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【読書】『原発事故と「食」 - 市場・コミュニケーション・差別』(五十嵐泰正)

「風評被害」の現状を知り、未来について考えるために。

社会学者である著者が、東日本大震災後の「買い控え行動」(主に食品)に対して、複数分野からアプローチしている著作。個人的に注目した記述をピックアップしてみたい。

まず、本書の構成は次の通りである。

序章  分断された言説空間
第1章 市場で何が起こっていたのか
第2章 風化というもう一つの難題
第3章 社会的分断とリスクコミュニケーション
第4章 最後に残る課題
終章  そして、原発事故後の経験をどう捉えなおすか

問題の切り分け

著者は、原発事故以降の問題群における「4つの大きな課題」の切り分けを強く提唱している。ここでの、4つの課題とは

①科学的なリスク判断
②原発事故の責任追及
③一次産業を含めた復興
エネルギー政策

である。これらは、深く関わり合っているものではあるが、著者はあえて分けて考えることの重要性を繰り返し指摘している。

「風評」被害の政治化

序章から第1章にかけて、著者は「風評」被害という言葉が、関谷(2011)の定義をこえた使われ方をしていることを指摘している。少々長いが引用しておきたい。

2015年頃から、メディア報道や著名人が、放射線リスクについて懸念を示したり、福島の復興の現状についてネガティブな表現をしたりすると、ツイッターでは「風評被害に加担している」「デマだ」と、一斉に叩かれるようなケースが多くなっていった。それだけではなく、「いまさら不安な人たち」と対話しようとする姿勢さえも、批判の対象になりだした。(p.13)
政府が採用する主流の科学的見解を受け入れて、放射線リスクを低く見積もり、政府の基準値や検査体制を信頼する人は、検査をクリアして市場に出回る福島県産品を買い控える行動などを非合理的だと考えるがゆえに、それらを風評被害と呼ぶ。(中略)
一方で検査体制を信頼しない、あるいは基準値を受け入れない人にとっては、同じ行動が内部被爆を避けるための合理的な行動であり、福島県をはじめとする被災地産品が被った基準値以下の汚染も含めた被害を、実害と呼ぶ傾向にあった。(中略)
前者にとっては、メディアにあおられた被災地への憎むべき差別そのものとして、後者にとっては、実害を矮小化し事故責任を免責する機能を果たすこれまた憎むべきレトリックとして、風評被害という言葉はそれぞれに拡張した意味をまとってゆく。その結果、この言葉を使うかそのものが、政治的な意味合いを持つようになっていった。(p.20-21)

中立そうに見えて、やや「安全派」寄りの意見であるような印象は否めないが、ここでの指摘は非常に的を射ていると感じた。先日、望月優大さんのnoteで「ファクト→スタンスの順序が大切」という指摘があったが、ここでもまったく同じ指摘が有効であると思うし、以前のnoteで指摘した「許容性」をめぐる議論にも直結すると感じる。「風評」被害という言葉が対立軸になってしまっては本末転倒であろう。

「風評」被害の解消に向けて

著者が紹介している意見をいくつか列挙しておきたい。

放射性物質が不検出だった、すなわち他産地と同じスタートラインに立っただけでは、仕入れを福島県産に戻そうという動機としてはいま一歩弱いということもある。これを農業経済学者の則藤孝志は、流通業者が福島県産に戻すことのスイッチングコストとして説明している。市場構造が変化してしまうと、もはや棚を取り戻すことは、新規の市場開拓と同等以上の高いハードルとなってしまうのだ。(p.25)
福島県の調査によれば、消費者にとって何よりも購入意欲が高まる情報は、「店頭に置かれていること」である。これは、福島県産を購入する層だけでなく、購入していないそうにもかなりの効果をもたらしている。(p.46)
社会心理学の分野では、専門家の専門能力の高さや公正さの重要性を説く伝統的信頼モデルに加えて、情報の受け手が自らと価値観を共有していると感じられる専門家からのリスク情報の伝達の意義を強調する、主要価値類似性モデルが重視されるようになっている。(p.141)

よい風化と悪い風化

著者は、時間経過による「風化」を2つの種類に区別することを提唱している。

原発事故への関心が薄れ、すっかり放射線リスクを気にしなくなったために、消費行動や観光行動が事故前と変わらない状態になることが「よい風化」。(中略)心の中に嫌な引っ掛かりを残し、消費行動が震災以前に戻るわけではない形で忘却が進んでいくことを、本書では「悪い風化」と呼んでみたい。(p.76-77)

その上で「悪い風化」という壁を乗り越えるために、情報のアップデートを促すことのできる「伝えかた」を考えることの重要性を指摘する。その中で、心理学や行動経済学でしばしば用いられる「二重過程理論」の枠組みを用いて、次のような指摘をしている。(二重過程理論については、こちらの記事を参照)

まず考えられるのは、システム1に直接ポジティブに響く感情的なメッセージを届けること。次に、関心の低下を越えてシステム2をこじあけ、情報とイメージのアップデートを促すような、強い興味を喚起する形で現状を伝えること。このいずれか、もしくは双方を複合的に組み合わせた伝えかたを、戦略的に目指すべきではないだろうか。(p.100)

これまで有効だった「食べて応援」のような被災地支援感情の効果が弱まる中、いかにシステム1にはたらきかけるかが現在の大きな課題となっている。だが、購買行動における判断基準は、放射線リスクを含めた安全性だけでなく多岐にわたっているものであり、もはや「風評」の払拭ではなく普通のマーケティングの領分になると著者は指摘する。

三つの道筋

こうした議論を踏まえて、著者は「風評」払拭と福島県産品の需要拡大に向けた道筋を三つにまとめている。

①買い控えを固定化する市場構造の変化を踏まえた、マーケティング戦略(第1章)
②風化が進む局面で、消費者に情報と関心のアップデートを促す価値の発信(第2章)
③特定の生産者への価値観の共有と人格的信頼をきっかけとするコミュニケーション(第3章第2節)
(p.149-150)

社会的分断、差別・デマの問題

最後に、著者は「社会的分断」について取り上げた上で、「差別」の問題についても言及していく。ここでは、著者が「デマ」とどう向き合うべきかについて述べている部分を引用する。

①特に悪質な差別につながりやすいデマを科学とは別軸の論理で排除したうえで、
②正常な判断を狂わせるデマを科学的知見から排除し、その発信源の責任を厳しく問うと同時に、
③タブー化の弊害を避けるため、異なるリスク判断に基づく選択を相互尊重のうえで対話を模索する。(p.198)


中公新書の本ということもあり期待は高かったが、それを上回るほどに内容が充実しており、「学術書」と呼んでも差し支えないレベルの良書であった。東日本大震災、そして福島第一原子力発電所事故が起こってから、どのような「風評」被害が起こったのか、また、どのようにそれらは解決しうるのか、福島にとどまらず日本の未来について考えるために役立つ一冊である。

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