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北京40日目 成都と西安の歴史に触れて、「歴史とは何か」を考えた
皆さんこんにちは
先日、成都と西安に訪れたときにメモしていた気づきを記します。
ずばり
歴史とは何か
という問いについての思考の軌跡です。
①成都&西安 と 日本の私の地元の街 を比べて
旅行に訪れる以前は
上記の対比を考えると真っ先に
成都と西安のほうが訪れる価値がある
と私は考えていました。
でも変わりました。
なぜか。
確かに成都・西安は歴史を象徴するような建築物が存在しています。
でも「人々の生活する場所」という共通点は私の地元の街も同じ。
確かに成都と西安には
「観光地」と言われる「感慨」に浸れる場所はあるでしょう。
だけど歴史とは何でしょう。
ただ単に、年月が経っているものを歴史的、と呼ぶのでしょうか。
違うと思います。
私は
歴史とは
「人の思いの深さが事物を歴史にする。思いの深さが歴史である」
と思います。
どれだけの思いがその土地・事物・事象に注がれているか。
その思いの深さだけが歴史を歴史たらしめるのではないでしょうか。
こう考えると、
私は私の地元の街が非常に価値あるものである、と気づきました。
「故郷に帰りたい」と切に思うのは、
私にとって歴史的で、大切で、思い出が詰まった場所が他でもない
地元の街だからでしょう。
だからこそ②を思いました。
②人生最後には 何を食べるか よりも 誰と食べるか
歴史とは時間の長さではない。思いの深さである。
そう知った私は、以前聞いた父の言葉である
「人生最後には 何を食べるか より 誰と食べるか ではないだろうか」
の言葉の意味を考えました。
「人生最後に何を食べたいか」
という質問に対して
私達はなんと答えるでしょうか
父は家族と共に食事をしたい、と語っていました。
ここから考えたことは
珍しい食材や珍しい出来事・経験(まさに現在の中国留学のように)
を私達は大切にしがちであるが
本当に大切なのは
見慣れた地元やおはようと言える恋人や家族・友人との何気ない時間
である
ということです。
だからこそ私達の世界では
限られた命で何をなしたいのか、
という問が古今東西で存在するのでしょう。
なぜなら、後悔しない人生を送りたいから。
③私のこれからの道
さて、このように
1.歴史とは思いの深さである。
2.大事なのは大事を大事にすること。(『7つの習慣』の言葉です。)
を知った私は何をすべきか。
まずは
大切を見つけているならそれを大切にすること。
迷っている時間はもったいないでしょう。
だって時間は先の分からない命の残りだから。
そして
「選択の正確化」と「選択の正解化」
をする。
そしてその経験値をためて、より満足できる時間を過ごす。
もちろん
「大切を守る勇気」は必要でしょう。
だって
失敗したときに愕然とするだろうから。
自身の無力感と向き合い、
大切を守るために必要な次の一手を考える必要があるから。
でも
勇気を持って前進するかっこよさを私達は知っています。
ヒーローアカデミアのデクのように。
ワンピースのルフィーやゾロのように。
007のジェームズ・ボンドの最期のように。
轟くんが言っていたように
「なりたいものをしっかり見て」生きようと思います。
ありがとうございました。
帰国まであと、77日
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