Masato Ushimaru

人類学とデザイン、映像の境界領域で仕事をしています. 映像人類学修士(デンマーク・オー…

Masato Ushimaru

人類学とデザイン、映像の境界領域で仕事をしています. 映像人類学修士(デンマーク・オーフス大学). https://masatoushimaru.com/

マガジン

  • 映像試論

    映像装置としてのレンズを、通過する光の仕草、経年劣化が生み出す色彩の偶発性、時空の歪み、生成される感覚世界と対話することを通してひとつの「多様体」として捉える取り組み

  • デザインと人類学

    デザインと人類学の接点について、国内外のディスカッション、ケーススタディ、論文などをキュレートしながら発展的に議論を展開していく試みです。

  • みることについて / On Looking

    「みる」という行為の本質について、人類学、現象学、デザイン論、映像論、認知科学など多様な記事をキュレーションします。

  • 欧州往復書簡

    • 5本

    このマガジンは、欧州のデザインスクールに修士留学をしている3人が、いま感じていること、考えていることを伝えあう往復書簡です。

記事一覧

写真集 『FOG AND SUN』 出版に寄せて

「映像人類学」と題した仰々しい名の学位を片手に日本に帰国し、一息つく間もなく時は瞬く間に過ぎ去った。絶えず論文を読み漁っては北フィリピンでのフィールドノートを見…

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夏の光とスウェーデン・マルメ Leica Summicron 50mm f2 2nd #映像試論

家族がデンマークにやってきたので、コペンハーゲン発の電車に乗って海を越え、対岸のスウェーデンへ。南部の都市マルメ(Malmö)は晴れ。屋外はやや日差しが強いものの、…

Masato Ushimaru
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クリスマス前のコペンハーゲンを回想する

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欧州往復書簡5 都市と地方の二項対立を超えて

*このマガジンは、欧州の大学院に修士留学をしている3人が、いま感じていること、考えていることを伝えあう往復書簡です。 https://note.com/dutoit6/m/m86c2e398673d ロ…

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「noma」が揺るがす食と生 -「食べられる」と出会うということ

ある秋の日、研究室の友人がキノコ狩りに行かないかと誘ってきた。オーフス南部の郊外、広大な森林に覆われている人類学キャンパスの近辺には、不思議なキノコが独自の生態…

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映像人類学・マルチモーダル人類学の修士課程では何を読むのか

映像人類学という名を冠する修士プログラムは、世界的に見ても限られます。私が所属するオーフス大学 MSc in Visual Anthropolgy の他に代表的なものでは、マンチェスター…

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デンマーク・オーフス大学修士課程で映像人類学を学ぶ

デンマーク・オーフスで映像人類学を学び始めて、2ヶ月が経ちました。これまでの学びを振り返りつつ、自分が身を置いている環境を改めて客観的に見つめてみたいと思います…

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欧州往復書簡2 自他の境界と映像人類学について

*このマガジンは、欧州の大学院に修士留学をしている3人が、いま感じていること、考えていることを伝えあう往復書簡です。 - 黄色と赤茶色の家々が立ち並ぶSkagenという…

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静かな祝祭

あの梅雨入りは誤報だったのだろうか。キジバトとその巣は、さほど強い雨にさらされることもなく、6月に入ったことに孵化した。それは、まるで音のない夏祭りのように、静…

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鳩の孵化を待ちながら、忘れかけていた自然との距離について考える

それは随分はやい梅雨入りの報が入ったころ。玄関前のもみの木に、鳩が巣を作った。そこでは小さな卵がふたつ、親鳩に温められながら孵化を待っていた。 首元のマフラーの…

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写真集 『FOG AND SUN』 出版に寄せて

「映像人類学」と題した仰々しい名の学位を片手に日本に帰国し、一息つく間もなく時は瞬く間に過ぎ去った。絶えず論文を読み漁っては北フィリピンでのフィールドノートを見返し、研究の合間にカメラを抱えて写真を撮りに出掛けていた日々の記憶は、少しずつ過去のものとなっている。寂しさはない。そこに懐かしさはあるだろうか。あらゆる経験も、そこに伴う感情も、言語化されていない感覚も、それを獲得したその瞬間とは異なる形態へと、少しづつその様を変化させつつあることだけは確かだ。 「過去のものになる

夏の光とスウェーデン・マルメ Leica Summicron 50mm f2 2nd #映像試論

家族がデンマークにやってきたので、コペンハーゲン発の電車に乗って海を越え、対岸のスウェーデンへ。南部の都市マルメ(Malmö)は晴れ。屋外はやや日差しが強いものの、室内には穏やかな光が差し込み、北欧らしい白を基調とした空間が美しく映えていた。 人類学の調査ではとてつもない時間を費やして街を歩くのだけど、その影響か、普段出かける時も公共交通機関にはあまり頼らず、できる限り自分の足で街を練り歩く。車が入れないような裏道も、観光客が訪れないような小さな飲食店も、歩くことで初めて出

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クリスマス前のコペンハーゲンを回想する

欧州往復書簡5 都市と地方の二項対立を超えて

*このマガジンは、欧州の大学院に修士留学をしている3人が、いま感じていること、考えていることを伝えあう往復書簡です。 https://note.com/dutoit6/m/m86c2e398673d ロラン・バルトはその著作『象徴の帝国』において、以後の都市論に大きな影響を与えた、「空虚な中心」というアイデアを包含した東京論を展開しています。 彼が描写しているのは、自らがその目で見た東京に存在する「空虚な中心」としての皇居と、その周辺で絶え間なく営まれる庶民の生活音との

「noma」が揺るがす食と生 -「食べられる」と出会うということ

ある秋の日、研究室の友人がキノコ狩りに行かないかと誘ってきた。オーフス南部の郊外、広大な森林に覆われている人類学キャンパスの近辺には、不思議なキノコが独自の生態系を形成しているのだと彼は言う。たしかに思い返してみれば、バス停脇に立つ木々の根元や芝生の端に、地中から生える奇妙な物体を目にしたことが幾度かあった。だけれど、キノコを狩ってどうするのだ?じっくり観察するのだよ。この辺りには変わったキノコの種が多いからね。食べられるのかい?どうだか。食べられるものもあるかもしれない。約

映像人類学・マルチモーダル人類学の修士課程では何を読むのか

映像人類学という名を冠する修士プログラムは、世界的に見ても限られます。私が所属するオーフス大学 MSc in Visual Anthropolgy の他に代表的なものでは、マンチェスター大学 MA Visual Anthropology、ロンドン大学ゴールドスミス MA Visual Anthropology、ドイツHMKWM.A. Visual and Media Anthropology(ベルリン自由大学よりプログラムごと移管)などでしょう。そのほか北米や欧州の人類学分野

デンマーク・オーフス大学修士課程で映像人類学を学ぶ

デンマーク・オーフスで映像人類学を学び始めて、2ヶ月が経ちました。これまでの学びを振り返りつつ、自分が身を置いている環境を改めて客観的に見つめてみたいと思います。 1. バックグラウンド修士課程に進学するまで、人類学の本格的なトレーニングを受けたことはありませんでした。学部は一橋大学で、都市社会学やコミュニティ論のを学ぶゼミに所属していました。半構造化インタビューやアンケート調査、グラウンデッド・セオリー・アプローチ(GTA)をはじめとした定性調査の方法論については基礎レベ

欧州往復書簡2 自他の境界と映像人類学について

*このマガジンは、欧州の大学院に修士留学をしている3人が、いま感じていること、考えていることを伝えあう往復書簡です。 - 黄色と赤茶色の家々が立ち並ぶSkagenという小さな街で、Anna Ancherというスケーエン派画家の絵画を眺めていました。バルト海と北海に挟まれた広大な砂浜と草原のある街は、19世紀後半から多くの芸術家が集い、様々な作品を世に出していったことで知られています。 彼女の作品の中には、Skagenの漁村をその内側から描いたものが多く存在します。窓から

静かな祝祭

あの梅雨入りは誤報だったのだろうか。キジバトとその巣は、さほど強い雨にさらされることもなく、6月に入ったことに孵化した。それは、まるで音のない夏祭りのように、静かに、それでいて確かにやってきた祝祭だった。 鳩の孵化が失敗する原因のほとんどは、卵や雛が他の動物によって捕食されてしまうことなのだとか。もみの木の奥に巣を構え、二羽の雛は親鳩の身体に包まれて、孵化してすぐはほとんどその姿をみることすらできなかった。 雛の身体の成長には驚くばかりで、真っ黒な地肌、大きな眼球、黄色く

鳩の孵化を待ちながら、忘れかけていた自然との距離について考える

それは随分はやい梅雨入りの報が入ったころ。玄関前のもみの木に、鳩が巣を作った。そこでは小さな卵がふたつ、親鳩に温められながら孵化を待っていた。 首元のマフラーのような白黒の模様、背中の鱗模様から、どうやら「キジバト」という種類らしい。公園でよく見かける灰色の「ドバト」と並んで、全国的によく見られる鳩だそう。 親鳩はもみの木の幹近く、肩の高さくらいのところに枝や木屑を集め、身体がひとつちょうど収まる小さな巣を作っていた。ふたつの卵は親鳩の腹で包まれていて、外からはほとんど見