自己紹介【引退篇】
さあ、はじまりました!
プリッと、チャンネル! ハロー😆
サスケです😁 あごキング❗😬
こんにちは。大峡謙です(これはまじ)
今日も僕(あつヤング)の経歴を徒然なるままに日暮らし。って訳でお願いします。
この頃はプリッとチャンネルにハマっていました。
僕の傾向として、チャンネル登録者数が増え始めた頃の、要は並に乗り始めたけど、まだ庶民的な(いい意味でキラキラしてない)感じのYouTuberにハマるらしいですね。この時期の1番のそれがプリッとチャンネルでした。今はプリッとチャンネルのみならず、YouTubeはあまり観れてないので悪しからず!
前回までのあらすじ↓
Chapter1.監督との別れ、再会
柔道から逃げるようにして入った中学の陸上競技部。そんな僕もそろそろ3年生を迎えようとしています。
1年生, 2年生のうちは監督に怒鳴られてばかりで、監督に怯えていたんですけど、本当に落ち込んでるときは優しく接してくれたり、監督は陸上の専門じゃないのに色々僕らのために陸上を勉強してくれたり、不器用なところがあっても、とにかく熱血な監督が好きでした😌
正月に権現山の神社までみんなで走って、初詣に行ったの覚えてますか。
監督が代表でお賽銭にお金入れてくれましたね😁
『みんなこれでちゃんと御願いしなさい』ってね。
あのとき、みんなで『人事異動してくれますように』って願っちゃったこと、本当に後悔してます。だって〜、当時は本当に恐かったんだもん🥺
迎えた3月。監督の人事異動が決まりました。いや〜…あの強面で小学校に異動とか…どういうこと?!笑
ガキンチョ泣いちゃうでしょ笑…
僕らも監督居なくなって泣いちゃいます😭
一方!代わりに来る新しい監督は、群馬県の陸上の強化委員長の方でした!ワオ!まじか!
僕らのひとつ上の代が4×100mRで全中とか行ってた影響か、なんだか強い顔ぶれになりました。
実は、この強化委員長の方、僕と顔見知りだったんです。僕が小学校のときに通っていた陸上教室を運営していたのが、彼でした。
しかも、新しい監督、僕の担任になりました。
流石に運命すぎ!ちょっと嫌だ😅笑
というわけで、新体制で部活が始まっていきます!
Chapter2.何も残せなかった総体
春、新体制で部活が再スタートし、チームは盛り上がりを見せていました。
しかし、僕はというとハードルはまだ最後まで3歩で押しきれず。800mは自己ベストは更新するものの2'12"止まり。1500mに関しては4'38"で限界😭。通信陸上のリレーではバトンパスをミスり、失格。
歳だけ最上級生で、結果で恩返しすることもできなければ、チームに迷惑をかけてばかり。
徐々に焦りが出始めます。
800mで県大会へ行くという目標になかなか近づけません。
少し前の部活を純粋に楽しめていた頃とは違い、この頃は結果ばかりを追い求めてしまい、ついつい自ら息苦しいマインドに陥ってしまいました。
新しい監督さんも、寄り添って色々してくださったのに、何も結果で恩返しできない歯痒さを常に感じていました。
そしてそのまま迎えてしまった最後の総体。
僕は400mと800mと4×100mRの3走に出場させてもらいました。
朝イチの400mは予選敗退。あっという間に終わってしまいました。
覚悟を持って挑んだ午後の800m。タイムレース決勝なので、ここで全てを出し切るつもりでいました。
後悔のないレースをしようと思い、序盤から積極的に攻めます。
先頭を引っ張り、最初の一周を59"で通過。朝の400mのタイムと同じようなタイムで突っ込みました。もちろん垂れました!!!😭
結果は2'12"で8位でした。
そのあとすぐにあったリレーも気合いで走りましたが、ダメでした。強い先輩がいて、それを自分たちと後輩たちに引き継げなくて申し訳ない。
何よりも前の監督と、新しい監督にお世話になったのに何ひとつ恩返しできなくて、悔しかったです。
親父も滅多に陸上の大会は観に来ていませんでしたが(僕が来てって頼まなかったので。)、今回は観に来てくれたのに…
無念。絶対に駅伝で恩返ししようと心に決めました🔥
最後の夏、駅伝に全てをかけると誓います。
Chapter3.やばい、高校に行けない
3年目の夏を迎え、いざ駅伝に注力しようと思いつつも、常に受験が頭をよぎります。全然勉強してこなかったツケが回ってきたのです。
夏の二泊三日の合宿。めちゃくちゃキツかったのを覚えてます。でも、勝ちたかったから、今度こそ結果を出したかったから、追い込みました。
合宿のあとはお盆休みがあって、部活はフリーになりました。
そしてお盆休みが明け、また部活が再会します。
しかし、
そこにあつヤングは居ませんでしたwww
いや、笑っちゃいけないんです。最低なんですよ。
最上級生なのに練習に居ないとか。
この頃、模試の結果も最悪で、このまま行くと正直部活も勉強も、どっちも失敗するんじゃないかという不安に押しつぶされ…。あとは、とにかく結果を出さなきゃと追い詰めた結果、楽しかった部活も嫌になり、ノイローゼになりました。
で、お盆休みが明けて、みんなが練習を再会していた頃、あつヤングはどこに居たのかというと…
練習をバックレていました😅
ディズニーに二泊三日。静岡旅行と箱根旅行にも行きました。現実逃避です。
いや、改めてとことんクズすぎる笑。
陸上も勉強も全て忘れて楽しみました。
いや、受験生の夏休みとは思えない笑
数日間、部活をサボったあと、チームの元へ向かいました。もう、心に決めていました。引退しようと。
勝手な行動で色んな人に迷惑をかけることになります。今までお世話になった方を裏切ることにもなります。
そんなことは分かっていましたが、受験への重圧に勝てませんでした。
いや、受験への重圧をいい言い訳にして、とにかく早く陸上から逃げたかったのかもしれません。
どうしてこうなっちゃったんだろう。
いつの間にか、本当に走ることが嫌いになってました。
芦ノ湖に旅行に行ったときも、箱根駅伝ミュージアムなんてあって、急に現実に引き戻されたみたいでキツかったです(しっかりお土産は買ったけど笑)。
今、思い出したんですけど、このときここの管理者(?)みたいなおじさまに、陸上やってるの? タイムは? どこの県? 名前は? とか色々聞かれ、メモられていたことを思い出しました。期待にお応えできなくて、申訳ありません。メモっていただいたのにビックになれませんでした。
それはさておき、チームに戻った僕は、すぐに監督の元へと向かいます。
『部活、辞めたいです。』
あっさり辞められると思っていたんですよ。
でも、1時間くらい、みっちり怒られてしまいました。。
怒られたというか、目を覚ましてほしかったんだと思います。僕のために、今までの気持ちはそんなものだったのか、とか色々説いてくださいましたが、当時の僕には響きませんでした。
いや、駅伝はやりたかったんですけど、。受験もあったし、陸上で結果が出ないこともあって、病んじゃって、続けられる状態ではありませんでした。
本当にごめんなさい。監督さんには本当に申し訳ないないというか、自分の情けなさにがっかりでした。
こうして、僕の競技人生は幕を閉じました。
走ることは嫌いです。
キツイだけで何が楽しいか分かりません。
あと、担任が監督さんだったから、その後も気まずかったです、笑
Chapter4.最低限の恩返し
頭が良くなかったので、簡単ではありませんでしたが、なんとか第一志望だった桐生高校に合格できました。監督としてでの恩返しはできなかったけど、担任としての恩返しは最低限できたのかなと思いました。
両親も喜んでくれました。普通の高校に受かったくらいでたくさん褒めてもらって。幸せなガキですね。
卒業式が終わって、校舎を後にしようとしていたとき、監督さんが『ちゃんと頑張れよ』って言ってくれたのをよく覚えてきます。
僕は(当時、合否発表も出ていないこともあり)不貞腐れていて、適当な返事を、目も見ないでした記憶があります。最後まで失礼な人間というか、当時のガキが本当にすみません。
監督さんの周りには陸上が好きな、優秀な選手がたくさん集まって、もう、僕のことなんて忘れてしまったと思いますが、知らないところでこれから結果を出して、あのとき監督さんが言っていた通りでしたと実感することが償いだと思っています。頑張ります。
あと、1, 2年生のときにお世話になった熱血監督さんも、いつからか年賀状出さなくなって申し訳ありません笑。
二人の恩師のために、少しは結果を残していきたいなと思います。
はい、少し重い話になりましたが、こうやって僕は陸上を引退しました笑
本当にどうして、こうなっちゃったんでしょうね笑
受験のときのマインドって不安定で、何もかも悲観的に捉えがちなところあるので、それと陸上の結果が出ないタイミングが重なって、ちょうど嫌になっちゃった感じでしょうかね笑
もう、本当に走るのは嫌いになってました笑
高校では別の青春をしてやろうと。
男子校に進学するくせに、青春をしようなんて企んでいました。滑稽。
さあ、いよいよ怒涛の高校生活が幕を明けます。
次週、あつヤング、死す!
じゃんけん、、、 ぽい🖐
うふフフフ😁
次回以降だどん↓↓↓
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