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人間の存在意義を考えない人生を送りたかった

今日、インスタのストーリーにこんなことを投稿した

家族のこと大好きなのに他人に言いたくないんだよな。
豊かな家庭で生まれた人に会うと、
妬ましいところが見つからないくらい良い人たちでそれが余計に刺さる。
自分の狭さを痛感するんだよ。
こんなくすんで世の中を見ている私と違って
キラキラした希望を持ってるんだよ。

子どもを産むことの意味、
人間の存在意義を考えなくて良い人生だったのかな、


それが羨ましいんだよ。

私のインスタ

こんなことを思ったのは彼氏がきっかけだ。
昨日の夜、彼が「明日買い物に行かなくちゃ」と言った。
その流れから、なぜ彼が安いものを買うのか。
新しい服を買わないのか話し始めた。

「親に言えばなんでも買ってくれる。昔はゲームを欲しいといえばすぐに買ってくれた。同級生には自慢になると思ってあまり堂々と言わなかった。
自分は恵まれているから、人より成功しやすい。だから、自分が社会にできることをしたい。」

英語だったからちゃんと受け取れたか分からないがこんなことを言っていた。彼は、ウクライナの難民がドイツへ来たとき自分に何かできないかいつも考えていて、いつも移民の人たちはすごいと褒め、中国の政治体制について意見を持ち、平和な世界に、みんなが幸せになれるように努力すべきだ。
とジャンプの主人公のような、ナルトが言いそうなことを言っていた。

そんな話を聞いている私は、小学生の頃から
「お金がないないないない」と親から言われ、習い事の衣装を買うお金は
自分のお年玉だった。東京の大学に行きたくて、高校生の時はずっとアルバイトをして過ごした。
東京の大学に進学後は貧富の差、教育格差を身をもって痛感し、
姉に泣きながら電話をした。

「こんな貧しいのになぜ3人も子どもを産んだのか分からない。なぜ子どもが大学に行くかもしれないと想定して子どもを作らなかったのか。私は絶対にあんな親にならない。兄が引きこもりになってしまったのも子育てに失敗したからだ。親がどれだけポジティブでも子どもも同じようになるわけじゃない。どんな家庭に生まれたかで人生が決まってしまうなんて本当に悔しい。お金のせいで自分の進路が絶たれるのが悔しい。

私は子どもを作るのは恐ろしいことだと思う。」

こんな感じのことをベッドで仰向けになりながらただただ涙を流し
感情を吐き出した。

家庭の貧しさや引きこもりの兄の存在が私のコンプレックスだと自覚したのはこの頃からだった。

友達に家族のことを聞かれるのが怖かった。
親が大学教授の友人に親の職業を聞かれたくなかった。
父がガソリンスタンドで働いているなんて、恥ずかしくて言えない。
兄は10年くらい引きこもりをしているなんて言えない。
姉は定職についてないなんて言えない。

父はクズだし、兄も自己中だけど
母と姉とは3姉妹のように仲が良く本当に大好きだ。
だけど、家族のことを誇らしいと思えない。恥だと思ってしまう。

機能不全の家族で私は人生の意義について考えざるおえなかった。
兄が死にたい死にたいと言うから、彼を救いたくて彼が突きつける難題に応えるために哲学に深くのめり込むようになった。
希望を持ちたくて哲学にすがっても、ニーチェは人生に意味はないと
言い、ショーペンハウアーは反出生主義を唱え、私はどんどん
生きることに絶望し、環境保護活動家のグレタさんの主張を目にするたびに

滑稽だ。

と思っていた。

そんな私がナルト(彼氏)に出会ってしまった。
社会問題についての議論になると大体私は「諦め」という
ネガティブな結論へ行きつき、
彼はネガティブな世界をどうにかできると真面目に問題解決方法を考えていた。そんな彼は私にとって理想論者であり、脳内お花畑の世間知らずの奴だった。

だけど、
それなのに、彼の意見を聞くたびに

私は泣きそうになってしまった。

おそらく、いつか殺してしまった自分を見たからだろう。

そもそもなぜ私は社会問題にこんなに関心があるのだろうか。
人間社会がどうでもいいと思うのであればなぜここまで固執する必要があるのか。どんな主張を言われても私はノーダメージなはずなのに。

彼の言葉はどんどんどんどん私を追い詰めた。

そして私は自分に声を荒げて、怒りながら、憐れみながら、また泣いた。


彼が私の悲観さを理解してくれないという事実がただただ自分を惨めにさせた。彼の明るさが、私の影をより深くした。

彼の明るいあの思考がナイフのようで目の前から今すぐ消したくて仕方なかった。

彼がテレビを見て笑っているとき、
彼のその笑顔はどの世界を見て得た笑いなんだろうと。
どうしてそんなに笑えるんだろうと。

ただ普通に生きている人間に憎しみを持ってしまった。

そのとき私は自分を殺したくなるほど自分が憎く、
いつからこんな歪んだ人間になってしまったんだろうと恐ろしくなってしまった。彼を嫌いになるくらいなら命を絶ってしまったほうがいいと思えてしまった。彼を否定することはできない。それがわかっていたからこそ
余計に湧き上がる感情が
憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて
今すぐにでもこの胸から取り除きたい。
この汚い憎悪を自分から永遠に取り除きたいと思った。

この感情を取り除かないと私は彼に会うたびに泣いてしまうと思った。
彼を見るたびに自分が惨めに感じると思った。

明日までにどうにかしないと。
彼に会うまでにどうにかしないと。

どうしよう、どうしよう、どうしよう。。。

仕事中そのことで頭がいっぱいで大きな声を出して
どうしようもないこの感情の行先をただただ探した。

そのときサスケを思い出した。
ナルトとサスケ。この二人のことを思い出した。

私はNARUTOの最後、サスケが散々嫌っていたナルトを受け入れたことが
ずっと理解できなかった。

伏線を回収するかのようにあの時に残っていたしこりが、
一瞬で無くなった。

サスケの感情は今の私と全く一緒だと。
私はサスケだと。

彼を見ていると、ナルトという、私が本当になりたかった自分が見えてしまう。ナルトが持っている理想論や綺麗事は昔に捨てたと
蓋を何度もしようとするが
彼は何度も何度も光を放って私の前から消えようとしない。

彼が光を灯すたびに汚い自分が鮮明に見えて辛くなる。

だけど私はサスケというキャラクターを読者という客観的立場で見ていたからこそ自分のことを俯瞰して見ることができた。

それは、


ただ認めればいいと。

理想だの、希望だの、浅はかだの、綺麗事だの、愛だの

そんな子ども騙しのようのことが在りたい本当の自分であったんだと。

大人になると、たくさんの現実を目の当たりにし、あの頃の感情を失う。
大人になってから子どもを見ると微笑ましく思うのは
過去の自分を見ているからだろう。


それなら私は


ずっと子どもでいい

と思った。

ナルトのこの言葉も同じ意味を込めているだろう。
絶望しか見ない人生でそれが大人で賢いというのなら希望を見る子どものままでいたい。希望のない人生で賢くあって何が楽しいんだ。


私はナルトを認めざるを得ない。
認めたい。私の中のナルトの感情を認めてあげたい。

奥に閉じ込めていてごめんねと言ってあげたい。


これでようやく素直に世界を見られるようになった。
人生の意義や子どもを産む理由がないことを言い訳に、
自分の希望を否定して生きることはもうやめる。
意義がなくてもいいんだ。
私に希望があるなら、そのみたい世界を見ればいいんだ。
彼と一緒ならできるかもしれない。

ようやくこの世界で自分が何をしたいのかわかった。

ようやく。


23歳で気付けたのは幸せかもしれない。
似ているようで正反対の彼氏を持ったからこそ
本当の自分を見つけられたんだと思う。

よくネットのネタで使われているけど、彼と私の関係はこれに等しい。



彼には恥ずかしくてこんなキザな文章を見せることは
永遠にないだろうけど。


本当にありがとう。

そして、岸本先生ありがとう。

NARUTOは永遠に私の一番の作品であり続けるだろう。

「私」そのものだから。



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