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「時間泥棒」は誰だ プロローグ

日経で連載している経営者に読ませる「B2Bマーケティング攻略ガイド」は、もはやマーケティングと言うよりも、経営やリーダーシップ、変革の加速というテーマに変容してきているが(笑)、おかげさまで6月19日(水)の最新記事の 時間泥棒は二人いた! を投稿したら、ランキングでトップ5を独占できた。皆さん、たくさんお読みいただけて感謝です。

ありがとうございます。

時間泥棒 プロローグ

内線がなった。
私が出る前に秘書のMさんがとったようで、彼女の声が聞こえてきた。
「はい・・・飯室さんの予定ですか、もう今週も来週もいっぱいですよ。うーん30分? そうですね・・・あ! 今日の昼休みなら何も入ってませんから・・・いえいえ、大丈夫ですよ、飯室さんならお昼ご飯食べなくても、気にしないで。はい、では12時から30分入れておきますね」(実話)
産業医や人事の人が聞いたら卒倒しそうな会話だが、これは作り話でもネタでもなんでもない。私が200人の組織の責任者をやっていた時は、私のすべてのスケジュールは秘書が管理していて、私自身でさえも勝手に予定を入れたりすることはできなくなっていた。もはや私の威厳はなく、秘書にマリオネットのように操られるだけの日々、そんな気分だった。いや、もちろん彼女は最高の仕事をしてくれているから、感謝に絶えない。もうずいぶん前の話、おそらく2013年とか、2014年くらいだったと思う。

「飯室さん、Tさんから急ぎで戦略レビュー会議が入りましたから、お昼はこの部屋でお願いしますね」
Mさんはにっこり微笑みながら、私のOUTLOOKの予定をテトリスのように隙間なく詰め込んでいく。彼女は社内の会議であれば、ダブルブッキングなんかは平気な顔をして「自分で考えて両方に顔を出してくださいね」と言いながらトリプルブッキングまでも辞さない(クドいけど実話ね)。今日は久しぶりにゆっくりとお昼休みがあると思ったのに・・・。

もう自分でスケジュール管理しなくなってから久しい(たぶんこの時点でもう10年くらいはアシスタントや秘書の方が助けてくださっておりました)が、OUTLOOKを開くと今週も来週もびっしりと予定が1分の隙間なく詰まっていて気持ちがいいくらいだ。一度、自分で勝手にアポ入れたり、会議案内にOK出したりして、ずいぶんと混乱させてしまったことがあって「スケジュール管理できないんですから、自分でやらないほうがいいですよ」と釘を刺されたのを思い出す(実話)。

もう、これを見てるだけで働いている気分になってくるから不思議なモノだ。だが、これでは経営者として仕事をしているとは恥ずかしくて口が裂けても言えない。3ヶ月くらい先までは、ほぼ会議や外出で埋まっているので、仕事がなくて路頭に迷うことはない。しかし自分の時間を自分でコントロールできないのは、「運転席に座りがならもハンドルを握れないもどかしさ」とでも言えば、判っていただけるだろうか?

つまり、カレンダーを埋め尽くす会議のほとんどは私以外の誰かが主催するモノばかりだ。誰かがOUTLOOK経由で会議案内を送れば自動的にカレンダーに表示されて、承諾するか、拒否をするかと選択を迫られる。30分ならまだしも60分や120分の会議招待もザラにあるが、それはつまり会議主催者が私の時間を30分、60分、120分という単位で奪っていくことを意味する。ひねくれた呼び方をすれば「時間泥棒」だ。それを秘書のMさんは秒単位で隙間を埋めてくれるから、効率はいいかもしれないし、私の時間を大切にしてくれているとも感じる。でも、それは私以外の誰かのためなのだ。

時間は大切だ。無駄にはしたくない。よく「時は金なり」というけれど、それに異論は無い。しかし、こんな風に刹那的に会議依頼に応えているだけでは、とても経営をしているとは言えない。

私たちには1日に24時間、1週間に7日、一月に約30日、1年365日しかないのは平等だ。しかし、人によって、それがいつまで続くかはまちまちだ。寿命まで生きる人もいれば、病気や事故や事件である日突然終わりを迎える人もいる。誰にも、人生の時間がいつまでか、なんて判らない。

 だからこそ人生を大切に生きたいと思うが、でも「時は金なり」と言ったところで、時間をお金で買えるわけじゃない。ましてや自分の命の時間はお金には換えられないほど貴重なモノだ。時は金なりだからって、お金をいくら儲けたところで、そのお金を使う時間さえままならないのだ。さらに命の時間を削って、いったいどうするというのだ。

これからは会社の仕事とはいえ、「私の命の時間を削って仕事をしている」と考える。

これからは誰かに勝手に会議を入れられるのは『時間泥棒だ』などと悠長なことを言っている場合ではなく、「命の泥棒」と言い換えると考える。

そう認識できれば、話は簡単だ。これからは、会議依頼であろうとなんであろうと、「本当に自分の限られた命の時間を使ってまで参加する意味のある会議なのだろうか?」という判断基準で、愚にもつかないくだらない会議は断ってしまえばいい。これまでのように、依頼が来たらとりあえず承諾するのではなく、「自分の命と引き換えにする」覚悟があればなんだってできる。

自分の人生の時間をもっと主体的に使う。
自分の命の時間の使い道は自分で決める。

そのためには、
1. その命を費やす人生の目標をしっかりと持って、目標を達成するための自分の「人生プロジェクト」を動かすのだ。
2. その人生プロジェクトの目標を、たとえば生きていれば10年後までにどうなっていたいのかを見つける、いや5年後でもいい。
3. 次にはマイルストーンとして3年後にはどうあるべきか、1年後にはどうあるべきかを決めるのだ。
4. そのマイルストーンを実現するためには、毎月、毎週、毎日、何時間を何に費やすかを設計する。
5. それらを先にすべてカレンダーに入れて、予定を埋めておくのだ。
6. それは、あなたの人生プロジェクトを実現する他の何物にも代えがたい貴重で、命と同じだけの価値があるものだ。
7. だから、誰かの会議依頼なんかで、命の時間を捨ててはいけないのだ。

それくらいの覚悟を持てればなんだってできる。

だって、「時は金なり」じゃなく、「時は自分の命なり」なのだから。

でも、この1〜7はあくまでプロセスでしかなく、このプロセスが決まれば、仕事が何でも上手くいくとは限らないのだ。そう、そういう意味では、この話につながるのだ↓。

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