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ネゴシエーター〜学内トラブル交渉人 第3話 義務教育から才能を守って!

花岡涙(はなおか るい)と入れ違いに、少年の手をひいて入ってきた山中里志(やまなか さとし)警視監は、嬉しさのあまり頬が綻びそうだったから、それを隠すために、
「ロリコンだったのか?」
と勇作に尋ねた。
勇作はまるで親が会いに来た様な感覚となり、照れ隠しのため、
「お孫さんですか?」
とふざけて応えてみた。

それでもお互い、お互いの思いを感じた。
輝咲勇作(きざき ゆうさく)と山中の再会は短いものだったが、その一瞬の間、二人の間には薄紅色の優しい空気が流れた。

そして山中は、業務中の締まった顔に戻る。

「補導回数15回。母親は後からくる。義務教育からこの少年の才能を守ってくれ。」
勇作の返事は聞かずにその言葉と少年を残し、山中は踵を返した。
……………
少年は勝手にソファーに座り、オフィスを見渡す。そしてカレンダーを指した。だから尽かさず勇作は、
「立派なものだろう。」
と少年の背丈まで屈んで言った。写真のような絵画は、細部まで精巧で、色合いも鮮やかなものだったから、倉庫のように必要なものだけで溢れているオフィスに華を添えていた。

「生きている絵じゃない。死んでいる。見えないところに置いてよ。」
そう言って少年は、カレンダーから目を逸らした。

「分かるの?」
勇作は、驚いて声をあげた。
「分からないの?こんな絵、気持ちに残らないよ。温度がないもん。」
少年はAIが描いた宮殿に命を感じなかったのだ。
……………
勇作は、立ち上がりカレンダーを外す。その様子を伺いながら少年は、
「お兄さん、僕、学校辞めたい。先生が絵を取り上げてシュレッダーで粉々にしたの。何度もだよ。」
と言った。
そして、少年が自ら語りだしたところへ、ノックもなしに母親と思しき女性が入ってきた。
「ありがとうございます。申し訳ありません。」
勇作に会釈をして少年の横に座った。だから、勇作も座った。
……………
「輝咲さん、私、外山照彦(とやま てるひこ)の母親です。この子が伸び伸びと自由に絵を描けるように交渉をお願いします。」
頭を下げた後、母親は照彦が描いた絵をカバンから出し、勇作に見せた。

羽を水平よりやや下向きにした絵と、羽を地面と垂直に扇形に広げている絵。一匹のすずめが羽ばたく瞬間を2つの絵として並べて描くことで飛び立ったのだとわかる。美しいタッチは全て一筆書きだった。
なんて温かい絵だろう。すずめの鼓動が聞こえるようだった。勇作が話をすることを忘れて眺めていたから、母親が更に言葉を口にした。

「担任の先生は、照彦が描くと『この子は僕をバカにしてるんですよね?』と怒り始めるんです。絵を描いているのが例え休み時間であっても許してもらえず、直ちに私が呼ばれるのですが、その後が大変で。
放課後、空き教室で1時間半に渡る説教が始まるんです。それも何度も。私も照彦も参ってしまって。」
外山母は、眉間にシワを寄せ、分かってくれますよね?と言わんばかりに思いを込めて話す。
余程、しんどかったのだろう。学校に行かない我が子を叱るわけでもなく、行かないのは当然というような素振りであった。
外山母の体からは、学校から開放されたい思いが溢れ、その思いが空気を薄水色に一変させた。
本当に困っているのだろう。
……………
照彦にとって最善の解決策は何か。勇作は照彦の苦悩レベルを知りたいと思った。だから、
「クラス替えや校長先生へのご相談は?」
と聞いた。担任の交代や学内で解決できるのならそれが良いかもしれないと思ったのだ。

外山母は、間を置かずに話し出す。
「今、3年生ですが5年生まではクラス替えはないんです。校長先生は『我慢して、みんなそうだから』とだけで。何を言っても聞いてもらえないんです。」
担任が変わるまで待てないし、学校は対処仕様がないとのことか、と思った。
日本では例え子供が才能を活かすためでも例外的取り扱いは殆ど認められない。その結果、才能のある子供の多くが消される。
だから、横並びが求められる社会で生き残るためには、要領よく逃げるしかない。例えば、先生の見ているところでは絵を描かない、存在感を消すなど。

ただ照彦は、純粋に絵を描くことを追求しているから存在感を消すには難しい子供だろう。しかし、後者の能力を身につけることは日本で生きていくには必要でもある。ならば、今、その能力を手に入れることが良いかもしれない。
勇作は今の環境から逃れるか、照彦自身を成長させるべきか、迷っていた。だから、正直に聞いた。
「先生のご機嫌を取りながらの2年間は長くて我慢出来ないということですか?」

母親は、口元だけで笑みを作り、首を振った。目は遠くを見ているようだった。
「輝咲さん、照彦が描けるのは今だけかもしれない。その今を大事にしたいんです。
勿論、成功するかどうかは分からない。それでもいつか大人になって、色んな人と出会ったとき、今だけの能力を守ってくれた人がいたなぁって優しい気持ちになって、才能を守りたい思いを違う誰かに与えて欲しいんです。描くことだけですから、彼が持っている大事なものは。息子だからではなく、相手が誰であってもそんな優しさを残したいんです。」
母親は、照彦の絵を見る。飛び立つすずめの姿。

勇作は正解が分からなかった。しかし、長い人生を見るのではなく、今のために生きるのであれば、ここで描ける環境に身を置くのが最善とも思った。
それに外山親子はやるべきことをやってきたのだから、充分だろうとも思った。だから勇作は、
「ご希望は担任との交渉ですか?」
と聞いた。そこに照彦が割って入る。尽かさず、
「僕、絵を描けるならどこの学校でもいい。」
と応えた。照彦は非難に怯えず描きたかったのだ。
…………
照彦が描き続けるためには、どうするべきか。日本の普通の学校で絵を伸び伸びと描くことは難しい。例え休み時間であっても。
放課後、誰にも見つからずに続けるしかない。しかし、この少年は心を隠せない。絵を描きたい思いが溢れている。

転校。涙のときは、高校生で学校選択の余地があったから実現出来た。しかし、照彦はまだ小学生で義務教育の最中である。転校となると勇作は、受け入れ側、即ち、非のない相手と交渉をしなければならない。それは可能なのか?
……………
それでも勇作は、照彦が絵を描ける場所を自分で見つけてもらおうと思った。出来るかどうかはそれからであった。
「絵を描ける学校をピックアップしてください。お勧めは私立か、英語を話せるのならインターナショナルスクール。帰国子女枠となる場合が多いけど、気にしないで。まずは絵を描ける環境かで判断し、要件は交渉で何とかするしかないと思っています。決まったら連絡下さい。」
勇作は、静かに言った。勇作も人に優しさを残したいと思ったのだ。
交渉が出来る出来ないじゃなく、才能を大事にするかしないか。だった。
話しながら胸が一杯になった。

「それじゃあ?」
母親の言葉に、
「連絡お待ちしています。」
と返すことで一杯だった。

これまでは犯罪者相手に交渉をしてきたから、落とし所があった。しかし、今回は悪いところがない相手との交渉になる。交渉ポイントが見つからない。
この時から、勇作の頭の中から照彦が絵を描ける環境にする交渉方法がなくなることはなかった。
……………
数日後、外山親子はインターナショナルスクールのパンフレットを持ってきた。この学校は、義務教育課程が認定される学校でもあった。
(注釈:義務教育課程の認定の有無は、学校によって異なります。)

「なぜここに?」
勇作が照彦に聞く。
「大きな桜の木があって、描きたいと思ったから。」
照彦がその写真を指さした。
この絵を描きたいと言うならば、照彦の心がこの学校以外にブレることはないだろう。あー、決まってしまった。と思い勇作はガッカリした。

仕方ない。次の駒に進めるしかない。いや、前に向かってしまった。勇作は、一歩目の手順を説明する。

「照彦君、すずめの絵、ある?あの絵を学長の桜木七子(さくらぎ ななこ)先生宛に送るんだ。今言った『桜の絵を描きに行かせてください』との言葉を添えてね。他は何も書かなくてよい。」
返事は来るのか。勇作は引き返したくなったが、言ったそばから照彦は手紙を書き出し、前に進んでしまっていた。帰りにポストに入れて行くと二人は手を振って帰って行った。

勇作は両手で顔を覆い、そのままソファーにどっと座った。腰には鉛が付いているかのように重かった。
……………
七子から照彦に電話があったのは翌々日のことだった。外山母のスマートフォンに入った着信を照彦が取った。
「照彦君、まずはお母さんとお話しさせて。」
七子は照彦に回答をしなかった。母親がスマートフォンを受け取る。七子は担当直入に聞いた。
「外山さん、今回、私に絵を送るようにアドバイスしてきたのはどなたですか?」
七子は見透かしていた。母親は『はっ』としたが、嘘も言えず、
「ネゴシエーターの輝咲さん。」
と回答したのだった。正解か間違えか。母親は鼓動が止まらなかった。
「そうですか。では金曜日、その方と一緒に絵を描きにいらっしゃって下さい。」
七子はそう伝え、受話器を置いた。
……………
外山母はすぐに勇作に連絡をした。
話を聞いた勇作は、「失敗でした?ごめんなさい。」と言う母親に、「大丈夫です。」としか言えなかった。

このときはまだ勇作に策はなかった。
ただ思い返せばそれはいつものことだった。
突然起こった犯罪で犯人と交渉する。
違いはといえば、山中がいないことだろう。この不安は、横に支えがいないことかもしれないとも勇作は思った。

勇作はいつも通り出たとこ勝負をする。
………………
「寒いからマフラーをしたほうが良い。」
母親の言葉に目もくれず、照彦は駆け足で校舎に向かう。受付で3人の名前を書いた後、七子のところに行く。
ドアを3回ノックした。

「どうぞ。」
60代と思える女性は小さい身体に神々しい光を纏い、桜のような桃色の雰囲気だった。
一通りの自己紹介を終えた後、七子は外山親子に桜の木の絵を描くことを許可した。照彦は、きちんとお礼を言ってから部屋を出た。

その様子を見計らい、七子は勇作に話し始めた。
「うちは日本人の生徒は帰国子女だけなのよ。ネイティブレベルの英語力が必要ですから。」
七子ははっきりとした口調だが、その内は迷っているようにも感じられた。
「分かっています。でも来ました。」
勇作は一心に七子の心を見つめ、一語一語言葉を選ぶ。ポイントを見逃さないため。

七子が立ち上がり窓から桜の木を眺めたから、勇作は目を閉じて大きく息を吸った。吐くタイミングで、「七子先生」と言おうとしたが、遅かった。

「ところで輝咲さんは、なぜ交渉人に?」
七子が先手を取った。視線は窓の外の桜の木から離さない。勇作は、
「共生のためです。」
頭の回転によって判断したのではなく、心の中から湧き上がってきた言葉だったから答えてから自分の頭に確認した。
「共生?」
七子が振り返る。そして、勇作を見上げた。

「はい。警視庁のネゴシエーターをやっていて気づいたんです。犯罪者にする前に止めたかったと。正しい者が通る世の中ではない。声の大きい人に能力を潰された者は、社会から迫害される。でも僕は、声の大小にかかわらず、誰もが能力を発揮できる、共に生きられるようにできたらなぁって思うんです。そうなるように言葉で頼みたい。」
勇作は七子の目をしっかりと見つめた。
「頼みます。照彦君をこの学校で学ばせてあげてください。ここは彼が選んだ場所なんです。」
勇作は深々と頭を下げた。取り引き材料はないから、それしか出来なかった。

七子には返す言葉がなかった。





「私たちも桜の木を見に行きましょう。」
七子は勇作に退出を要求した。
……………
照彦は桜の木に抱きついたり、画用紙に描こうとしたり右往左往していた。
「何しているの?」
七子が照彦に聞く。小さな七子よりも小さい照彦が七子を見上げて聞いた。
「七子先生、桜の木の温度を描くにはどうしたら良いですか?」
七子は驚いた。そんな言葉、聞いたことがなかったのだ。
「温度?」
七子は思わず照彦の両肩に手を置いて聞いた。
「うん、桜の木、凄く温かいの。外はこんなに寒いのに温かい。それを描きたいんだ。」
そう言って照彦はまた木に抱きつく。

七子はこれは一大事だ、今を逃してはならないと思った。ここの桜の木は毎日色も温度も変わる。そして人間の心も毎日変わるから、照彦の心も変わる。だから大きな声で伝えた。

「外山さん、職員室に行って、直美先生を呼んできて!」
母親は立ち上がり、言われるがまま急いだ。
……………
息を切らしながら到着した直美は、体中に画材を貼り付けてきた。そして、照彦の絵を見て、照彦には珍しいアイテムを出す。
「私なら色鉛筆や鉛筆じゃなく、温度はこっちで描くわよ。」
直美は照彦にクレパスとパステル絵の具を見せた。
「うわぁー。」
照彦がはじめて笑った。
「すっごいや!」

直美も笑顔になる。
「クレパスは油っぽい。色が薄めだけど伸びやかに引けるのよ。メーカーによって少し違うけどね。最後にパステル絵の具を使うの。風で散っていくから手で抑える。膨らまないように上手く押さえてね。」

直美も木の幹を描き始めた。茶色じゃない。桜の花びらでふんわり温かいグレーとピンク。一筆ごとに照彦は、「魔法みたい」と声上げる。

勇作は少し離れたところに立っていた。その横に七子が来る。
「楽しみね、これからの輝咲さんも照彦君も。」
そう言って、照彦の方に向かった。勇作は頭ではよく分からなかったが、涙が溢れた。
照彦が道を拓くことができたこと、山中がいたことの有り難さ、1人の窮屈さ、七子への感謝、そしてそれ以上のもの、すなわち、勇作が勇作自身の居場所に辿り着いた思い。
これから共生という道が太い幹として、沢山の花を咲かせていくだろう。
気持ちが全て涙に変わった。


「照彦君、直美先生、これこらよろしくね。」
七子は校舎に戻って行った。

母親は腰を抜かし、両膝を地面につけて深々と頭を下げ七子が見えなくなっても「ありがとうございます。」を繰り返していた。
……………
満開の桜が舞い散る。
良かった。この道を選んで良かった。
これからの交渉は頼むだけのこともあるだろう。どこに行き着くか分からない。しかし、1人ずつ居場所を捕まえて行って欲しい。
暴力でも、お金でも、権力でもなく、言葉で伝えて道を拓いて欲しい。
自分も一緒に歩くから。

柔らかな春の日だった。それは山中と出会った日のようだった。

だからあの日に戻る。

(ネゴシエーター~学内トラブル交渉人
   第3話 義務教育から才能を守って! 了)

こちらのマガジンに全編まとめています。


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