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あなたはまだモグラ叩きを続けるの?

誰もが一度は、ゲーセンで「モグラ叩き」で遊んだことがあるんじゃないのかな、私はある。最近はとんとゲーセンにも行かなくなった、と言うか、まだあるんですか、ゲーセンって。そもそも「ゲーセン」って死語なのか?

次から次へとモグラが顔を出すので、ハンマーで叩いて、穴に戻すと得点になるが、一度叩いてやっつけたモグラも数秒で復活してまた顔を出すので、またハンマーで叩く、の繰り返しで、100円分の時間制限がなかったら、永遠に一生このままモグラを叩いて人生を過ごすような気分にさせてくれる。

ニコニコ大百科によれば、「日本生まれのゲームで、最初に世に登場したのは1975年のこと。」なんだそうだ。それと、「こちらでたたけばあちらで顔をだし、あちらでたたけばまた別の場所で騒ぎ出すなど事態がなかなか終わらない・いつまでも決着がつかないことを”モグラ叩き”というようになった。」ともある。

今日のお話は懐かしのゲームを語ることじゃない。私の時間泥棒のnote記事OUTLOOKのスケジューラのことを書いたんだけど、そのスケジューラとモグラ叩きのお話。

時間泥棒 プロローグ
内線がなった。
私が出る前に秘書のMさんがとったようで、彼女の声が聞こえてきた。
「はい・・・飯室さんの予定ですか、もう今週も来週もいっぱいですよ。うーん30分? そうですね・・・あ! 今日の昼休みなら何も入ってませんから・・・いえいえ、大丈夫ですよ、飯室さんならお昼ご飯食べなくても、気にしないで。はい、では12時から30分入れておきますね」(実話)
Mさんはにっこり微笑みながら、私のOUTLOOKの予定をテトリスのように隙間なく詰め込んでいく。彼女は社内の会議であれば、ダブルブッキングなんかは平気な顔をして「自分で考えて両方に顔を出してくださいね」と言いながらトリプルブッキングまでも辞さない(クドいけど実話ね)。OUTLOOKを開くと今週も来週もびっしりと予定が1分の隙間なく詰まっていて気持ちがいいくらいだ。カレンダーを埋め尽くす会議のほとんどは私以外の誰かが主催するモノばかりだ。誰かがOUTLOOK経由で会議案内を送れば自動的にカレンダーに表示されて、承諾するか、拒否をするかと選択を迫られる。

別名「モグラ叩きスケジューラ」

何か、予定や用事ができたときには、
1)スケジューラの空きを確認して
2)空いているところへ用事をいれる

以上! って予定は次から次へとどこからか湧いて出て来てはメールで飛んでくるので、この因果なメカニズムを変えない限り、因果の「因」すなわち根本原因を絶たないと、永遠に一生このままスケジューラに予定を入れ続けてはモグラ叩きな人生を過ごすような気分にさせてくれる。

けっきょく、システム手帳のカレンダーを使っていようが、ITツールになっているスケジューラであろうとも、そんな使い方と予定の立て方が「モグラ叩き」になっているから何も変わらないのだ。使う道具や仕組みやプロセスを変えると言った自分の外側を変えるアプローチではなく、自分の考え方と行動様式そのものを変えないといけない。

つまり、技術や道具を使って仕事の予定を管理することで問題を解決しようとする「技術的な問題解決」に頼る限りは、便利な気分になってくるが、忙しいだけで、相変わらず「モグラ叩き」を仕事として管理して、効率的に「モグラ叩き」をして生産性を上げて、より短時間に多くの「モグラ叩き」をしているに過ぎない。スマホでワンタッチでスケジューラは起動するし、Googleカレンダーが勝手にGmailを読み込んで「モグラ叩き」を自動で予定として組み込み管理してくれるような「モグラ叩き」が便利な世の中になったとして、それは一生モグラ叩きな人生を過ごすのは変わらないのだ。

じゃ、どうすんの?ってすぐにHOWな解決法を考えたくなるのが、もはや「モグラ叩き」思考なんだけど、そもそもスケジューラというか予定管理はどうあるべきか、何を管理すべきか?とWHYなゴールの話を考えてみる。

どんどん勝手に誰かに予定を放り込まれて、あぁ、時間がない、時間がないと嘆く割にはたいしたことに時間を使っていないわけだけど、じゃ、他にする仕事がないのか?って考えれば、それが仕事(ワーク)であろうが、個人的なこと(ライフ)であろうが、本来の目的があるはずだ。なんだか、モグラ叩きが通常業務のようになってしまって、それが本業のようになっているが、そうではない。仕事であれば事業の目的(Goal 単数形=ひとつしかない目的、存在意義)があり、事業目標(Goals 複数形=複数ある、より具体的な目標、マイルストーン)がある。人生であれば生きる目的があり、1年の抱負の誓いを立てていたりする。そうだ、そうなのだ、そっちこそが本業じゃないか!

本業のほうはどうなっているのだ?

まず本来は、そのお仕事の本業だけで予定帳やスケジューラーのカレンダーは埋め尽くされているはずなんじゃないだろうか? たぶんやることリストにすれば、やりきれないほどやることがあるはずだ。今年1年の達成目標やプランが山積みのはずだ。しかし、定期的な会議以外では、やることリストは具体的に「何月何日何時何分から誰と何をする」と決まっていなければスケジューラには入れることはなく、有限な時間という資源の管理対象にはならない。ちっと気の利いた人であれば、スケジューラと連動するようなタスク管理をやっているかも知れない。それでも、多くはタスク管理は「やることリスト」としてカレンダーの上では管理されていないことが多い。だからガラ空きのカレンダーが出来上がって、そこにモグラがやって来てカレンダーを埋め尽くすのだ。本来の優先順位は、目的>目標>モグラ叩きのはずだから、まずは本業だけで1年間のカレンダー埋め尽くすべきなのだ。

1)目的を達成するために、具体的な目標へと因数分解する(マイルストーン化)
2)分解したマイルストーンを達成するための活動・行動を決め
3)より具体的な活動・行動のボリュームと時期を決めて、
4)カレンダーに、それをいつから始めて、いつまでに終わらせるか記入し
5)そうだ・・・これはプロジェクトマネージメントと同じなのだ、自分自身をプロジェクトマネージメントするのだ、これからは
6)自分の本業の目標達成のための通常業務で、カレンダーをいっぱいにしておく

同様に仕事以上に大切な自分の人生において、つまり人生という本業では1年先、2年先、いや、いつ終わるか知れない人生全体まで見据えた「やることリスト、やりたいことリスト」があるはずなのだ。そっちはいったいどうしたのだ? それはGoogleが管理してくれていないのか? それだって、カレンダーに書き込んで予約をしていけばいいだけだ。

私の場合、今年の一番最初に決めたのは、宮古島で1ヶ月過ごす計画。これを9月30日からの1ヶ月間、カレンダーに埋めこんだ。そして大事な身体のチェックと健康維持のための通院スケジュールを1年分先に入れておく。小机駅前のヘアカットも正確に5週間ごとに通うので、それもセットする。毎週水曜日の朝9時15分からは奥様の通院で送り迎えをする、も入れておく。誕生日や記念日も予定を決めて確保する。

その後に、ようやく自分の仕事をどうしたいのか、1年で成し遂げたいことを細かく分解して、タスクレベルにまで再設計して、毎週の予定に時間を決めてセットしていく。月曜日は朝の何時から何をするか、Facebookライブで15分、その資料作成をいつ、どれくらいの時間を掛けるか、スケジューラに入れておく。そうやって1日の予定、1週間の予定、1ヶ月の予定、1年の予定が決まっていく。そうするともはやモグラが入る余地がなくなるのだ。

でも、これって手順やプロセスでもないし、タスクマネージャやプロジェクトマネージャースキルを磨くとか、そーゆー話じゃない。

「そりゃ、飯室さんは会社に通わずに、自由に時間を使えるフリーランサーなんだから当たり前じゃん」と思われるかも知れない、が、そうじゃないのだ。人生の時間は有限であり、時間は命の時間そのものであると気づいてからは、モグラ叩きなんかで自分の命の時間を無駄に捨てるようなことができなくなっただけなのだ。

つまりね、やり方が変わったんじゃなくて、気づいたことで、自分の考え方・価値観・行動様式が変わったのよ。

つまりこれは適応課題

つまりは専門家の知恵を借りて解決する「技術的問題」なのではなく、自分自身が変化に適応できる自己変革能力を高めることで解決する「適応課題」であると認識しない限り、永遠にモグラ叩きを続ける羽目になる、ずっと。

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