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喧嘩にも仲直りにも正論はいらない

(2022.7.25)
どっちが「ごめんね」をいうか。正論を主張し合い、くだらない優越的地位の取り合い。面倒になり謝れば更につけ込む相手。喧嘩にも仲直りにも「自分が正しい」っていう論理はいらないのに。

喧嘩は、違う価値観を認め合うことであり、論破しようとする時点で仲良しは終わってしまう。
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大事なのは、
「自分言い過ぎたかな?」
「相手、傷ついたかな?」
「ちゃんと話ししたいよ」
そんな思いやり。
正論での仲直りなんて無理なこと。

しかし、昔の自分は大きな勘違いをしていた。
行かない約束の飲み会に行ったのだから怒って当然、
ドタキャンされたのだから責めていい。
今思うと、失いたいの?と思ってしまう。
「仲良しでいたいから、ドタキャンしないでね。」
飲み会は、お好きにどうぞ。
言うこともやることも、理想の関係から引き離すものだった。
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例え不倫されても、浮気されても、
「行かないで」という飲み会に行っても
相手を正論で責め続けたら、不倫されたあげく、相手は冷める。

仲直りしたいときには、責めるくらいなら黙っておく方が上手くいくのだ。

パートナーであれ、友人であれ、同僚であれ、違う概念を持つ者同士の大事な相手になら、
正論をぶつけるのではなく仲直りするための思いやりが必要なのだろう。
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そうとも知らず、私は「みんなが」「普通は」「証拠は」と連呼した。
あの時と思ってもせっかく築いた優しい雰囲気はなかなか取り戻せない。笑顔の会話の後ろには、非情な喧嘩の残像が残っていた。


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