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人を知るって長く向き合い続けてこその到着点。知らないから知りたいって気持ちで向き合いたい。

「あー知ってる、知ってる、○大学にいたりりいちゃんでしょ。」
話したこともない、顔も見たことのない人に街中で名前を呼ばれる。「貴方は誰?」私は知らないのに、私のことを知り合いと呼ぶ人には、警戒心と恐怖心しかない。

大学も大学院も男女比8対2若しくは9対1程度のところにいたせいもあり、私は目立ってきてしまった。いつの間にか上級生、下級生ともに私を知り合いという人が増えていく。
恐らく彼らが知っているというのは、根拠のない噂に基づく空想の私だろう。何を言われているか分からないから、怖いと思ってしまう。
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そもそも「人を知っている」という状態は、一方的に有り得るのだろうか。

仲良しの人は、私を「友達」とも「知り合い」とも言わない。二人の関係性も含めて「りりいちゃん」らしい。
その人達は交流が15年経った今でも「私を知らない」「分からない」だから、「知ろう」と「分かろう」として対話をしてくれる。
小さいことでも疑問は聞いてくれる。
例えば「りりいちゃんは、どうしてそう思うの?」という感じで確認をしてくれ、知っていると思い込み決めつけるということは今までない。 

きっと「自分を知る」ということはあっても、「他人を知る」ということはないのだろう。なぜなら、相手が持っている概念全てを自分が持っているなんてことはない。とすれば知っているのは、重複する僅かな部分だけなのだから。

まして一方的に私の顔と噂を認識しているから、「知っている」なんてことはない。
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道端ですれ違い、私を「知っている」と声をかけてきた彼らは、私が男好きで下ネタ好きと作り上げた虚像として話しかける。そしてスカートを引っ張ったり、腕組をする。
ボディータッチが嫌いな私がこれを拒絶すると、急に怒り狂う。彼らは噂の私とリアルの私が違うと、自らを被害者扱いするのだ。
私にとって彼らは狂気の沙汰だが、彼らにとって彼らはあくまでも被害者。なぜならプライドを毀損されたから。

生まれ育った街で一方的に「知っている」と話しかけられ、ボディータッチされることは、三十代になった今でもある。それも恐らく法曹の仕事をしている可能性の高い人々にだ。
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彼らの言う「知っている」は、噂と顔を認識しただけであって、本来の私個人を知っているのではないだろう。
人を知るとは、長く向き合って到達する可能性があるところで、一方的に知っているなんてことはありないのだから。

他人が見て噂した個人は、本人にとっての虚像。その虚像を私として接することは、許していない行為を許されているものと思い込んでの行動で、私には狂気の沙汰だよ。

噂で認識した人物と、実際の人物は齟齬がある。空想とリアルは違うのだから。
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貴方は一体、私の何を知っているの?

知っているより、知らないから向き合っていこうとしないと、自分が痛い目に遭うよ。対話の要らない空想や噂との付き合いと、対話で成り立つ人との付き合いは別物なのだから。

一体誰がどんな噂を流しているか分からないけど、脳内フレンドにされて街中で話しかけられるのは、恐ろしい。

私以外の人に対しても「その人知っている。」と話す人は警戒している。考えを深めると知り合いなんて、そんなにいない。ともすれば、自称知り合いはただの脳内フレンドの可能性があるのだから、私は人を自分の目で判断したい。
虚像を実像にしたリスクは自分に返ってくるから、洗脳には乗らない。
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皆様✨今日もご閲覧いただきありがとうございます。

今年、一番読んでいただいた記事は、「誰もが活躍できる組織を次世代に贈りたい」でした。

理不尽な出来事を声に出さず抱えているとずっと悩んでしまうよ。だから向き合ってみてね!例え解決に至らなくても心のしこりはなくなるし、向き合った道は次世代への足跡になるから。
という思いで書きました✨
ご閲覧くださった皆様、ありがとうございます。


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