人との繋がりと自己を表立って発揮できる場所(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その28)
最近、やるべき仕事が自分には荷が重いものが多々あり、精神的に休める暇がないまま、黙々と働き続けている。ひいては一人娘の小学校入学も着々と近づいており、今から少しずつ準備をしている。忙しいのはありがたいことなのだが、仕事に追われる夢を何度も見ては冷や汗をかいて目覚めることがある。私は今でも薬を処方してもらい生活しているというのに、こんな追い詰められるようなストレスフルな生活をしていていいのだろうか。そんな余裕のない生活の中でnoteやblogを書いても、不快に思われる愚痴のようなものしか書けないのではないか、としばしお休みしていたのだが、どこか隙間時間のタイミングで、少しずつ書き進めてみようと再び思い立った。それは私の思考を整理するためであったり、束の間の休息のためであったりするのだけど、もし読んでくださる人がいて、共鳴できることがあるのなら本望だ。これからもマイペースな更新であるが、よろしくお付き合い願いたい。
2023年の私は、主に二つのテーマを考えることが多かった。
一つ目は、「人と繋がれる人ってどんな人だろう。」「人が寄ってくる人ってどんな人だろう。」ということだ。今年は大きなイベントがあったり、他課のお手伝いに行かざるを得ない事態があったりして、他課の人と働く機会が数回あった。普段は肩を並べて働いているわけではない人たちと一緒にいることが新鮮で、話せるのが楽しかった。また、娘のこども園の行事にも、娘にとって園での最後の年、ということで手伝いに行くことにした。違う学年の子がいるママさんと一緒に作業をするのが、最初は緊張したけれど、話していくうちに楽しくなってきた。新しい人と一緒に働く機会が多い年だった。そうした中で、新しい人と接触することは嬉しく、良い刺激になるので、これからも新しい繋がりを持っていきたいと願う自分、前々からいろいろな人と繋がりを持っていた方が、新しい人と接する時にも心強いと感じる自分がいた。
SNS時代の昨今、いいね!の数やフォロワーの数、登録者数などが重要視されるシーンもある。今年はプロ野球の大谷選手や将棋の藤井聡太竜王が大注目を浴びていた。華々しいスポーツ界や芸能界だけではなく、私の働く公務の場だって、たくさんの人と繋がり、大モテの人もいれば、あまり繋がりがなく乏しい人もいる。例えばママ友の世界だって、親の会などを経験して繋がりが豊富、ママ同士で盛り上がって楽しそうな人もいれば、その反対の人もいる。今までの私は、後者の方の、繋がりが乏しいタイプだった。確かに人間関係が豊富な人は楽しそうだ。人が様々なことを運んできてくれてチャンスも多いかもしれない。羨ましく感じることもある。自分もそうなれたら…と思うこともある。どうすればもっと人と、どちらかの片思いではなく、お互い必要な存在として繋がれるのだろうか。娘のこども園の園児たちを見ていると、小さい頃からポーっとして、何も計算することを知らないうちの娘のような子もいれば、世渡り上手で、人気者や器用な子とすぐさま関係を結び、回転の速い頭を生かしてサッサッサーッと上手に生きていきそうな子も見かける。幼稚園時代から人間関係形成のタイプはできてくるのか。しかし、私は娘に人生の早々からそんな計算高いタイプになることを望みやしない。娘のペースで繋がっていけばいいと思っている。私も、よく考えればやみくもにどんな人とも繋がりたいわけではない。繋がれれば繋がれるほどいいと思っているわけでもない。私にとって人との繋がりとは、ゆっくり長年をかけて希少なコレクションを集めていく作業に似ているのかもしれない。量より質なのだ。「この人は‼️」という人は逃さないようにしている。時にそれは見当違いのこともあるのだけど。きっとご縁があると思える人たちとの繋がりを、少しずつ希少なジュエリーを集めていくかのように形成し、育んでいくのが、大人になった私にとっての繋がり方だ。これからも「この人は‼️」という人とは少しずつでも繋がっていきたい。数多くなくてもいいのだ。そして、できればどちらかの片思いではなく、お互いが必要とする存在になっていきたいのだ。そうなっていくためには、どうすればよいのか。どういう自分であればよいのか。2023年はそれを考える機会が多かった。
二つ目は、「公務員の仕事だけではない、自分を明らかに表現できる場、自己を表立って発揮できる場」が必要だということを、考える機会が多かった。
私は地方公務員として勤務して、4月から4年目に入る。臨時職員、会計年度任用職員の時期も入れると、10年以上は公務の場で働いている。地方公務員として働くことは、私にとっては働きやすい。性に合うこともあれば合わないこともあるけれど、公務以外の経験もしたことがあるからこそ、私にとっては出来うる限りのベストな選択だったと思っている。しかし、それは「適職」としてのベストな選択だ。
人には「適職」と「天職」の両輪があると、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんはおっしゃっている。適職は生計を立てるための職業で、自分にできること。天職は魂が喜ぶための職業で、営利目的ではないこと。それが混在してしまうと両輪が狂うことになる。公務をして10年以上になる今、私にとって公務員の仕事は「適職」、言葉を書き、伝えることが「天職」だと捉えるようになっていった。「天職」の分野をもっと広げていきたい。2023年は、8月6日にnoteを初めて開設した、記念すべき年となった。さらに今年は二つの文学賞に応募したり、noteでも企業協賛のコンテストに応募したが、どれも作品は選ばれなかった。私は少し「適職」と「天職」をごっちゃにしていたのかもしれない。自分の魂の喜びである書くという「天職」で、もっと評価を得たいとか賞金を得たいとか固執し過ぎていたのかもしれない。この私のnoteだって、自分自身のために開設して書き続けているのであり、本来であれば誰の役に立つものでも有益なものでも何でもない。しかし、読んでる方が自分自身と照らし合わせて、自分の課題に向き合うためのヒントとして読んでくださるからこそ成り立っている。人は、「私の言葉」を読みながらにして「自分の言葉」を読んでいるのだ。だからと言って、人に読まれていることを意識し過ぎると、書けなくなる。苦しくなる。人のスキの数の算段をし過ぎると、自分らしく書けなくなる。私にできることは、結果や評価や報酬を手放し、自分の魂が喜ぶことだけを頼りに、書いていく、ただそれだけのシンプルなことだと、note初年度はまさしくその姿勢にたどり着いた。
今年は、高校時代の国語の恩師のお宅にも遊びに行かせていただいた。教員時代から執筆活動をされている方だ。終活を始めたから、と、たくさんの『小説の書き方』の本を譲ってくださった。先生お手製の干し柿もたくさん持たせてくださった。干し柿をちびちび齧りながら、小説の勉強を始めた。いただいた本の要所をまとめたノートを見せに、また元気なお姿を見に行ける来年にしたい。
2023年に必要だと痛感した、「お互いが必要とする人との繋がり」と「自己を表立って発揮できる場所」。30代前半までは病気の自分を立て直し、生計を立てることに人生の大半を費やしてきた。それが叶った40手前のこれからは、この二つをテーマに探究していく人生でありたい。よく考えると、それは病気になる以前からずっと求めていたことだ。それが病気を経て、それどころではなくなってしまっていたが、これからは、それを迷わずに求めていける。3月で40歳になる。しかし、まだ新鮮な心地だ。自分にはまだまだ新しい扉が、開かれてない扉がある。病気を経験し、結婚や子育てを経験し、仕事を経験し、40になる今だからこそ持っている鍵🗝️がある。アリナミンのお世話になりながら、干し柿を齧りながら、温湿布を貼りながら、渋めなスタートだ。しかし、いつかまろやかに甘く実ることを祈って、青い果樹を一本一本植えようとしている、2023年の年末である。
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