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【短編小説】12月のひまわり

「夏のひまわりは、ほんまにきれいなんやで。植えとる畑からは、遠くに海も見えてな……」

おばあちゃんはゆっくりと、今日も同じ話をします。 
ぼくが数えているのが間違ってなければ、この話は今日で九五六回目です。もうすぐ千回になります。ぼくは、ものを覚えるのは得意だけれど、大きい数は苦手です。だから、千回を過ぎたらもう、数えられないと思います。
おばあちゃんが話すのは、老人ホームに入る前に住んでいた、山の上の小さな町のかたすみにある築百年くらいの古い家のことです。ぼくはそこで二十年間、おばあちゃんと二人でくらしていました。
おばあちゃんが老人ホームに入ると、ぼく一人だと山の上の家は使えないと、真理子おばさんに言われてしまいました。真理子おばさんは、おばあちゃんの妹の息子のお嫁さんです。真理子おばさんは「他に人がいないから」ぼくを助けてくれるんだそうです。
ぼくは今、真理子おばさんに、駅の近くのアパートを借りてもらって、そこから行ける市内の作業所で働いています。週二回ヘルパーさんに来てもらって、一人ぐらしをしています。

お父さんは初めから居なくて、お母さんはぼくが九歳になる四日前に、どこかへいってしまいました。「物覚えはええのに、全然しゃべれへんし、まったく勉強できひんし……」と、八歳の時に支援学級に変わることになって、お母さんが悲しそうに誰かに電話口で話していたのを覚えています。その後、お母さんは、ぼくをおばあちゃんの家に預けたままいなくなりました。恋人が出来て、その人と住むんだと聞きました。それからぼくは、お母さんに一度も会っていません。
一緒に暮らした二十年間、おばあちゃんは一度もぼくを怒ったことがありません。むずかしい計算は出来なくても、千円札を出せばスーパーで買いものをしておつりをもらってくることができると、おばあちゃんは教えてくれました。おばあちゃんに習ったことは、おつかいでも、畑仕事でも、お風呂そうじでも、毎日ちゃんとやることができました。
ぼくがイライラしてパニックになる時はいつも、おばあちゃんはひまわりの種を一つ、僕にくれました。

「イライラは、この種の中にしもうて、庭か畑に埋めたらええのやで。イライラした分だけ、きれいな花が咲くんや。
あんたがしんどい分、きれいな花畑を作れるんを、ちゃんと覚えとくんや」
 
おばあちゃんは昔から庭や畑にひまわりを植えていたので、夏の終わりには数え切れないほどひまわりの種が取れました。だからぼくはいつでも、ひまわりの種を植えることが出来ました。おばあちゃんとぼくの暮らす家のまわりは夏になるといつも、たくさんの太陽が咲いたみたいになりました。


「おばあちゃんにはあんたしかいぃひんから、毎日お見舞いに行ったってや」
おばあちゃんが老人ホームに入った日、真理子おばさんがそう言いました。真理子おばさんはお見舞いには来ないんだそうです。
ぼくは引っ越したばかりのアパートの隣の空き地に、ひまわりの種を植えてみました。空き地は草がぼうぼうで、土はとても堅かったです。
スコップで土をやわらかくしていると、通りがかりの知らないおじさんから、空き地に入るなと怒鳴られました。ぼくは、ひまわりを植えないとイライラが治まらないことを、一生懸命説明しました。おじさんはぼくにつばを吐きました。
ぼくは悔しくて、おじさんがいなくなったあと、ひまわりの種二十六粒も植えてしまいました。

そういうわけでぼくは毎日、作業所での箱折りの仕事が終わったら、おばあちゃんのお見舞いに行きます。おばあちゃんはもう、ぼくのことがあんまりわかっていないみたいです。でも、いつも楽しそうに大好きなひまわりの話をしてくれます。
おばあちゃんが好きだった家と景色が、ぼくも大好きです。おばあちゃんが繰り返す話を、ぼくは何回も聞きます。でも、本当は退屈だし、山の上の家を思い出してばかりになるから少し悲しいです。
ぼくばっかりお見舞いに行くので、ぼくは疲れて倒れてしまいました。なかなか熱が下がらなかったので、真理子おばさんがプリンを持って様子を見に来てくれました。でも「ぼくだけじゃなくて真理子おばさんも、おばあちゃんのお見舞いにいったほうがいいです」と言ったら、真理子おばさんは顔をしかめてすぐ帰ってしまいました。
ぼくは熱が下がった日に、隣の空き地にひまわりの種をまた一つ植えました。


おばあちゃんの話が千回になった夏の終わりの午後、ぼくは、おばあちゃんのお見舞いを休みました。そして、バスを乗り継いで、山の上の家に行きました。
山の上の家は、真理子おばさんがときどき掃除に来ているらしいけれど、おばあちゃんが毎日手入れをしていた畑は、草がぼうぼうでした。
畑の端っこに、ひまわりが数本だけ残っていました。
ぼくは、少し背伸びをしながら、枯れかけのひまわりの花を掴みました。びっしり出来ていた種を、持ってきたビニール袋に詰めました。数え切れないほど、種が取れました。
それからぼくは、まだきれいなひまわりの花を選んで、ケータイのカメラで写真に撮りました。畑の様子とひまわりの花がうまく撮れるまで、時間をかけて何度も撮り直しました。だんだん日が暮れて、カエルや虫が鳴きだしました。たくさん蚊に食われても、汗が噴き出ても、ぼくは暗くなるまで一生懸命写真を撮っていました。


次の日、お見舞いに行って、ぼくはおばあちゃんにひまわりの種と写真を見せました。
おばあちゃんは、ぼくと写真をじっと見つめて、何か言おうとしました。けれど、ぼくはそれが聞き取れませんでした。
その次の日、ヘルパーさんに写真をプリントしてもらい、ぼくは貯金をおろしてホームセンターで写真立てを買いました。お見舞いに行き、おばあちゃんのベッドの横にひまわりの写真を飾りました。
写真を見ると、おばあちゃんはもう一度、何か言おうとしました。でも、何の言葉も出てきませんでした。代わりに、小さな涙が一粒、おばあちゃんの目から流れていました。おばあちゃんは何の写真かわかっているけど、うまくしゃべれなくなっているんだと、ぼくは気づきました。
ぼくはおばあちゃんの手を握りました。ぼくも人にうまく伝えることが苦手だから、言葉をうまく出せないおばあちゃんの気持ちが少しわかる気がしました。

その後、おばあちゃんは寝たきりになりました。
そして、肺炎をこじらせて、十二月の初めに亡くなりました。

お葬式には、お母さんが来ました。
お母さんは最初、受付の近くに立っていたぼくのことがわからないみたいでした。真理子おばさんがぼくを指さすと、お母さんはゆっくりとぼくの方を向き、きっぱりと言いました。
「私と一緒には、住めへんからね」
お母さんは、すぐに目を逸らしてしまいました。ぼくは、お母さんの横顔を眺めました。記憶にあるお母さんの頬はふっくらしてきれいだったけれど、目の前のお母さんの頬は痩せて、シミがいくつも浮いていました。
「ぼくはアパートに住んでいます。一人ぐらしです」
「あんたが独り暮らしねぇ……、ふぅん」
「ぼくは、お母さんと一緒に暮らしたくありません」
お母さんは、一瞬ムッとしたみたいでした。ぼくは、お母さんを怒らせるんじゃなくて、お母さんの今の暮らしを邪魔したくなくて、そう言ったつもりでした。
「……後見は、真理子さんに頼んどくわ」
お母さんは、おばあちゃんの葬式が終わると、どこかに溶けるように居なくなっていました。
ぼくは葬儀場の裏にひまわりの種を植えかけたけれど、どうしてか、手が止まってしまいました。ぼくを探しにきた真理子おばさんに、「こんな日に好き勝手したらあかん」と怒られました。
ぼくはポケットの中で、ひまわりの種をずっと握りしめていました。


おばあちゃんの仏壇は、ぼくのアパートに置くことになりました。真理子おばさんが小さいのを選んで、アパートに運んできてくれました。
仏壇に飾るために、ぼくは花屋さんでひまわりを買いました。十二月のひまわりは一本三百五十円でした。ぼくの作業所の一ヶ月の工賃は五千円くらいで、国からもらえるお金が六万五千円くらいです。何本買えるかわからないけど、ぼくはしっかり働いて、ひまわりをずっと飾りたいです。
おばあちゃんと暮らしていた家に戻りたいと言ったら、真理子おばさんに「山の上の町は遠いし、作業所からも遠いし無理やな。それにあんた、家の管理はややこしいやろ?」と言われました。家と畑は、売れるまではそのまま置いておくそうです。どうしてぼくには、自分で決めたいのに決められないことがこんなに多いのでしょうか。おばあちゃんの大好きだった家や畑を一人でも大切に出来ること、そしてもっともっと素敵できれいにできる自信があるのに、ぼくにはどうして任せてもらえないのでしょうか。

おばあちゃんの四十九日が済んで春になったら、ぼくにはしたいことが一つあります。

それは、こっそり山の上の家に行って、ぼくが持っているひまわりの種を全部、庭と畑に植えることです。夏が来たら、荒れた畑に数えきれないほどたくさんのきれいなひまわりが咲くでしょう。いつもあいさつをしてくれていた山の上の町の人も、きっと見に来るでしょう。真理子おばさんはぽかんとして、お母さんに連絡してしまうかもしれません。そのことを考えるだけで、わくわくうずうずします。畑にも、そしてぼくの住んでいるアパートの隣の空き地にも、ぼくがイライラした数だけ、ひまわりがきれいに咲くこと。ぼくが生きる場所でぼくの周りに生まれる花畑を、ぼくはみんなにちゃんと見てもらいたいのです。
 その日が来たらぼくは、ひまわりの素敵な写真をたくさん撮って、そして特別な日だけと決めているビールを仏壇の前で一缶開けようと思います。そして、ちょっと苦い、キンキンに冷えたビールを飲みほして、抱えきれないくらいたくさんのひまわりを飾ったおばあちゃんの仏壇に笑うのです。

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