西岡ができなかったことを小川はやろうと決意する。
西岡は、最後の法隆寺大工だが、小川はどこの寺社に所属しているわけではない。日本全国、どこの寺社に関わってもいい、食える宮大工にしよう、と鵤工舎という徒弟制度を立ち上げる。
大工が木の癖を見抜いて適材適所に使うように、師匠も弟子の癖を見抜いて、それぞれのいいところを伸ばしていく。師匠は小川一人ではない。いろいろな段階のいろいろな先輩が自分の前にいる。
仕事は給料をもらって当たり前だと考えていたが、小さな会社で考えてみると、お金は、仕事ができる人が働いたものだという考えが最もだ。
20代の時に、そういう考えの謙虚さを手に入れたかったと思う。20代であったときの、自分の使えなさを思い出しても、よくわかる。
小川が鵤工舎を作ったことによって、常岡から引き継いだ宮大工の仕事は未来に引き継がれていく。その組織を作った小川の功績はとても大きい。
サラメシを見ていたら、宮大工のサラメシ、というので、まさか、鵤工舎か?と思って見ていたら、白髪になった小川棟梁がニコニコしながら、一緒にご飯を食べていた。
このタイミングで、現在の彼を見れたことが嬉しい。