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私は最強(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その26)

アインシュタインの娘、リーゼルは、父親からもらった1,400通の手紙を、ヘブライ大学に寄付している。その中でかの有名な「愛」について娘に宛てた手紙がある。その手紙には、愛こそが科学が見落としてきた、宇宙最大の力である、愛のために私たちは生き、死ぬ、ということが書かれている。もし私たちが種の存続を望むなら、もし私たちが生きる意味を見出すのなら、もし私たちが地球とそこに存在する者を救いたいのなら、愛こそが唯一の答えである、と。また、我々は自分の中に小さな、しかし強力な愛の発電機を持ち、そのエネルギーは解放されるのを待っている、ともある。私は、今、この文章を通じて、私の中にある、その強力な愛の発電機のエネルギーを解放しようと思う。私が持ち得る、地球とそこにある者たちへの最大の愛で、この文章を書いていこうと思う。私が障害を経験し、そしてそれを克服した経験を、障害に関わる全ての人に、私が大好きな「書く」ということでシェアする。それは私が今できる、最大の地球への愛の贈り物である。


 私は、幼少期から多感な子どもだった。感受性が豊かだと言われることが多かった。繊細さのせいもあったのか、幼稚園時代から寂しさや孤独感を感じることも度々あった。大人のような切ない感情もわかっていて、昭和の歌謡曲が好きな子どもだった。それでも小学校時代や中学校時代は大好きなロックバンドであるTHE YELLOW MONKEYに夢中になりながら、楽しい思いもして生活をしていた。しかし、中学生から高校生になる境目辺りで、精神的な不調を感じ始めていた。中学校時代に仲の良かった友人と仲違いをしたのがきっかけだったと、今振り返る。思考回路がまとまらず、ぐるぐると何度も何度も同じ思考を繰り返すことが増えた。以後、高校時代はそのぐるぐる思考や、睡眠障害、気分の激しい浮き沈みに悩まされ、高校卒業後、大学受験のため予備校に通っていた頃に「統合失調症」と診断された。診断されてからまもなく、3ヶ月の精神科病棟での入院を経験した。18歳から20代前半は、陰性症状のせいか、心身ともに、望むようには動けなかった。振袖を着ておしゃれして行きたいと夢見ていた成人式には出席できなかったし、大学も第一志望には入学できなかった。若い時代の夢や希望のかけらが、するすると指と指の間からこぼれ落ちていくようだった。それでも、退院してから数ヶ月間、家にいる間に、気持ちがだんだんと落ち着き、親元から離れて大学生活を送ることを決め、上京した。大学時代は不安定な気分の波をサーフィンするかのごとく、波に乗れるようごまかしごまかし生活をしていた。人と接する時も、不安定な気分や体調をごまかしながら接するのが辛かった。26歳頃、故郷に帰り、通院していた精神科のデイケアに二年間通った後、故郷で就職、結婚、出産をした。令和二年に採用試験を受け、現在は市職員として勤務して三年目である。20代後半から現在の39歳までは、困ることや悩むことが全くなくなったわけではないが、安定して、日常生活を送っている。外来の通院を続け、寝る前に一錠、薬を服用している。ぐるぐる思考や睡眠障害、気分の激しい波もなく、以前よりずっと楽である。就学前の娘の子育ても、周りの協力を得ながら、何とかできている。


私が現在、大きく体調を崩すこともなく、家事、育児、仕事をして日常生活を送れているのには、秘訣がある。その秘訣を、私オリジナルの「十七条の憲法」として、シェアしよう。あくまでも私の場合の秘訣ではあるが、きっと誰かの元気の源になると願って、お伝えしようと思う。


1.早寝早起きをベースにした、規則正しい生活習慣は、精神状態を安定させるので、なるべく生活リズムを崩さないようにする。

2.嫌なことや落ち込むようなことがあったり、調子の悪さを感じたら、エプソムソルトを入れた風呂に入り、たっぷり睡眠を取る。疲れてる夜に、悶々と考え込むと、余計なことまで考えてしまうので、さっさと風呂入って寝る!!

3.どんなに忙しくても、一人の時間を持ち、物事や気持ちを整理する。私の場合は、休日の朝に娘が起きる前に早起きをして、そのような時間を設けている。

4.YouTubeでカードリーディングを見たり、本を読んだり、自分にとって励みとなる言葉を第三者の言葉から見出す。

5.大好きな音楽と共に生活する。私は必ず音楽をかけて運転をしている。音楽で心を揺り動かす。

6.少数でもいいから、職場で話せる人を作る。何かあった時、その物事の関係者じゃなくてもいいので、話せる人に話すようにする。

7.人間関係は量より質。この人は確実に味方であり、仲間であるという人が少数でもいればいい。

8.何か打ちひしがれるようなことがあっても、「悲劇のヒロイン」を演じない。悲しいドラマの主人公、という自分に浸らないようにする。自分を被害者に仕立てない。

9.自分を表現できることを見つけ、表現する。私の場合は、こうして文章を書くことであったり、ファッション、美容を楽しむこと、SNSに文章や写真を載せることが自己表現である。

10.どんな時も、自分が自分の一番の味方でいる。労いの言葉、優しい言葉を自分にかけ、心身共に大事に扱うよう心がける。

11.豊かさにフォーカスする。物事の豊かな側面に焦点を当てられるよう、心がける。

12.喜びや楽しさ等、ポジティブなことも豊かさではあるが、哀しみや寂しさや怒り等、ネガティブなことも豊かさの一部だと思う。どんな感情も受け入れて、豊かに感情を味わう。ネガティブな感情が出ても、それを嫌わず、豊かさのスパイスとして素直に受け止める。感情を跳ね除けず、落ち着くまで充分感じ尽くす。感情は逃げると追ってくるから。

13.何かうまくいかなくても、不謹慎なんて思わず、面白がって見れるよう、心がける。

14.けして諦めない。どんなにくじけても、いつかは必ず立ち上がり、前進する。

15.自分はかけがえのない、ユニークな存在であることを、誇りにする。変わり者でもかまわない。そんな自分を生涯をかけて、自分が一番愛する。

16.人から非難されても、嫌われても、自分がしたことは、相手にとっては大したことであったとしても、よく俯瞰して見ると、そんな大したことじゃないことも多い。それを忘れない。障害を持つと、自分が何もかも悪いと考えがちになるので、注意する。

17.自分の中に湧き上がる愛のエネルギーで、何か少しでも地球に貢献する人生を歩む。


具体的な行動だけでなく、心持ちも入った十七条である。この十七条は、私が長年、精神障害者をやってきて、ようやく築き上げ、培った信条である。(随時更新中です!)その信条を、私はとても大切にして、日々を送っている。発症した当初は、とてもじゃないが、そんな信条を持てるほどのゆとりはなかった。ただ気分の波に翻弄され、考える余裕もなかった。ずっと布団にくるまり、泣き続けたこともある。家族に当たったこともある。抗いようのない、病気という運命の下で、自分の思うようには動けない心身を、恨んだこともある。しかし、薄皮が一皮一皮剥がれ落ちるように、状況は刻々と変化していった。それを信じ、耐え、自分にできることを少しずつやってきた中で、創り上げてきたのが、この十七条の憲法である。二年間のデイケアを卒業し、働き始めてからは、自分の「仕事」「役目」ということも本格的に考えるようになった。自分のこの繊細な感性や鋭いセンス、障害と付き合ってきた経験も、何かの役に立てないか、と考えるようになった。それが十七条の中に溢れている。「自分ができることでいいから、何かしたい」というエネルギーを忘れないでいたい。この文章を書き、シェアすることも、きっと誰かに有益な情報になることを、願っている。


障害者をめぐる事件は、後を経たないが、その中でも2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件と、2019年に起きた京都ALS患者嘱託殺人事件は、私の胸をえぐるほど衝撃を与え、そして突き動かした。こんなこと、あってはならない。優生思想の中、障害者が劣等者のように扱われるような、生きづらい世の中を変えたい。障害者を不幸にする考え方を変えたい。地球上の、障害者に対する意識を変えたい。人間にとって「障害」とは何か。「障害者」にとって、それは本当に「障害」だろうか。社会が、人間が、「障害」にしてるのではなかろうか…もっともっと深く考えていきたい。それを、文章で表現したい。第55回NHK障害福祉賞の文章を書くきっかけとなった。2020年に優秀賞を受賞させていただき、オンラインで授賞式に参加させていただいてからは、特に関連した活動はなく、淡々と日常を過ごしていた。しかし、2023年2月に、NHK厚生文化事業団からご依頼を受け、NHKハートフォーラムにオンラインで登壇した。その機会に改めて自身を振り返るとともに、また私の中で、自身の考えや思いを書きたいという気持ちがむくむくと湧いてきた。

↑第55回NHK障害福祉賞優秀賞を受賞した作品

↑2023年2月NHKハートフォーラムにオンラインで登壇
スマホで参加するの草🌱

私にとって書くこととは、浄化することであり、誰かにギフトを届けることである。どろどろの思いや数々の失敗に翻弄された自身の経験も、書くことで、原稿にぶつけることで、爆発が起き、爆発したそれがきらきらとオーロラの星の粉のようになり、世界に降り注がれる。そして、その星の粉は、それを必要としている誰かにきっと届く。そういうイメージで、私は書くという行為をしている。小学生の頃から文章を書くことや、朗読することが好きだった。「言葉」の持つパワーが大好きだ。5歳の娘に絵本を読む時も、絵本の作者が放とうとしてる言葉の魅力を感じ、それが娘に届くように、心を込めて読んでいる。NHK障害福祉賞に出会い、文章を書くうちに、私は、言葉を綴ることの大切さ、言葉を届けることの大切さを実感した。正直に言うと、受賞した作品「扉の向こう側で」では、まだまだ格好つける姿勢があり、自分を「全出し」できたかと言うと、自信はない。それでも、あの当時、書けるだけのことは書いたつもりだ。何より、書いているうちに、私は誰かを、そして自分自身を奮い立たせ、勇気づけ、立ち上がらせたいのだと、その一心で書きたいのだ、とわかった。自分にとって手応えのある文章が書けたときはいつもそうであるが、何かマジックを使えたような気分になった。世界を変えるマジックを。誰かの未来を変えるマジックを。あの当時、精神的にも経済的にも自立することが目標だと書いた。それは何とか達成しつつある。そんな中、更なる夢が生まれた。いや、幼い頃からの夢を思い出した。人を癒し、励まし、絶望した人をも前を向き、立ち上がらせることのできるような力強い文章や詩(詞)を書く「言葉の表現家」でありたい、と。優秀賞をいただいたときも、「力強い文章だ」と評してくださる審査員がいらっしゃった。そう、私の言葉は、私の大柄な体型のごとく、力強くて「ごんぶと」(笑)だと自らも感じる。必要な誰かに届けることができるよう、多くの人に読んでもらえるよう、これからもたくさんたくさん、何らかの形で、出し惜しみしないで文章や言葉を書き続けていきたい。不幸だった体験も、きっと誰かの役に立ち、その人が立ち上がるきっかけとなるのだと信じて。それが私が障害者という経験を通して、自分の中に生まれた一つの大切な答えである。


約三年間のコロナ生活。見えないコロナウイルスに翻弄されている世の中を、私は、実体のない、ぼんやりとした幻影を追いかけているように見ていた。見えない、実体のないものに大騒ぎしている自分たちを、いつしか不思議そうに、おかしそうに、傍観するようになっていった。と同時に、今までもずっといろいろな物事に対して、人類はそうだったのではないかと感じている。精神障害に対しても、だ。精神障害という、実体のないものに、大騒ぎしている。確かに実際に症状があったり、それに伴う生活のし辛さ、理解してもらうことの難しさ等、現実の厳しさは存在した。医学はそれを精神障害と名付けるだろう。しかし、私の中で、それは本当に障害なのだろうか。いや、違う。私の中で、それは障害ではない。その症状や、個性は、ただ、私であることの証である。私が生きている中で、私が起こす反応である。私がただそこにいるだけである。そこに本当は正しいも間違いもない。既存の世の中では、症状が出れば、とても生きづらく、不便である。コロナウイルスのように浮遊してるらしき、見えない「基準」「常識」というものが邪魔をして、それに当てはまることができず、もがき苦しむ。そんな幻影のようなものに、あなたは適さないからと跳ね除けられ、つまみ出されている。「精神障害」と名付けられた、見えないウイルス、マジョリティの「基準」「常識」という、見えないウイルス。どれも実体のない見えないウイルスに、18歳の頃から、右往左往してきた。コロナウイルスの蔓延は、私に、今までの考え方をひっくり返すような、人間がレッテルを貼っているものの「危うさ」を垣間見せた。お偉いさんが、生真面目に「そうです。確かにそこにあります。」と主張したとしても、にわかに信じることのできないような感覚を私に与えた。自分が自分で本当に感じるもの。本当に信じられるもの。誰がどう言おうと自分がそう思うもの。それだけが全てだと。2022年10月。家族や職場に伝え、私は11年間所持していた「精神障害者保健福祉手帳」を返還した。わずかな不調や、生きづらい現実は、まだそこに残骸として残っている。医学的には、もしくは何らかの基準的には、まだ「障害者」なのかもしれない。しかし、私は、名付けられることと、そこに自分を当てはめることをやめた。これは、あくまでも私のケースである。「精神障害者保健福祉手帳」を所持することが、必要な場合もあるだろう。医学的に病名を診断された方がいい場合もあるだろう。あくまで、これは私の人生の中で、私が選択した道である。あなたはあなたの道を、あなたはあなたの感覚で本当に信じられる選択をして欲しい。


マジョリティが有利な世の中で、マイノリティが生きづらいことは身に染みている。人として優れているとか劣っているとか、測る人々が今でも大勢いることは否めない。自分だって、ある時はマジョリティの中に入り、何を勘違いしているのか威張って、ある時はマイノリティとなって身を小さくしている。身体障害、精神障害、知的障害、発達障害…障害者と言っても、多岐に渡り、私の発することは、全ての障害者に腑に落ちるようなことではないかもしれない。それでも今こそ障害を持ち、生きる人に伝えたいメッセージがある。


どうかどうか、諦めないで欲しい。生きるのを止めないで欲しい。あなたが気づいていなくとも、あなたをちゃんと見ている存在は、必ず、必ずそこにいる。あなたが気づいていなくとも、あなたの存在が、誰かの励みになり、希望になり、元気になり、豊かさになっている。自分には障害がないから優生だと、優劣で測って生きている人たちの餌食にならないでください。そんな人たちにけして負けないでください。そんな偽りの基準にあてはまらなくても、ちっともかまわないのです。ただ生きていて欲しい。希望を持って欲しい。好きなものを好きと言って、ただ楽しく生きることを考えて、あなたとしてそこにいてください。


このメッセージは、自分にも伝えているのかもしれない。自分に伝えるのと同時に、あなたにも伝えたい。障害者として生きてきた20年間。生きづらく苦しいことはたくさん、たくさんあった。けれど、希望はそこかしこに転がっていた。優しくしてくれる人々。支えになってくれる人々。嬉しい出来事。楽しい出来事。好きなもの。リラックスできること。生きていてよかった、と思える瞬間は、確かにあった。地球に生まれてきて、よかった、と。きっと私たちは、そんな歓びのために、生きている。人より勝るためや優れるためなんかに生きていない。地球で優劣だと見なされてることは、宇宙から見れば、人間が勝手にしている「どんぐりの背比べ」に過ぎない。生きるのを諦めないで進めば、明日は穏やかで美しい空が広がっていることもある。それをどうか、けして、忘れないでください。


2022年から2023年にかけての年末年始からこの文章を書いており、現在テレビでよく流れている歌を自身に重ね合わせている。 Mrs. GREEN APPLEの「私は最強」。以下、部分的に抜粋する。


さぁ、怖くはない

不安はない

私の夢は みんなの願い

歌唄えば ココロ晴れる

大丈夫よ 私は最強


見たことない 新しい景色

絶対に観れるの

なぜならば

生きてるんだ今日も


さぁ、握る手と手

ヒカリの方へ

みんなの夢は 私の幸せ

あぁ、きっとどこにもない アナタしか持ってない

その温もりで 私は最強



みんなの夢は 私の願い

きっとどこにもない アナタしか持ってない

その弱さが 照らすの


最愛の日々

忘れぬ誓い

いつかの夢が 私の心臓

何度でも 何度でも 言うわ

「私は最強」

「アナタと最強」

自分は、とても脆くて弱い人間だと、18歳の発症した頃は、思っていた。20代の頃は、どの職場でも必ず人間関係に悩み、器用に人と付き合えない自分、いい塩梅にできない自分がもどかしかった。今でもそういう面があるので、困ることもある。オリジナルの十七条の憲法を掲げていても、落ち込んだり、体調を崩す夜もある。けれど人は、その人にとっての「障害」を持つことで、より「自分」というものが浮き彫りになるのだ、と考えている。幸せで満ち足りた状態ばかりであったら、けして気づかない「自分」の姿が浮かび上がるのだ、と。その自分の姿とは、器用な人、常識的な人のようにできず、「ダメ」と言われ続け、ずたずたにされ、自己卑下に沈んで動けなくなってしまったとしても、それでもまだ自分を表現することを諦め切ることができなくて、少しずつ立ち上がっていく、その生き様である。それでも生きていたいのだ、と、私は私として生きていたいのだ、と、訴え続ける私の魂の躍動。打ちひしがれてもそれでもやってこれたのは、その魂の叫びに気づいているからである。「何を言われたって、どう評価されたって、自分は自分が好きである。」「自分を本当の意味で、幸せにしてあげたい。」その本心に、気づいているからである。その魂、本心という北極星が照らす光を頼りに、時にはおそるおそる、時にはずんずんと進んで行ったのが、この障害者としての20年間であった。あんなに弱々しかった自分が、今では最強だと言える。鍛え上げてきた忍耐力とスルー力と耐性と、そしてユーモアと笑いと!ああ、やっぱり「最強」なんて訂正……と、時に落ち込んだり、体調を崩すことがあっても、次の日にはまた立ち上がって、明日に向かっている。


障害を経験し、そしていつかそれを何らかの形で乗り越えていくであろうあなたも、きっと最強である。弱さも痛みも、強さに変えることが、あなたにはできるはずである。私には私の乗り越え方や答えがあり、あなたにはあなたの乗り越え方や答えがある。しかし、私の言葉のほんの一部でも、あなたの役に立てば、私は幸せだ。私はそのような言葉を書くために、生まれてきたのだから。アインシュタインが、娘のおかげでそれに気づいたという「愛」がそこには、ある。私の20年間という膨大な時間は、けしてけして、無駄にはなっていない。

あなたも最強であること、
どうか忘れないでね


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