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できると言ってもできない事実は変わらない

仕事は、成果のために行う。成果の得られない仕事であっても会社のノウハウとして残るのであれば、それもある意味成果として仕事が必要にはなる。しかし、絶対、当然に成果を獲得しなければならない場合もある。
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例えば、ワクチンの冷却。冷蔵庫のコンセント入れ忘れでワクチンが冷えなかった。だから廃棄した又はそれを使用し健康を害した。こんなことは、失敗のノウハウに値しない。
冷却しなければどうなるかは、失敗しなくても明らかでノウハウにさえならないからだ。
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まして、その失敗で人命が奪われるということは、仕事としてあり得ない。人命を守ることが成果となる仕事は、失敗は起こってはいけないのだ。

冷却し忘れるたワクチンを使用した担当者。
銃撃を未然防止できない警察。
ボディーガードできないSP。
沈む遊覧船の運行をしている会社に事業認可した行政。
盛り度を見逃し許可を出した職員。

これは成果が得られる仕事なのだろうか?

本人は、「できる」と言っても能力がない。
組織は、評判や好き嫌いで能力に相応しない役割を与えている。
そして、これで組織がうまく回るなら良い。との考え。

本当にそうゆうもの?
この誤った配置で失われた命は戻らない。

発生防止をする能力もなく、発生防止する組織形態もないところが、
再発防止する能力があるのだろうか?

命の尊さを思うと、能力評価は人間ではなくAIに行ってもらい、AIに配置決定してもらいたい。
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世の中では事故と言われる事件において、犯人逮捕や原因究明で命が返ってくるのなら。戻らない時に無念さが募る。

大事な未来を失ったご本人を思うと、ご都合主義と本人の過大な自己評価で命が奪われるこんな酷いことは、これ以上、絶対に起こって欲しくない。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)