岐路に立つターゲティング広告~『人間らしさ』ドリブンな発想が不可欠~
2016年米大統領選でのフェイクニュース問題以来、不祥事が多発するソーシャルメディアですが、ここへ来て、また新たな課題が浮き彫りとなってきました。ターゲティング広告と『差別』に関する問題です。
そもそも、ターゲティング広告とは、広告主が様々な属性によって広告対象を絞り込んだ『カテゴリー』と、プラットフォーマーの持つ『個人データ』を掛け合わせて、特定のユーザーのページに特定の広告を表示するものです――
▶ ユーザーのページに表示される『ターゲティング広告』
=広告主の設定した『カテゴリー』✖プラットフォーマー『個人データ』
つまり、『カテゴリー』を設定する段階で、様々な属性を取捨選択してユーザー層を絞り込んでいる訳で、一歩間違えば、『絞り込み』=『差別』となるリスクがある訳です。
記事に出てくる事例では、差別との批判を受け、性別や人種、郵便番号などの属性で絞り込む仕組みを廃止するとあります。
カテゴリーが差別になりかねないとは、この記事に接するまであまり意識したことがありませんでしたが、常々、ターゲティング広告に関しては、ユーザーの立場から見て、数多くの課題があると感じていました。それは――
▶ターゲティング広告の問題点
①『過去のデータ』・・・ターゲティング広告は、過去のデータに表れた過去
の嗜好に基づいており、必ずしも今現在の興味・関心の対象と一致して
いない。
②『不一致』・・・何故そのような広告が表示されるのか理解できない事が
ある。
③『不気味』・・・内心考えていたことが広告で表示されると、不気味。
④『不愉快』・・・サイトを移ったり、ページを変えても執拗に同じ広告が
出てきて不愉快だ。
⑤『ターゲティングバブル』・・・フィルターバブルになぞらえた造語です
が、いつもいつも似たような広告ばかりだと、新しい発見はなく、
飽きてしまうのではないでしょうか。
⑥『レッテル』・・・差別とまでは行かなくとも、「あなたはこういう人間
です」とレッテルを張られているようで、不愉快だし、的外れ。
このような問題が起きてきてしまうのは、今のターゲティング広告が、『効率ドリブン』なデザイン思想で作られているからに他なりません。効率至上主義では、広告に接するユーザーの人間らしさに寄り添っているとはとても言えないのです。今後、ターゲティング広告が真にユーザーに受け入れられるものに進化するためには、『人間らしさ』ドリブンな発想での見直し、リデザインが不可欠だと考えます。
(追記:人間らしさドリブンなUXデザインについては、下記の拙稿でも考察しています。)
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