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コンビニよりも多い神社の謎② 統一される日本神話

大和朝廷の日本統一と神道の統制

 古代日本は現代のように北海道から沖縄まで行政、教育、インフラが行き届いている統一国家ではありませんでした。
 日本各地に小さな国がいくつも点在している状況で、それらが結びあったり、戦争したりしていました。このようにまとまりがなく、また各小国ごとに自分たちの守り神を祭っているので、数多くの神様が存在する事になりました。

 しかも……
「オレ達の神様が最強だ!」
「いやいや、うちの神様が偉いんだよ!」
「何いってるの? 我が国の神こそが最高神なんだよ!」

 このように自分達の神様がだと思っていたので、最高神が数多くいカオスな状態でした。しかしこの統一性のなさが、数多くの神々が住む日本神道の土台となります。

 三世紀から古墳時代が始まると奈良県を中心に、周囲の国々を従えるほどの力を持った国が現れます。そして大きな一つの国家を作り上げました。この大きな国こそが現代の皇室となる大和朝廷です。

 大和朝廷は大王(おおきみ)と呼ばれる首長を中心に、有力氏族と連合国家を築き日本を統一しました。それと同時に大和朝廷は、自分達が信仰していた天照大御神(あまてらすおおみかみ)を最高神としたと言われています。

 大和朝廷は配下に置いた氏族の神様を否定せず、自由な信仰を認めました。その代わりに最高神は天照大御神であり、他の神々は親戚や家来としたのです。

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 天照大御神は日本神話における最高神とされています。神話上では天皇家の祖先とされ三重県の伊勢神宮を中心に、日本各地の神社で祭られています。

古事記、日本書記の登場

 大和朝廷は自分達が信仰していた天照大御神を唯一神とはせず、他の氏族の神々の存在を認めた事で、日本は多神教の道を辿ってい事になりましたが、問題がありました。

 それは古代日本人は文字を使っていなかったという事です。

 古代エジプトや古代中国では文字を使っていたので、「誰が支配者で、人々はどのような生活をしていたのか?」というのが判明しています。 

 これに対して古代日本では文字を使っていませんでした。なので初期の大和朝廷は記録が残っておらず、誰が立ち上げたのかというのがわかっていません。また神道においても同じで、歴史や神々の系譜が残っていません。

「いやいや古代だから文字がなくても、しかたがないんじゃないの?」
 という声もあるかもしれませんが、大和朝廷が立ち上がった古墳時代は西暦300頃です。つまりイエス・キリストが誕生して300年ほど経過しており、『新約聖書』はこの時すでに成立していました。

 また、これより前の紀元前400頃の古代ギリシャでは、哲学者プラトンが『ソクラテスの弁明』を執筆しています。
 
 さらに前の紀元前3200頃の古代エジプトでは『神聖文字(ヒエログリフ)』と呼ばれる文字が使われていました。

 このように世界レベルで見ると、西暦に入っても文字を使っていなかった日本、はかなり遅れていたと言えます。

 さて文字を使用していない古代日本人が、神道の記録を残す方法は口伝だけでした。まるで伝言ゲームのように、伝承や神話を伝えていたら、どうなったかというと……
「ナゴヤテバサキ名物神が天照大御神の息子なんだよ!!!」
「な、なんだってー!?」

「ヒロシマヤキインザヤキソバ神が、天照大御神を産んだんだ!!!」
「な、なんだってー!?」

「所詮この世は、キリタンポアツアツナベノ神の見ている夢に過ぎないのだ!!!」
「な、なんだってー!」

 例に出てきた神様は私が適当に考えたものです😃 

 しかし文字に残さず口だけで神話を伝えていたら、内容が氏族や地方によってバラバラに伝わってしまったのです。日本は統一できても、神話はまとまりがない状態だったといえます。

 そして飛鳥時代、その時の天皇である天武天皇は、日本に伝わっている歴史や神話がメチャクチャな事を嘆きました。
 そして後世にちゃんとした歴史と神話を残すために、古事記日本書紀を編纂する事を決めるのです。

 さて歴史書を作るためには資料をまとめなければいけないのですが、その方法というのが……
「頭の良さで定評のある稗田阿礼(ひえだのあれい)。ちょっと来て!」
「はい、なんですか?」
「ちゃんとした歴史書を作りたいから、神話と歴史をよーく聞いて、覚えてきてくれる」
「わかりました! 任せておいてください!」


 稗田阿礼という人物、に記憶させるというものだったのです。こうして天武天皇の命令で、日本初の歴史書の編纂がはじまりました。

 編纂の途中で、指揮をとっていた天武天皇が崩御してしまい、編纂が止まる事もありました。
 しかし天武天皇の意思を継いだ元明天皇や、天武天皇の息子である舎人親王(とねりしんのう)のお陰で、古事記と日本書紀の編纂は再開されたのです。

 紆余曲折があったのもも712年に古事記が、そして720年に日本書記がそれぞれ完成したのです。

 この二つの書物により、日本神話は統一されたのです。

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 日本最古の歴史書といわれる『古事記』と『日本書紀』。この両書の内容は大体同じです。しかし古事記は国内向けで、日本書紀は外国向けに書かれており、編纂した人物も違うので微妙に内容が異なります。例えば古事記では大国主神を中心とする出雲神話は細かく書かれているが、日本書紀では大幅に省かれています。
 また古事記は歴史小説のように物語風に進んでいくのに対して、日本書紀は歴史の教科書のように淡々と書かれています。

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