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開会宣言

働くことは生きることだと思う。

就職活動を経て一つの企業から内定をもらった。
地元では一番いきたいと思っていた会社。
第一志望だった東京の大手は全部落ちたけど、地元のために、地域のために活動してきた学生生活の集大成のような就職先で、私にとても合っている企業だと感じている。

一方で「終活」するか迷っている自分にも出会った。
終活とは就職活動を終えることを指す。

私はこの内定をもらった企業がやっていることが自分が学生生活において勝手にやってきたことにとても近く、そして個人ではできないことができることに魅力を感じている。
この企業は私の人生の延長線に間違いなくある。

では何が私を迷わせたか。それは年収だった。
自分が一番したくなかったはずの悩み方だった。

どれだけ稼ぐかではなく、何をするか。
この「わたし」が「わたし」として生き、活動する価値がある仕事がしたい。

そう思っていたはずなのに。

私は心から好きな人の数がそう多くはないから、好きになったらその人の言葉を生まれたての鳥のように盲信してしまうところがある。

最近交流のある、年収1000万越えの、ちょっと前まで1500万円もらっていたおじさんが「稼ぐために働いているのに年収それだけしかもらえないんだったら働く意味わからないじゃん」と言っていた。
そうなのか、と思った。

その後、私のインスタのおすすめ欄には節約や貯金、積み立てNISAのまとめアカウントの投稿が目立つようになっていった。
生きていくには、子供を持つには、家を買うには、親孝行をするにはお金がいる。私が欲しいと思っている年収は地方の広告代理店でもらえる金額ではない。

どうしよう。


今日、知り合いのツテを辿って私が内定した企業で働く人と繋いでもらった。
その人は転職を考え、転職活動もしているらしい。
どんな仕事ができるのか、どんな働き方になるのか、なぜ転職したいのか。
年収や副業の可否、いろんなことを聞いた。

彼がしきりに繰り返していたのは「やりたいことは声に出せばできる」ということ。

私はきっとやりたいことしかできない。どんな企業に入ってもそこが合わなければ辞めてしまうだろう。

であれば。
そうであるならば、会社の信頼とお金と技術を使って自分のしたいことができるのであれば、それは年収どころではないお金と機会をいただいていることと一緒なのではないか。

自分1人では用意できなかったお金やフィールドが、その会社にはある。納得してもらえれば自分のやりたいことが存分にできるではないか。

未来が明るくなった気がした。
この会社を使ってやろう、そう思えた。


私は就活を始めて、どう生きるかを放棄していたことに気がついた。
稼ぐとは、就職するとは、どうしても企業のために自分を殺すことのように感じてしまっていた。でも、そうじゃない。
自分の人生の舵を手放さない、その重要性を感じ声に出してきた5年間だったじゃないか。
まだ私の人生は終わっていない。

人生の舵を手放さない。
これは私の開会宣言である。



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