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ウエストミンスター寺院に埋葬されているイギリスのスーパースターたち

皆様こんにちは。
本田拓郎(Takuro Honda)と申します。
この記事へお越しくださいまして、ありがとうございます。

 このnoteでは、今現在観光業に就いている私が、私の目線で、「観光・旅行・歴史・文化・教育」について、知識や新たな発見の提供、その他自論を展開し、古代ギリシャでいう「アゴラ」のような場所を目指します。私が勉強していることを皆様とも一緒に学ぶというスタイルで、記事を創っていきます。

 私が高校生の時、修学旅行でロンドンを訪れたのですが、その時見たウェストミンスター寺院の荘厳さは今でも忘れません。帰国して世界史を志すようになった私は改めてウェストミンスター寺院の凄さを痛感しました。今日は墓地としての役割を持つこの寺院に眠る偉人を紹介します。皆さんでウェストミンスター寺院にお参りした気分になりましょう。

拙い文章力と乏しい考察力ではありますが、
最後までお付き合い、お願いいたします。

1. William Gladstone(ウィリアム・グラッドストン)

 そもそも、ウェストミンスター寺院は、英国国教会の教会であるだけでなく、イギリス国王の戴冠式や、王室の結婚式といった、王室行事も行われる、イギリス国民において最も重要な教会の1つです。

 隣には国会議事堂である、ウェストミンスター宮殿があり、併せて1987年に世界文化遺産に登録されています。

 導入でも述べた通り、墓地でもあるウェストミンスター寺院には、イギリスの歴史上、だけでなく世界史上に名を残した偉人たちが眠っています。まずご紹介するのは、William Gladstone(ウィリアム・グラッドストン)です。

 あまり聞いたことない名前だと思いますが、高校世界史では絶対覚えとかないといけない人物です。第41、43、45、47代のイギリス首相として、ヴィクトリア期のイギリス政治を牽引したのが、このグラッドストンです。

 彼の功績は41代と43代の在任期に集中しています。41代在任期には、当時義務教育制度が敷かれていなかったイギリスに、小学校教育の普及を推進しました。1871年には労働組合法を制定し、ストライキを合法とし、労働者階級の保護を行いました。しかし、これらが引き金となり総選挙で大敗を喫し、退任することになります。

 43代在任期は、第3次選挙法改正を行いました。そもそもイギリスの選挙法はイギリス自由主義改革の一環です。1832年にホイッグ党のグレイ首相が都市部の産業資本家に、1867年に保守党のダービー首相が都市労働者に参政権を付与し改正を施しています。グラッドストンはこれに加え、鉱山・農業労働者に参政権を付与し、イギリス国民の参政権拡大に大きく貢献しました。これ、ちゃんと覚えましょうね。

グレイサニー(1832年)が
ダービーに出て、ろくな(1867年)
(1884年)りをしないからグラッドストンと横転した。

画期的な語呂合わせだけ置いときますね。

 1989年に、以前から患っていた喉頭がんで亡くなるまで、演説等の政治活動を続けていました。5月19日に静養先で息を引き取り、25日にウェストミンスター寺院に遺体が安置されました。イギリスを自由に導く政治家として、今でも多くのイギリス国民から尊敬されていることでしょう。

2. Rudyard Kipling(ラドヤード・キップリング)

 続いて紹介するのは、文学王国イギリスの世界的作家、Rudyard Kipling(ラドヤード・キップリング)です。一度は耳にしたことがある名前ではないでしょうか。

 多くの作品を残しましたが、代表作としてよく名前が挙がるのは『ジャングル・ブック』ですね。狼によって育てられる少年モーグリを主人公とした物語が複数収められている短編集です。日本語にも和訳されていますね。

 和訳の書籍を読んだ人よりも、映画で知った人の方が多いのではないでしょうか。1967年にはアニメーションで、2016年には実写で、ディズニーが制作し、日本でも公開されとても人気を博しました。ご覧になった方もいらっしゃるのでは。

 また、彼は世界一周旅行も行っており、紀行文も記しています。日本にも1889年に訪れており、明治維新で近代化した日本を目にしています。大日本帝国憲法がイギリス風でひどく落ち込んだとも。

 1907年には41歳という若さで、ノーベル文学賞を受賞します。世界一周で、各国の文化と情勢、そして母国イギリスの世界での立ち位置を知り、彼しか持たない観察力、想像力で表現し、作品を世に送ったことが評価されての受賞でした。

 彼の作品は、多くの作品に影響を与えたとも言われています。例えば、Edgar Rice Burroughs(エドガー・ライス・バロウズ)の『ターザン』や、A・A・Milne(アラン・アレクサンダー・ミルン)の『くまのプーさん』など、特に、児童文学への影響は大きかったようですね。

 1936年に、以前から患っていた十二指腸潰瘍で亡くなり、遺体はウェストミンスター寺院に埋葬されます。彼の墓の近くには、Geoffrey Chaucer(ジェフリー・チョーサー)や、Charles Dickens(チャールズ・ディケンズ)といった、イギリスが生んだ世界的作家たちも埋葬され、文学部卒の私としては、しっかりと、手を合わせに参りたいですね。特にキップリングは、広い知識があったからこそ、ワクワクするような文を書けていたわけですから、私も目指すべきところは、キップリングですね。

3. Isaac Newton(アイザック・ニュートン)

 最後にご紹介するのは、物理学・数学において大きな業績を残した、Isaac Newton(アイザック・ニュートン)です。圧倒的な知名度ですよね。

 1665年にリンゴの果実が木から地面に落ちるのを見て、地球に引力があることに気付いた、万有引力の発見はあまりにも有名ですよね。なんとその時の彼の年齢は22歳。若すぎる。。。

 ニュートンはケンブリッジ大学に、通いそこで恩師のIsaac Barrow(アイザック・バロウ)と出会い、自身の思想に大きな影響を与えてくれました。また、万有引力の発見だけでなく、微積分法の発見についても、バロウがニュートンの才能を高く評価したことが強く影響しているとも言われています。

 1687年には、自身の力学を解説した大著『自然哲学の数学的諸原理』を刊行しました。『プリンキピア』というタイトルで有名ですね。私は文系なので、この書物に触れる機会はなかったですが、今となっては、見識を高めるために、日本語訳でも読んでみようかなと思います。その前に物理の基礎をもう一回勉強しなきゃ。。。

 実は彼は、物理学者や数学者以外に、政治家としての一面を持っていたことはご存じでしょうか。なぜあまり知られていないかというと、まぁ科学分野における業績が大きすぎたということもありますが、彼が下院議員として仕事をしていたのは、1688年からです。『プリンキピア』を刊行した翌年ですね。しかし、大著の執筆に疲弊して、政治家としての仕事がままならなかったと言われています。

 1705年には、彼の功績をイギリス王室から称えられ、ナイトの称号を授けられました。その22年後の1727に年にこの世を去り、ウェストミンスター寺院に埋葬されました。ニュートンの墓の近くには、ノーベル化学賞受賞者のErnest Rutherford(アーネスト・ラザフォード)や、『進化論』を唱えたCharles Darwin(チャールズ・ダーウィン)など、イギリス出身のスーパー科学者たちも埋葬されています。やっぱりニュートンは、「科学者」としてのニュートンが1番かっこいいですね。

4. イギリスこそ世界の中心

 あくまで私の持論ですが、現代においても、イギリスは世界の中心だと思ってるんですよね。実際、現代はアメリカがあらゆる分野において世界で最も影響力がある国ですよね。

 でも歴史を見ていくと、アメリカってどこの国が作ったんでしたっけ?イギリスじゃないですか?

 急速に発展を遂げ、国土も広大で、資源も潤沢で影響力大ありですけど、でも、政治形態をもっと前に確立させていたのは?学術分野で常に大きな業績を残していたのは?要は、人間の本質の部分で、最も影響を与えている国って、アメリカじゃなくてイギリスだと思うんですよね。

 だからかどうかはわかんないですけど、イギリスって何回言っても行き飽きないんです。現代カルチャーにおいても、フットボール、ロックなど、人間の精神に関するところって、やっぱりイギリスが世界で最も影響力が強いと思いますよ。

 いつかまた、イギリスに訪れて、先人たちが現代に残した、目に見えない美しい精神を、また、感じたいですね。

今回も最後まで読んでくださいまして、誠にありがとうございます。
また次回お会いしましょう。
Ciao...

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