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デンマーク・オーフス大学修士課程で映像人類学を学ぶ

デンマーク・オーフスで映像人類学を学び始めて、2ヶ月が経ちました。これまでの学びを振り返りつつ、自分が身を置いている環境を改めて客観的に見つめてみたいと思います。

1. バックグラウンド

修士課程に進学するまで、人類学の本格的なトレーニングを受けたことはありませんでした。学部は一橋大学で、都市社会学やコミュニティ論のを学ぶゼミに所属していました。半構造化インタビューやアンケート調査、グラウンデッド・セオリー・アプローチ(GTA)をはじめとした定性調査の方法論については基礎レベルで学んでいましたが、「人類学」と名のつく講義はたったの2単位(!)しか取得していません。ただし、学士論文執筆に向けた調査段階で積極的に参与観察の手法を採用したこと、人々の語りや振る舞いに目を向けながらその生成プロセスを分析していくダイナミズムに圧倒されたことは、修士留学を決意する大きなきっかけとなりました。

新卒で入ったリクルートでは、既存メディア事業の企画職として3年ほど実務経験を積みました。ここでも人類学と直接的な関わりを持つことはありませんでしたが、メディア・SaaSプロダクトの顧客満足度調査や業績モニタリング、営業目標設計等のミッションを通して定量・定性それぞれのリサーチに関わることが多々ありました。学術界と産業界を跨いだ広い世界の中に人類学を位置付けるものの見方を、この期間を通して学んだように思います。

また、祖父が写真の現像屋、叔父が写真家として仕事をしていたこともあり、子どもの頃からカメラが身近な存在でした。中学生の頃から好んで写真を撮り続けてきたことは、「映像人類学」という選択に少なからず影響を与えているように思います。

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2. デンマークで人類学を学ぶ

人類学領域で大学院留学をする人の多くが、アメリカまたはイギリスを選択します。そのほかフランスやオーストラリア、オランダあたりも選択肢に入るかもしれません。デンマークはなかなか候補にあがりにくいものの、コペンハーゲン大学やオーフス大学のような大規模で歴史のある総合大学に加え、オールボー大学や南デンマーク大学など、小規模かつ新興ながらPBL(プロジェクトベーストラーニング)に重きを置いたユニークな人類学プログラムがあります。

私も当初はイギリスを中心に人類学修士プログラムを探し始めました。LSEやSOASといった魅力的なプログラムが多くあった反面、「1年間で修了」「フィールドワークモジュールなし」といったイギリス修士独自の制限も多く存在します。一方でデンマークやノルウェーといった北欧圏の人類学プログラムは、2年間のうちにフィールドワークの期間が3~6ヶ月ほど確保され、かつ調査地の選択に自由度がある点などが特徴でした。

中でもオーフス大学は、北欧圏で唯一(世界的にも少数)の「映像人類学」専門のコースを設け、映像作品(ドキュメンタリー映画のようなイメージ)や写真、サウンド、デジタルリサーチなど、エスノグラフィや論文以外の手法を用いた多角的なリサーチのトレーニングを受けられます。ハーバードのセンサリー・エスノグラフィ・ラボ(Sensory Ethnography Lab)やマンチェスターのグラナダ映像人類学センター(GRANADA CENTRE FOR VISUAL ANTHROPOLOGY)ほどの規模はないものの、巨大なミュージアムの中に研究室を設置し、本流の人類学に軸足を置きつつ映像人類学を学ぶ環境が整備されています。

写真は映像人類学の研究室があるモースゴーミュージアム

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こちらはミュージアムの横にある古いキャンパス

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3. 修士プログラムの全体像

繰り返しになりますが、オーフス大学の映像人類学修士プログラムは、あくまで本流の人類学に重きを置きつつ、それに加えて映像人類学としてのトレーニングを受ける、という捉え方をするのが正確です。

The track provides students with practical and theoretical skills to work anthropologically within a visual framework. Through hands-on workshops in the production of ethnographic film, students learn to design audiovisual projects, apply audiovisual media as a participatory research method and as a means of analytic investigation and expression.

出典:大学ウェブサイト(2021年11月時点)

2年間のプログラムは4つのセメスターに分割され、第一セメスターには人類学理論と映像人類学の手法を並行して学びます。それぞれ「Advanced anthropological theory」 と「Contemporary anthropological themes: Visual anthropology 」という講義が設けられ、週に計3コマ(各3時間)設定されます。選択式の講義は第3セメスターの緑色の講義を除き存在しません。これはユニークかも。

いわゆる理論講義にあたる「Advanced anthropological theory」では、「危機(Crisis)」を一貫したテーマに置き、各回「表象の危機」「ジェンダー」「マルチスピーシーズ」のようにサブテーマを決めて講義が進みます。学生の大半が人類学の学部トレーニングを受けた前提で議論が進むため、異なる学士号を持っている学生にとってはそれを補う量の準備が求められることも事実です。自分にとってはこれが一番大変。

第2〜3セメスターは、理論・映像人類学的手法の両面でフォローを受けつつ、4〜5ヶ月のフィールドワークを実施予定。デンマーク国外に出る学生も少なくないとのこと。コロナ禍影響で不透明な部分が多いものの、私は東南アジア圏で調査を実施したいと考えています。なお、第4セメスターは修士論文の執筆が主となり、指導教官とのやりとりが中心になります。

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もう一つの重要な特徴として、映像人類学修士プログラムに所属をしている学生は、いわゆる「文字で書かれた論文」と「映像人類学的成果物」の二つを提出することで修了できます。例えば民族誌映像やインスタレーション作品、写真作品などがそれにあたります。過去の学生たちの大半は映像作品を提出しており、それを閲覧する機会も多くあります。

The Visual Anthropology track culminates in the production of a thesis comprised of a written part and a visual anthropological product (film, photography, museum installation, or multimedia).

出典:大学ウェブサイト(2021年10月時点)

4. 学生の様子

オーフス大学には通常の人類学修士プログラムもあるため、映像人類学の学生と合計すると修士一学年40名ほどの学生数になります。理論の講義はこの顔ぶれで実施をするため、日本の小学校のクラスルームと同じような教室に。講義は一コマ3時間が基本で、間に2回ほど短い休憩を挟みながら進行します。毎回2〜4本ほどのリーディング課題が課せられ、その内容をベースにグループや教室全体でのディスカッションを中心に進められます。みんなよく喋ります。

一方の映像人類学コースには学生が13名所属し、うち私含め5名が留学生です。2名がアメリカ、そのほかトルコとクロアチアからそれぞれ一人ずつ。他の修士プログラムを見ていても、アジア圏、特に東アジアからの留学生はかなり少ない印象です。年齢は23~29歳あたりの範囲でバラバラ。デンマークはギャップイヤーをとる学生も多く、数年の就労経験を持っている人も少なくありません。デンマーク人のクラスメイトはオーフス大学またはコペンハーゲン大学で人類学学士を取得した人ばかり(!)で、留学生の5名は社会学、地理学、メディア論などをバックグラウンドに持っており、なぜか人類学学士持ちはいませんでした。意図的なのかな?

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5. 映像人類学・マルチモーダル人類学の学習環境

修士プログラムのタイトルは「映像人類学(Visual anthropology)」となっていますが、これは実態とのズレがあるということから、内部的には「マルチモーダル人類学(Multimodal anthropology)」という呼称が使用されています。これは、研究手法として民族誌映像の制作や写真撮影のみに限定せず、サウンドやインスタレーション、デジタルツールを用いたリサーチや他分野とのコラボレーションの方法を常に模索する姿勢を維持していることが背景にあります。

映像人類学修士の13名は、2名の教授とともに「Eye & Mind Lab」と呼ばれる映像人類学専門の研究組織に属します。撮影に使用する映像機材が全員に貸与され、編集ソフトウェアやデスクトップPCが整備された部屋が提供されます。

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また、最初のセメスターの映像人類学講義にあたる「Contemporary anthropological themes: Visual anthropology 」の特徴として、映像、サウンド、デジタルリサーチなど各手法に関する作品や批評、論文のリーディングに加え、ほぼ毎回何かしたの制作課題が出ることが挙げられます。

例えば「映像の触覚性」をテーマにしたレクチャーでは、事前に2分程度のショートフィルムをそれぞれが制作して持ち寄り、当日全員の作品を上映してフィードバックをしあう、といった形式が取られました。これはかなり刺激的で、理論の講義で経験するようないわゆる論理と論理のぶつかり合いではなく、「このカメラワーク面白いね」「あのシーンのサウンドの使い方ユニークだね」といった言葉が飛び交います。デジタル人類学に関する回では、各自が自由に主題を設定した上で、講義を通して習得したリサーチ手法や理論を用いた短期のリサーチプロジェクトを遂行。3週間ほどでエッセイとビデオエッセイを提出します。いずれについても、理論的側面と制作物の組み合わせを重視し、修士プログラムにおける最終的なアウトプットを見据えたトレーニングが設計されている印象です。

いずれにせよ、映像(マルチモーダル)人類学自体がそもそもほぼ確立されていない領域であること、それゆえ著名な学者が言っていることが必ずしも広く受け入れられた知識とはいえないこともあり、実験的なチャレンジが歓迎される雰囲気が明確に存在しています。自分にはこれがとても心地良く感じられます。一方で、人によっては明確な権威や確立された理論の不在に違和感を覚える人もいるかもしれません。この辺りは入念に検討した上で選択をすべき部分のように感じます。

また、毎週火曜の夜には映像人類学PhDの学生が「Ethnographic Film Club」という映画上映会を主催します。民族誌映像を参加者で視聴し、その後自由にディスカッションをする場。映画狂も多く、毎回勉強になります。

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6. デンマークで人類学を学ぶ弱点

ネガティブな側面は、なかなか事前に把握することが難しいかもしれません。数ヶ月の生活を通して感じた弱点は、大きく2点かと思います。

第一に、母語であるデンマーク語を話せないことにより調査フィールドが限定されること。特にオーフス大学人類学修士プログラムに対しては、行政機関やNGO、リサーチ会社、インキュベートファンドなどからインターンの案内が共有され、それが修士論文に向けた調査地になるケースが多くあります。もちろんほぼ全ての人が流暢な英語を話せる国ではあるものの、デンマーク語を理解できることが募集要件に加えられていることが大半であるため、私のような留学生にとっては参加のハードルが非常に高いものとなります。

もう一点として、留学生比率の低さが挙げられます。私のプログラムは半分近くが留学生ですが、この比率は例外的で、オーフス大学全体でも留学生比率は10%前後。デンマークは国として積極的な留学生招致を行なっておらず、デンマーク語のみで開講されている修士プログラムが多くあります。前述の通り、オーフスの一般の人類学修士はデンマーク語開講です(コペンハーゲン大学の人類学修士は英語らしい)。デンマーク人の友人を通して現地の文化などを学びやすい反面、多様性という点では米英の修士課程には劣ってしまうかもしれません。

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7. これから何をするのか

現時点ではまだ最初のセメスターの折り返し地点なので、理論や手法に関する知識や議論の経験値もまだまだです。ただし、修士論文に向けたフィールドワークの話題は多く、10月末には最初のプロポーザル(研究計画)の提出期限が設定されています。その後年内を目処に指導教官がアサインされます。フィールドワークに4~5ヶ月というかなりの時間が割かれているプログラムであるため、それに向けた準備も早期に始まります。人類学修士ほとんどがそうであるように、修士過程を通して実際にフィールドワークを実施し論文を書き上げる経験は間違いなく貴重ですし、以降のキャリアを形成する重要な基盤になります。

私はフィリピン・ルソン島の高原都市バギオをフィールドに、視覚・聴覚障害を持つ人々がマッサージを専門として働いている事例に着目し、その身体性や感覚世界に関する映像人類学的考察、それを取り巻く社会的・政治的世界に関する研究を進める予定です。粛々と準備をしつつ、コロナ禍が落ち着いて無事に渡航できることを祈るばかり。

デンマークで学び始めるまで、特に事前の学習や情報収集にはとても苦労しました。気になることがあればいつでもご連絡ください。

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