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やさしくまわり続ける円が、ぼくと妻を包む空気をかえていく。
まだ上の子が2歳くらいの頃、ぼくら夫婦はケンカの仲直りに時間がかかっていました。
今では、そもそもケンカにならないか、険悪になったとしてもすぐに仲直りができます。
なんでこんな変化が起こったんだろうと考えていたんですが、「日本の夫婦 パートナーとやっていく幸せと葛藤」という本を読んで理由がわかったんです。
夫婦関係は三つのステップを踏みながら、円を描くように変わっていくんだそうです。
ふたりが描く円が小さくなれば関係性は改善して、逆に描く円が外へとふくらんでいく場合は悪化していきます。
ぼくらの関係性を振り返ってみると、円がふくらんでばかりだった頃もあれば、小さくなっていった時期もありました。
些細な変化のなかで起こるので当時は気がついていませんでしたが、言われてみれば見事にぼくらはこの円を描いていたんです。
その円は「夫婦関係循環プロセスモデル」と呼ばれています。
◇
夫婦関係は三つのステップをぐるぐると回っています。
一つ目は「拡大・保証期」と呼ばれるもので、結婚したばかりの頃のような良好な関係のことですね。
お互いに信頼し合い、足りないところを補い合い、パズルのピースのようにふたりがかっちりとはまり合う。
合わさったパズルのような一体感を感じ、相手を通して自分の心が広がっていくような感覚を覚える時期です。
まるでバンド演奏のようにすべての楽器の音がぴったり重なり、絶妙なハーモニーを奏でるようなイメージですね。
いつまでもこの一体感を感じていたいと思えるような円満な時期です。
きっとどんな夫婦でも、こういった時期を経験したことがあると思うんです。出会ったばかりとか結婚したばかりの頃とか。
(いつまでもこの人と一緒にいたいな。自分に足りなかったのはこの人の存在なんだ)と思えた頃がありましたよね?
ぼくは結婚したばかりの頃、そんなことばかり感じていました。
三男が生まれ、3ヶ月間の育休を取ったときも、同じような思いを抱いていました。
妻との意思疎通が流れる水のようになめらかにでき、お互いに支え合えている実感を強く感じていました。
ですが、この時期はいつまでも続かず、次のステップである「縮小・背信期」がやってきます。
◇
すれ違いによってお互いに裏切られたように感じ、ふたりの関係性から一歩引いたようになる時期です。
「助けて欲しいときにパートナーが助けてくれなかった経験」
そんな経験をされた夫婦も多いと思うんです。ぼくらもあります。
出産後はふたりともキャパオーバーで生きているので、相手のことを考える余裕が特になくなっちゃいますよね。
ぼくの場合、妻が大変なときに仕事を言い訳に家庭から逃げ出そうとした時期がありました。
子どもが小学校に入ってからや、子どもが増えて幼児期と学童期の子どもがいる時期(まさに今の我が家です)は、子どもたちへの異なるケアに翻弄されて、パートナーの不満を吸い上げる機会を失いがちですよね。
うちには7才の長男次男と3歳の三男がいますが、幼児と学童って育児の種類が違うんですよね。
3才にはまだ「お世話」が必要だけど、7才には話を聞いてあげる「心のケア」が必要なんです。
体と心の発達段階によって必要とされる育児内容が異なるので、ぼくら夫婦は一日の終わりにはクタクタになっています。
そこに仕事のストレスが加われば、肉体と精神の疲労がマックスに達し、お互いに気づかい合う余裕なんてなくなってしまいますよね。
すると、自分の中の小さな不満がどんどんふくらんでいき、伝えられない相手への不満が形を変え、硬いものへと変わっていきます。
そして、いつしかお互いに裏切られたようにも感じていくんです。
ぼくらも、疲れ果てて険悪になる夜もあれば、お互いに抱えているものをさらけ出し合い、お互いを受け止め、理解し合える夜もあります。
そして、この「お互いに抱えているものをさらけ出し合い、受け止め合い、理解し合える」時期が、次のステップである「和解期」です。
◇
長男次男が0才から2才の頃、ぼくら夫婦は生まれたばかりの双子の命を絶やさないことに精一杯で、自分たちの心のケアまで十分にできませんでした。
授乳、お昼寝、食事、寝かしけ、隙間を見つけてなんとか形だけでも整える家事。
子どもの命を継続させることだけがぼくらにできる精一杯で、ぼくは妻の心の葛藤まで気が回りませんでした。それは妻も同じだったと思います。
ぼくらふたりは、お互いに相手に感じている葛藤や、すれ違いを見て見ぬふりをしたんです。
”これは相手に頼ることじゃない。だって育児の話じゃないんだから。自分が寂しいと言ったって、今は育児が大変だからどうにもならない。自分でなんとかしよう”
おそらく、ふたりともそう感じていたんだと思います。
”育児”ではない”心の葛藤”は、夫婦で解決すべき課題ではないと。
でも実は、これこそがふたりが解決すべき課題だったんです。
話を聞いて欲しいけど聞いてもらえない苦しさ、言いたいことをうまく言葉にできないもどかしさ、こんなことを言ってもいいのかなという葛藤。
小さな悩みがぼくらの心にそれぞれ降り積もり、いつしか自分の心が感じる声は聞こえなくなり、相手への不満だけが残ったのです。
子どもたちが3才になる頃、この状況をなんとかしたいと思い、妻の心の声を聞くことにしました。
思えばそれが、三つ目のステップである「和解期」だったのだと思います。
妻の不満を聞き出し、細かく分解し、本当に悩んでいることへの解決に集中しました。
それは、話を聞いて欲しいという寂しさであったり、苦手な家事をやっている辛さであったり、(そこだったのか……!)という意外なものばかりでした。
少しづつぼくらの関係性が改善され、やがて三男が生まれ、ぼくは3ヶ月間の育休を取りました。
この育休期間に妻との心理的な絆はさらに強くなり、ぼくらはちょっとしたことならすぐに仲直りできるようになったんです。
◇
思えばそれは、お互いに裏切られたように感じる「縮小・背信期」から抜け出しやすくなったおかげで、「拡大・保証期」「縮小・背信期」「和解期」の三つをぐるぐる回るスピードが早くなったからだと思うんです。
ちょっとしたすれ違いや相手の不満があっても、お互いにすぐに口に出すようになったし、相手がそれを話すまで辛抱強く待つようにもなりました。
パートナーに対する不満を漏らすことは、自分のメンタルを管理できない自己嫌悪や、相手を責める罪悪感にもつながりますよね。
だから、口にするのは辛いのだけど、ぼくらは相手の心から小さな不満を引き出すように努力をしたんです。
なぜなら、その”小さな不満”を放置しないことが、夫婦関係においてものすごく重要であることに気がついたからです。
ぼくらはここを怠ったから、苦しんできたんです。
妻の小さな不満を放置するということは、「和解期」に入れないことを意味します。
「和解期」に入れなければ、良好な関係である「拡大・保証期」にも入れません。なぜなら、この二つはつながっているからです。
仲直りをしなければ、良好な関係にはなれないですもんね。
妻の”小さな不満”は妻が解決すべき問題ではないんです。この”小さな不満”は、ぼくとの関係性のなかから生まれてきた不満なんです。
ということは、ぼくとの関係性のなかで解決する課題なんです。
だからこそ、ぼくは妻の小さな不満を見逃してはいけないんです。
これは、逆も同じなんです。
ぼくの中に芽生えた”小さな不満”もまた、妻との関係性のなかで生まれたんです。
ぼくの中にある小さな不満も、妻との関係性のなかでしか解決ができないんです。ぼく一人が悩んでいてもどうしようもないんです。
ぼくらは”夫婦”というシステムのなかで生きているんです。
ぼくらはお互いの心に反響し合う楽器のようなものです。
妻の心に生まれるさざなみも、ぼくの心に生まれるさざなみも、それぞれが勝手に生み出したものではなく、ぼくらふたりの関わり合いのなかで生まれてきたものなんです。
ぼくらは自分たちでも気がつかないうちに、強い影響を受け合っているんです。
それに気がついたぼくらは、三男が生まれてからは特にお互いの心の声に耳を傾けるようにしました。
ときには自分の至らない点を直視しなければならず、辛いときもありました。
だけどそれは、責められているわけではないんですよね。
ふたりの間の空気の流れを変えようとしているんです。
自分が作る空気の流れが、妻のまわりの空気を変え、それがぼくらふたりがまとっている空気すらも変えていく。
気がつけばぼくらは、円満な時期、すれ違いが起こる時期、仲直りする時期、これら三つが回る円が小さくなっていることに気がついたんです。
以前なら強い遠心力で相手を傷つけ合っていたけれど、今では緩やかに回り続けるその小さな円が、ぼくらふたりがまとう空気を優しいものに変えてくれる。
仕事に家事に子育てに、目まぐるしい毎日のなかで相手への気づかいができないときもあるけれど、優しく回るその円の存在を忘れなければ、ぼくらは大丈夫なんじゃないかなと、今では思っています。
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