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母からの自立、そして新たな関係性〜どうやって精神的安定を得たか④(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その20)

下記の記事は、私が初めて二桁のスキをいただけて、予想していた以上に多くの方に読んでいただいた記事である。☟

このことから、統合失調症あるいは他の精神的な症状で苦しむ要因に、「母親」がある・あった方は、私だけではないんだなーと、納得していた。

今回は「母からの自立、そして新たな関係性」と題して、書いていこうと思う。

私にとっても、母親はなかなか越えられない壁だった。しかし、40に差し掛かり、自分が母親となった今、母親に対する見方は、ガラッと変わった。

結論から言うと、母親が原因の精神的な苦しみから抜けるには、母親から経済的・精神的に「自立」=「卒業」するしか、私には手段がなかった。と言っても、私が本当に経済的・精神的に自立できたのは、30代半ばからのことだった。長い長い道のりだった。

卒業すると言っても、学校を卒業するのと同じで、卒業後も同窓会を開いたりするように、新たな関係性で母親との付き合いはある。だけど、依存度が全然違う。母親なしでは全く生きていけない状態ではないから、母親に何を言われても、何をされても、以前のように傷ついたり、自己卑下をしたりはしなくなった。「なんか、オバタリアンがぼやいてるぞ😂」と、鼻をほじる程度の気にしようである。昔の私は、ものすごい気にしたり、傷ついたりしていた。例えば、うちの母親は、身なりにうるさかった。私が選んで着る服にいちゃもんつけてきたり、ちょっとでも服にシミが付いていたり、生地が折れ曲がっていたりしたら口うるさく言ってきた。自分もよくシミを付けたり、ひざ下ストッキングが見えていたりするにも関わらず、だw

令和の今、オバタリアンを
取り上げてるのここくらいかもしんないw

しかし、私も母親になった今、母親の立場もよくわかる。私もちょっとでも娘の顔に鼻水でもつこうものなら、拭おうとして娘にひどく嫌がられる。娘セレクトのおかしな格好でこども園に行こうとするものなら、身なりに口うるさくなって仕方ない立場もわかる。母親と子ども、両方の立場がわかる以上、どっちもどっちの言い分があるとわかる以上、母親のしていたことは、実は何ともないことだとも理解できた。母親に従わなきゃ、いい子でいなきゃ、と思う必要は、本当はないのだ。母親だって未完全な人間で、親である以上、口うるさく従わせようとするけれど、それは絶対的なことでは、けしてないのだ。勝手に母親の影響を絶大にしなくてもいいのだ。親の言いなりにならなくていいのだ。ただし、親の言うとおりにせずに、もし失敗してしまったとしたら、それは自分の責任であることは肝に銘じよう。親が強く言わなかったからとか、親のせいにはできない。

精神科の先生は、自分の中で、親を囲いの中に入れるような気持ちで親と付き合っていい、とおっしゃっていた。大丈夫だな、と思う時だけ、親を囲いから出すような気持ちでいればいい、と。私はその教えを踏まえて親と付き合うようにした。今ではもう囲いから出して、放し飼いにしても、へっちゃらだ。親がもう自分を阻止するようなことも、ないとわかっている。もう親は、若くない。力もない。年老いた母親を見ると、自分はなぜあんなにも、この人を絶大なものとして見て、付き従っていたのだろう、と、なんて幼い私は、ウブで純朴だったのだろう、と、思うことがある。母親の壁を乗り越えた、というよりかは、もはや母親は壁ではなかった、という事実に気づいたのだ。壁と思うほど、昔は親も若かったし、力もあったということでもあるのだが。幼い私はただ、純粋に母親が大好きなだけであった。言いなりになることが、母親を喜ばせることだと、勘違いしていた。確かに言いなりのいい子ちゃんであれば、母親は安心していたろう。けれど、それは母親セレクトの人生を生きることだった。母親セレクトの自分を生きることだった。私はいつもモヤモヤしていた。そして母親の言動に傷ついていた。私はこんなに従ってるのに。まだまだ私に求めるのか?と傷ついていた。

私はただ、生きていてくれたらいいよ、と、言って欲しかった。ただ、あなたとして、生きていてくれたらいいよ、と。なぜこんなに、ああであれ、こうであれと条件をつけるのか?私は無条件に自分を愛してくれる存在が必要だった。無条件には自分を愛してもらえないのだ、と人や世界に絶望していた時期に、私は統合失調症の症状が出たのだと思う。18歳のときだった。これはあくまでも私の場合なので、全ての人に当てはまるわけではないとは思うので、参考程度に捉えてくださいね。

私のことがあなたのことに
全て当てはまるわけではないので
柔軟に捉えてくださいね

統合失調症と診断されながら、私は21年の道のりを歩んできた。この長い道のりの中で、ようやく、ようやく私は、私自身が私を無条件に愛し始めることができてきた。もはや母親に無条件に愛されることも、旦那に無条件に愛されることも、他の誰かに無条件に愛されることもすっかり諦めて、ようやく自分自身が自分を、ただ自分であるだけで愛することができるようになってきた。なぜか。それは、21年間を、ただただ真っ正直に、ひたむきにやってきた自分を、自分が一番よく知っているからである。結婚したからではない。出産したからではない。ましてや、公務員になったからでもない。そんな条件ではなく、21年間を、自分が悩みながらも、もがき苦しみながらも、生き抜いてきた。そのことを、まるで自分が自分の母親のように、褒めちぎってやりたい、抱きしめてやりたい、と今では心から思うことができる。

私は母親に無条件に愛されたい、と思っていたわりに、母親に対して自分は無条件に愛していたか、と言われると、自信はない。幼い私はただ母親であるだけで愛していたけれど、だんだんと母親に対し、わがままばかり要求ばかりしていたのではないか、とも振り返る。現在、私は、母親がただ母親であるだけでいい、という気持ちが蘇っている。経済的・精神的に自立した以上、もう経済的にも精神的にも、要求をすることはない。だからこそ、ただ母親の存在そのものが、私の喜びなのだ。父親の介護の合間にBTSのテテを見て、癒されていると、嬉しそうに語る母親を見るだけで、私はとても嬉しいのだ。何もしてくれなくていい。ただ、嬉しそうに無邪気に生きていて欲しい。私にとって世界一美しい笑顔を、見せて欲しい。それだけで、最高の母親なのだ。

このように自分自身や母親を捉えるようになってから、私はとても生きやすくなった。母親のことでひどく悩む事もなくなった。

休みの日には
母と鰻を食べに行った


このことが、母親の影響で悩んでいたかつての私のような方の参考になれば幸いです。親も年を取り、自分も大人になり、関係性は必ず変わっていきますから、安心してください。いい進化を遂げれますように。


私が母親である話はこちら☟


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