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なぜアーヘン大聖堂が最初の世界遺産の1つに選ばれたのか

皆様こんにちは。
本田拓郎(Takuro Honda)と申します。
この記事へお越しくださいまして、ありがとうございます。

 このnoteでは、今現在観光業に就いている私が、私の目線で、「観光・旅行・歴史・文化・教育」について、知識や新たな発見の提供、その他自論を展開し、「勉強になった!」や、「こんな考え方もできるなぁ」という、古代ギリシャでいう「アゴラ」のような場所を目指します。私が勉強していることを皆様とも一緒に学ぶというスタイルで、記事を創っていきます。

 1978年に最初の世界遺産12件が登録されました。その内の1つにドイツの「アーヘン大聖堂」があります。今回は「最初の世界遺産」としてのアーヘン大聖堂について考えていきます。

拙い文章力と乏しい考察力ではありますが、
最後までお付き合い、お願いいたします。

1. 厳かで美しい建築構造

 まず、アーヘンの大聖堂が世界遺産として登録された評価について見ていきましょう。アーヘンの大聖堂に適用されている登録基準は以下の4つです。

(ⅰ):人類の創造的資質を示す傑作
(ⅱ):建築、技術などの発展において、重要な価値観を示す
(ⅳ):人類史上において代表的段階を示す、建築様式・技術の顕著な見本
(ⅵ):顕著な普遍的価値を持つ出来事や伝統に関連のあるもの

 アーヘンの大聖堂は、793-813年にかけて宮廷礼拝堂として造られた建造物です。そもそもアーヘンという街は、フランク王国カロリング朝のカール大帝が首都的存在として機能させ、彼が興した古典復興文化運動「カロリング・ルネサンス」の中心地でもありました。アーヘンの大聖堂はその象徴とも言われています。

 この聖堂は「集中式建築」が採り入れられ、八角形の中心部を十六角形の周歩廊で取り囲んでいます。上部は17世紀に据え付けられたバロック様式のドーム天井で覆われています。また、青銅製の扉や柵は、現存唯一のカロリング朝時代の青銅作品です。

 文字に起こしただけでも荘厳さや、厳格さが伝わりますが、ここまでは建築・文化的特徴を述べただけです。登録基準で言えば、(ⅱ)と(ⅳ)の話。では、歴史的な価値、(ⅰ)と(ⅵ)は、なぜ認められたのでしょうか。

2. 「ヨーロッパ」を定義するもの

 この章の主人公は、前章でもチラッと登場した、フランク王国カロリング朝のカール大帝です。

 768年にフランク国王に即位したカール大帝は、キリスト教化に抵抗し、異教信仰と独立を守り抜こうとした、ザクセン人やランゴバルト人といったゲルマン系部族を統合し、ピレネー山脈から、エルベ川(今でいうフランスとスペインの国境からドイツ東部)までを征服し、王国の最大版図を築き上げます。

 その領土の政治的統一に利用したものが「キリスト教」でした。

 フランク王国は、カロリング朝の前の王朝であるメロヴィング朝時代に、クローヴィス王がキリスト教アタナシウス派(現在のローマ・カトリック基礎教義)に改宗し、王国のキリスト教化と、ローマ教皇と良好な関係を築くことに成功します。

 それを継承したカール大帝は、800年にローマ教皇レオ3世から「西ローマ帝国皇帝」の帝冠を受けました。476年に滅ぼされた西ローマ帝国の復活とも言えるこの事件により、フランク王国領ヨーロッパ全土のキリスト教化を成し遂げます。この戴冠が行われた場所が、アーヘンの大聖堂です。

 つまり、アーヘンの大聖堂は、「ヨーロッパ=キリスト教」の定義を創り上げた場所と言えます。さらに言うと、現代ヨーロッパの起源の場所とも言えるでしょう。アーヘンの大聖堂が「最初の世界遺産」として登録されたことで、世界にその定義を再認識させたのです。でも、目的はそれだけでしょうか。

3. キリスト教と世界遺産の関係性

 少しだけ、世界遺産の基礎的な話をします。世界遺産条約の管理者がUNESCOなのは皆さんご存じだと思います。その本部があるのはフランスのパリです。世界で最初に世界遺産条約に批准したのはアメリカ合衆国です。1975年に批准国が20に達し、世界遺産条約が発効されます。

 その時の批准国は、アメリカ合衆国の他に、オーストラリア、エジプト、スーダン、チュニジア、DRコンゴ、ナイジェリア、ニジェール、ガーナ、フランス、キプロス、スイス、ブルガリア、エクアドル、イラン、アルジェリア、イラク、ヨルダン、シリア、モロッコ。イラン以下6カ国のみイスラム教信仰国で、残りはキリスト教信仰国です。

 その後、キリスト教信仰国の批准が大きく伸び、1978年に最初の世界遺産12件が登録されます。国別内訳は、ドイツ1、ポーランド2、エチオピア2、セネガル1、アメリカ合衆国2、カナダ2、エクアドル2と、全てキリスト教信仰国。さらに、「アーヘンの大聖堂」、「ヴィエリチカ岩塩坑(ポーランド)」「ラリベラの岩の聖堂群(エチオピア)」「キトの市街(エクアドル)」は直接的にキリスト教に関連する遺産です。

 その後飛躍的に世界遺産保有数を伸ばしたのが、ローマ・カトリックのお膝元イタリアです。世界最多の世界遺産保有数58を誇り、その内自然遺産は3件のみで、残りは文化遺産です。1回の世界遺産委員会で10件の登録を勝ち取ったこともあり、最新の世界遺産委員会でも、「パドヴァの14世紀フレスコ作品群」「ボローニャのポルティコ群」と、バッチリキリスト教関連遺産2件が登録されました。

 要は、世界遺産においても、「キリスト教」という宗教は登録を左右する1つのファクターになっていることがわかります。そういった傾向が登録国や、地域の不均衡を招き、「世界遺産=キリスト教を守る」という裏の目的が、アーヘンの大聖堂を最初の世界遺産に登録することで、UNESCOは暗示していたのではないでしょうか。

 1994年にグローバル・ストラテジー(不均衡是正)が採択されましたが、前述のイタリアの例含め、最新の世界遺産委員会でもキリスト教関連遺産が多数登録され、新規保有国はありませんでした。確かに近年は、先史時代の遺産だの、20世紀以降遺産だの、グローバル・ストラテジー関連遺産の登録がよく見られるようになったとはいえ、まだまだ不均衡の解決には時間がかかりそうです。

 にしても、世界遺産増えすぎ。世界遺産の「真価」を問い、現代社会と歴史・文化・自然を丁寧に紐解き、世界遺産を未来の世界に繋げるものにしてほしいですね。

今回も最後まで読んでくださいまして、誠にありがとうございます。
また次回お会いしましょう。

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