎなんじゃない?」
とのこと。
たしかに。期待しすぎだ。たぶん、そんな高尚な場じゃないし、飲み会で高尚なことを話した人はその話を一切覚えてないこともある。飲み会で失態を犯した人は、その話をそこまで責め立てられていない気もする。
酒によって許される。
じゃあ、酒が飲めない人はどうすればいいのか?みんなにも、自分にも期待せずにこの時間をやりすごせばいいのか?
ああ、なんとなく、酒が飲めない人が飲み会に誘われない理由が分かった気がする。「こいつめんどくさい」ってやつだ。
それでも構わない。それでも私は飲み会が好き。
しかし、無理する必要はないのかもしれない。期待はしすぎないほうがいいのかもしれない。「シラフの方がよっぽど喋れるじゃん!」という感覚も大事にしよう。
いつか、相手の話の内容にも、自分の喋りの能力にも期待しないで、頭を空っぽにして飲み会に参加できるようになったらいいな。
そんな、ほろよいの戯言。
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