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一緒に作るから、料理は楽しい

いもの中にえんどう豆を入れて包む俵型のコロッケは、ハンバーグの様に大きくて、黒いプレートの上にびっちりと並ぶ。

プレートにコロッケを乗せる毎に右手の手のひらに載せたプレートがどんどん重くなっていく。手首がしびれ、ひっくり返ってしまいそうになる。当時、小4の私はプレートが「重い」とは知らず、とんでもない持ち方をしてしまった。
しかし、「コロッケだけは守らねば」と無言で耐えた。

出来上がったコロッケは、温かくて、一気に10個も食べた。
私はそんな毎日が当たり前だと思っていた。
…………………
家族が亡くなって、住む家がなくなって、私を住まわせてくれた祖母がうちの料理係りだった。

毎朝出てくるお味噌汁はそれまでと違い、海産物ではなく、カボチャなどの野菜が入っていた。
私のお椀にはカボチャがいっぱいで、祖母のお椀には汁がいっぱい入っていた。

二人で留守番することが多かったから、二人でキッチンに並ぶことも多かった。私は見ているだけだが、カレーや鰻、お味噌汁が出来上がるのが楽しかった。

横で一緒にいるのが楽しかったから、料理が楽しいと思った。
だから、友達を呼んで友達と料理をすることにした。
…………………
双子の友達は、双子ともうちに来た。料理を始める準備は順調だったが、料理開始と同時に双子のバトルが始まる。
「包丁で自殺する」
「皮むき器ないの、あり得ない?」
「何このヘラ!貧乏なの?」

大事なキッチンが散らかされ、大切な食材がボロボロになり、出来た料理は真っ黒で、涙すら出ないほど、楽しくなかった。

料理が楽しいのは、祖母と一緒だったからだったのだ。
…………………
いつも料理を楽しませてくれてありがとうと思っていたのに、
中学に入った頃には、私はそのご飯を食べなくなった。「りりいちゃんのご飯はお茶碗にちょっとだけか。」との言葉の意味を分かったのはようやく最近。
喧嘩して、大切な食器まで壊してしまったこともあった。

一緒に料理をしているときは、なんの気無しで作業していたのに、見えないところで私のことを「不憫だ」と泣いていたのを知ったのは、居なくなった後だった。

きっと、一緒の時間をすごく大切にしてくれていたから、料理が楽しかったんだね。

私は、時間が有限なことも、楽しいと思えた理由も知らなかった。無知なる自分がただただ無念。
……………………
料理をする家族の後ろ姿が、
料理をする祖母に似てきた。
だから思い出すのかもしれない。

はたまた、元カレが、りりいちゃんはおばあちゃん子と口走ったから、甦ったのかもしれない。

あの頃の毎日。

料理が全て楽しいわけではない。
どんなことがあっても元気に学校に行けるように、後ろで泣きながら、それを見せずに、一緒にいてくれていた人と作った料理だからこそ楽しかったんだね。

ありがとう。ごめんね。またいつか。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)