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アクマのハルカ 第5話 悪意の引き受け手として麻莉亜先生が必要だったのよ。

 紗也佳(さやか)の手を掴めず、再び安熊ハルカ(あくま はるか)との対峙となったが、香月麻莉亜(こうつき まりあ)は、今度ばかりは攻めの体勢を崩さない。
 左手にしっかりと銃を握り、撃つ時を狙っていた。

 「ほらみて、紗也佳は居ないけど、一美(かずみ)、双葉(ふたば)…十子(とおこ)……一七(かずな)の17人も新たに戻ってきたわ!麻莉亜先生、すごーい!!」
 言葉では、麻莉亜が多くの生徒の心をハルカから引き離したのは偉業とでも言わんばかりに褒めているが、ハルカは17人の生徒の解放に関心はなく、ただ紗也佳が解放されなかったことを心底喜んでいる様子だった。ハルカの口元から笑みが溢れる。
 「全部で26人。だけど、紗也佳は絶対に戻らないから麻莉亜先生の負けね。」
 赤い雲の隙間から見える教室には、ハルカにとっては数字でしかないこれまで解放されたクラスメイトが26名いた。

 今の麻莉亜は、解放された生徒の人数はそれほど気に留まるものではなかった。それよりも気にかかるのは、紗也佳のハルカに対する気持ちだった。深く傷ついたのではないだろうか。思い計れば切りがない。ただ今は、紗也佳の哀しみに思慮を凝らすより、ハルカと向き合わなければならない。
 麻莉亜は、銃を背中の後ろに隠し、教壇を降りた。そしてハルカの横の席に座る。
………………
 麻莉亜がニッコリ笑うものだから、ハルカは顔を引きつらせた。
 「は?何?」
 ハルカは、肩に付いているベルトというか紐のようなものに触れながら聞く。

 「先週くらいかな?ハルカが『妊娠したけど、流産して良かった、今、産めないし』ってみんなに話していたわよね。」
 麻莉亜はハルカの顔をじっと見つめるが、ハルカからの反応はない。
 「ハルカ自身がみんなに話したにも関わらず、私が暴露したことになっているの。おかしいわ。」
 ハルカは今度は即座に反応した。
 「麻莉亜先生にだけ話すと言ったのに、麻莉亜先生がみんなに暴露したのよ!」

 麻莉亜は驚いた。
 あの日、ハルカが麻莉亜に「麻莉亜先生は親友だから秘密のことを教えてあげる」と言いながら、反面、自らクラスメイトにも暴露していた。だから、親友という言葉は愛情表現ではなく麻莉亜の気を引くためだけに使うのだと、その腹黒さに言葉が出なかったのだ。にもかかわらずその原因となる記憶をハルカはすり替えて自らを被害者にしている。
 「間違えなく、ハルカ自身が暴露しています。」
 麻莉亜はハルカの目をみつめ堂々と淡々と言った。銃を握る手が怒りで汗ばんだのが分かる。
……………
 「私は証拠があるの!」
ハルカは教壇に向かい、教卓の下から録音機を出し麻莉亜に見せた。
 「へへっ。麻莉亜先生の言動は、ぜーんぶみんなで共有してました。」
 ハルカは隠さなければならない事実を、暴露する時を待っていたかのようにご満悦だった。

 麻莉亜は、この時、盗聴されていたことを知った。頭の中は一瞬真っ白になった。
 放課後一人で呟いていたこと、生徒との会話、それらは一瞬の時を繫ぐために存在するのであって、残して検証し、公表するものではない。外観は従順でありながら、内心は嘲笑で溢れている、逃げたくなるような白々しいクラス全体の雰囲気は、この録音も一因だったと気づいた。
 麻莉亜の心の中は整理出来ない感情が渦になった。それはハルカに対してだけではなく、生徒全員に対する憎悪、哀しみ、怒り、遣る瀬無さ、軽蔑、執着心への恐怖、そんなものだった。

 銃で録音機を撃とうかと思ったが、録音内容を聞く必要があったから堪えた。

 「再生しろ」とも「するな」とも言えない麻莉亜に優越感を抱いたのだろう。ハルカは得意げに再生ボタンを押す。
……………
 雑踏の中で聞こえる声はハルカ、えり、真弓(まゆみ)、叶海(かなみ)、奈津美(なつみ)の5人のものだろう。そして教壇にはプリントを数えている麻莉亜の「1、2、……」という声と紙をめくる音がする。
「みんな、私、双子の男の子、妊娠したけど、流産した。今悪阻なくって超楽なんだぁ。今は産めないし良かったぁ。ね、麻莉亜先生。」
 ハルカはみんなに流産の報告をした後、麻莉亜に話を振っている。

 その後、言葉に出さずに「えっ」と息を飲み込むみんなの空気が流れる。それは録音機からも感じられるものだった。その後、
 「あっ、そうみたいね。」
 と感情の入らない麻莉亜の声がした。

 録音機から麻莉亜の声を聞いた後、ハルカは再生を止めた。
………………
 「麻莉亜先生が暴露したはず。」
 録音を聞いてもなおハルカは抵抗した。麻莉亜は、ハルカと話すと話者のすり替えが起こるから口を開くべきか迷った。そのため、暫しの沈黙が流れる。

 その様子が気に入らないハルカが麻莉亜の側に近寄ってきたから、麻莉亜は思わず立ち上がった。そして、
 「奈津美が『性欲強い。』と言ったのもハルカよ。叶海の容姿非難をしたのもハルカ。そうやって話者のすり替えをしているのね。意識的の時も無意識的の時もある。他人の気を引こうと思っているうちにいつの間にかそういう行動をとる人格になったんじゃないかしら?」
 と金髪の長い髪で顔が隠れないように髪を耳にかけ、大きな声でしっかりと目を見て伝えた後、静かに立ち上がり、足を進め麻莉亜は教壇に就いた。

 ハルカは1番前の席から教壇越しに麻莉亜を睨みつける。しかし、何も言えない。
 ハルカは悩んでいた。このままでは麻莉亜を取り込めないところか、取り込んだクラスメイトの解放までましなければならない。ハルカは思考を凝らしたがやはり誰かに麻莉亜と対峙させるしか思い浮かばなかった。
………………
 ハルカが黙っている理由は、何かを考えているからで、今なら言うべきことを言うための時があると把握した麻莉亜は、会話をすることを選んだ。

 「他人に愛されるためには、自分が持っている悪意を他の誰かに擦り付けることで、自分の評価を上げれば良い。そうやってハルカは私を悪意の引き受け手として使ってきたのね。
 そのうちに、物事を都合よく作り変えるようになって、真実が見えなくなったのね。」

 ハルカは腹の底から湧き上がる怒りを堪えるしかなかった。麻莉亜の持っている銃で、今この瞬間に撃たれたら、喰ったクラスメイトの多数を解放されている以上、助かる補償はないと感じていたからだった。

 麻莉亜は、更に続ける。
 「私に悪意を引き受けさせたら、他人の気を引くだけではなく日頃の鬱憤を晴らす場所にも利用できる。
 快感だったかしら?
 貴女は、病気よ。治療を受けたほうが良い。」

 麻莉亜は真剣に伝えた。だからハルカは我慢ならならず、早く麻莉亜を喰いたかった。
 
 そして消去法で真弓を選んだ。
………………
 「麻莉亜先生だけは許さない。絶対に喰う。」
 ハルカの震える声がガランとした教室に響いた。
 「真弓は裏切らないんだから。」

 ハルカの言葉の後、強い風が吹き、麻莉亜は風に乗ってきた赤い雲に攫われた。しかし麻莉亜の心には恐怖も、心配もなくなっていた。叶海、奈津美、紗也佳と向き合ううちに言葉で伝えていくことへの迷いが払拭されたのだった。

 今度は真弓に伝えることが出来るはず。自分の能力を信じよう。そして、きっと紗也佳も分かってくれる。次こそは全員が揃える結果となるように尽くしてみよう。私は呑み込まれないで元の教室に戻るんだ、それにやりたい講義もある。
 真弓と向き合うことへの意を決した。
………………
 麻莉亜の目の前の赤い雲はすっかり晴れて、そこには真弓の姿があった。

(アクマのハルカ 第5話 悪意の引き受け手として麻莉亜先生が必要だったのよ。 了)

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