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写真集 『FOG AND SUN』 出版に寄せて

「映像人類学」と題した仰々しい名の学位を片手に日本に帰国し、一息つく間もなく時は瞬く間に過ぎ去った。絶えず論文を読み漁っては北フィリピンでのフィールドノートを見返し、研究の合間にカメラを抱えて写真を撮りに出掛けていた日々の記憶は、少しずつ過去のものとなっている。寂しさはない。そこに懐かしさはあるだろうか。あらゆる経験も、そこに伴う感情も、言語化されていない感覚も、それを獲得したその瞬間とは異なる形態へと、少しづつその様を変化させつつあることだけは確かだ。

「過去のものになる」とは、一体どういうことだろうか。飛騨高山の地で生まれ育った幼少期のそれと、北欧の小国デンマークでの2年間とは、安易に並列して語れない差異がある。それでも大学院生として過ごした時間は着実に同じく「過去」と呼ばれる場所へと追いやられ、その上には日本に帰国してからの新たな時間が次々と堆積する。

それにしても、大変な2年間だったと思うのだ。一度も訪れたことのないデンマークを進学先として選択し、郊外の安くて荒れた学生寮に入り、母語とは異なる言葉で人類学というなんともややこしい学問に向き合ったのだから当然だ。年季の入ったキャンパスの廊下に響く足音も、Moesgaardの大草原を駆け抜ける風の感触も、デンマーク語の響きも、オーフス大聖堂の鐘の音も、全て鮮明に覚えている。強い感情が、その一つひとつに執念深く付着しているからだ。日照時間が急激に短くなる冬の季節は気分が深く落ち込むし、霧が晴れない日々の暗い部屋の中で年末年始を返上して執筆に苦しんだことも忘れない。修士とはいえ、研究には孤独が伴う。ひとりの時間が長く続いた。太陽が出る季節には友人たちと公園に出かけ、木漏れ日の下で写真を撮った。雨の日には部屋の中で、わずかな光を求めてレンズを向けた。内なる自己と対話する時も、外の他者と心を通じ合わせる時も、いかなる時もカメラはそこにあった。

そんな「鮮明な過去たち」も、少しづつ地層化している。私個人として初めて制作し世に出した『FOG AND SUN』は、デンマークで過ごした2年間の様々な情景を、まずは自分のために残すためにまとめた一冊である。

Title: "FOG AND SUN"
Photography and layout: Masato Ushimaru
All photographs taken in Denmark
Pages: 176
Size: A5
Color
Printed in Japan
April 2024


デンマークで映像人類学を学ぶ

私は2021年夏から2023年夏の計2年間、デンマークのオーフス大学(Aarhus University)で映像人類学修士プログラム(MSc Programme in Anthropology, Specialisation in Visual Anthropology)に在籍した。人類学部の中でも映像やサウンド、デザイン、芸術などの多様な手法を用いて調査研究・制作を行う映像・マルチモーダル人類学に特化したプログラムである。デザインと人類学の主要書籍である "Design Anthropology: Theory and Practice" 著者の Ton Ottoや、 『マツタケ ―不確定な時代を生きる術』で有名な Anna Tsingらが所属する。欧州で映像人類学の先駆的存在であるChristian Suhr もおり、私はその系譜を継承している映像人類学者 Christian Vium に師事した。映像・写真を用いた文化批評とフィールドワークを、徹底的に教わった。

なぜデンマークか、なぜ映像人類学か。幼少期からカメラや写真が身近にあった自分にとって、学部で学んだ社会学や人類学などの社会科学と映像が出会うことは必然だった。

日本の映像人類学者である川瀬 慈氏による『ストリートの精霊たち』は、出願に向けた研究計画を作り始めていた当時の私に、映像と人類学、そしてエスノグラフィについて解像度の高いインスピレーションを提供した。写真家・港 千尋氏の『記憶: 創造と想起の力』は、映像と写真、芸術、そして社会運動とその記憶とをダイナミックに横断する知の態度についての想像力を私に与えた。アルトゥーロ・エスコバルによって生み出された『多元世界に向けたデザイン ラディカルな相互依存性、自治と自律、そして複数の世界をつくること』(※当時読んだのは英語版の "Designs for the Pluriverse: Radical Interdependence, Autonomy, and the Making of Worlds")は、協働と介入というデザイン人類学のキーワードを入り口に、フィールドにおける感覚装置の可能性への関心を高めるきっかけとなった。英国の社会人類学と少しだけ迷ったのち、2021年の春にオーフスの映像人類学への進学を決めた。

北フィリピンと映像

人類学を学ぶ学生の多くは、一定期間のフィールドワークを経験する。北フィリピン・ベンゲット州をフィールドにしていた私は、高原都市であるバギオとその周辺に生活する視覚障害当事者たちとともに、彼らが形成する自律的なコミュニティと社会運動について民族誌調査と映像制作をに取り組んだ。民族誌的フィールドワークを通して制作された "OUR CO-BLIND - An Ethnography of Care among Visually Impaired Communities in Baguio"は、当事者たちのコミュニティ内部でのケア実践に焦点を当て、「ケアを提供する者」「ケアを受ける者」という二項対立的な役割認識を超えた、状況に応じた突発的で生成的なケア関係を描くとともに、障害を持つ当事者たちがともに集まり生活を共有することで獲得する「より大きな声 "bigger voices"」が、いかにして北フィリピンの社会に聞かれることで社会運動につながるかを捉えている。そこでは、感情的・人間的な印象ととも語られがちな「ケア」が、極めてロジカルで戦略的な行為であるというリアリティが立ち上がってくる。

2024年5月の再訪

目の見えない人々と映像実践をともにした経験が意味するものは大きかった。映像装置の暴力性や人類学調査の倫理性はもちろんのこと、言葉や視覚を超えて「ともに、多感覚的に人類学すること」は以下に可能か、という問いは、修士を終えて現在もなお継続している彼らとのプロジェクトの土台となっている。

※本プロジェクトは、2024年夏頃の写真集・映像公開と秋以降の国内展示を検討しています

調査をともにする、当事者コミュニティのAlvin

写真と生活

2年間、カメラは常に手元にあった。毎日、何かの、誰かの写真を何枚も撮った。苦しい時期の写真は暗く、心の明るい時は友人たちの姿にカメラを向けた。

『FOG AND SUN』の176のページに収められた写真たちを眺めていると、写真は素直だと思う。自らよりも一層、私を知っている。2年間で撮影された膨大な数の写真たちを、時系列に並べて選定された作品たちの語りは、私自身の中の記憶よりも鮮明である。


"FOG AND SUN"

著者が映像人類学を学びに移り住んだデンマークでの2年間で撮影された写真による、自身初の写真集。現地のアーティストコレクティブに出入りする中で出会った芸術家たちや自然豊かな北欧の広大な大地、コペンハーゲンの美しい街並みやオーフスの自宅でのスナップまで。撮影者の心情の変化がフレームに投影されていく様を時系列に記録した作品となっている。以下のリンクより購入可能。書店・事業者の皆様はコンタクトフォームよりご連絡ください。

写真・編集:牛丸 維人 (MASATO USHIMARU)
KESIKI プロジェクトリード、ドキュメンタリー写真映像実践者. 2021年からAarhus University(Denmark)映像人類学修士プログラム(MSc in Visual Anthropology)に留学し、デンマーク第二の都市オーフスで過ごす。2022年には修士課程におけるプロジェクトとして北フィリピンで半年間を過ごし、高原都市における視覚障害当事者のケア実践と社会運動に焦点を当てたエスノグラフィ執筆と民族誌映像制作を経験. 制作された映画 "Our Co-Blind - An Ethnography of Care among Visually Impaired Communities in Baguio" は米国およびスペインで受賞・上映され、日本・デンマーク・フィリピンでは映像・写真作品の展示が行われた. 現在は日本・東京を拠点に映像人類学/デザイン/ビジネスの交差点に身を置き、リサーチから表現活動まで、写真と映像の幅広い応用方法を模索している.


Title: "FOG AND SUN"
Photography and layout: Masato Ushimaru
All photographs taken in Denmark
Pages: 176
Size: A5
Color
Printed in Japan
April 2024


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