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遠距離介護は突然に。その4

病院に呼ばれ、また埼玉から広島の実家に戻る事になった。
朝一番の新幹線に乗れば、新尾道駅に10時23分着。病院へ直行して11時30分の予約には間に合う筈。
前回は、朝イチ新幹線に乗るのに乗り換えで意外とバタバタして、ギリギリ飛び乗ったら同じホームの反対の名古屋止まりの新幹線に乗ってしまい、慌てて乗り換え直して、何も買う暇がなく、持っていたペットボトルの水で凌ぐという大失態だったので、今回は、一本早いので東京駅に行こうかな?
と思ったら、大宮駅5時50分が始発だった為、それ以上早くはいけない事が分かる。それならばと、鉄オタの方のブログを検索、何号車の何番に乗っておけば東海道新幹線の乗り換えが便利かを調べた。そんなニッチな事も必ず詳しく書いている人が必ずいるものだ。ありがたい。
その通りに乗ったら、非常にスムーズに乗り換えられ、余裕でコーヒーを買って乗り込むことが出来た。前日に買っておいた菓子パンとコーヒーとウォークマンで優雅な新幹線の旅を楽しむ。前回の帰り、Bluetoothイヤホンとスマホを使っていたら、バッテリーが死にそうになったので、今回はウォークマンと有線イヤホンを使用する。旅慣れてきたなぁ。

病院に呼ばれて、絶対に良くない話しに決まっているのに、意外と新幹線の中でも平気である自分に驚く。三十数年前、40代だった母に癌が見つかり、大学生だった私は、毎回泣きながら新幹線で行き来していた事を思い出す。多少の事には動じない立派な大人になったのか、鈍感なおばさんになったのか。まあ、両方だとも思うけど、メソメソしたところでしょうが無い。

そうして病院に着いた。病棟のナースステーションに行くと、診察室の前で待つ様に言われたので待っていると、向こうから車椅子を押されているおじーさんが来て、良くみると父だった。えー、もうリアルおじーちゃんだなぁ。
一緒に中に入り、先生の話しを聞く。
結果は、肝臓癌。胃か大腸からの転移が疑われたが、それは無かった。でも、肝臓癌で手術は不可能、抗がん剤の治療の一択だけど、どうしましょうか?との事。父は、もう治療は無しでと先生に言っていたようで、ご家族の意見を聞きたいとの事だった。
私は何かしらの治療をするのだと思っていたので、一瞬言葉に詰まったが、それも予想していたので、同意した。弟二人には相談せず返事したが、後で聞いたら、それがよかろうとの事だった。抗がん剤治療がしんどい事は母の時に私達はみんな経験済みだった。
すると、もうこの病院ではする事はないので、明日退院という事になった。その後は、また近くの病院で診てもらい、なんらかの症状が現れたら対処する、痛みが出たら緩和ケアをするとの事だった。今まで通り、普通に生活して良いそうだ。ただ、一人暮らしなので、退院後の生活を先生はとても心配されていた。私も心配なんだけど、「色々家族で考えてみます。」というしかない。

父は、一人暮らしの自信がなくなったのか、もう施設に入るという。私は、まだいける!と父を励ます。やってみて、ダメな時は施設にお世話になろう。でも、もうちょっといける、どこも痛くないんだし。

私は訪問ヘルパーの仕事をしており、ひとり暮らしの方も何件か担当しているので、症状がひどくなければ、まだいけるという妙な自信があった。それに加えて遠距離でもある。でも、遠距離介護については以前から想定はしていて、介護作家の工藤広伸さんのvoicyを聞いたり本を読んだりして、工夫すれば意外とやれるかもしれないと思っていた。まあ、大変は大変だけど。

続く