ファッションと精神世界
こんばんは <Atelier du YUEN>のYUENです
前回書いた記事の「ハジメマシテのご挨拶」続きから
その前に、大切なことを書きそびれました
前回の記事で<自己完結の世界と他者から見られる世界>と書きましたが、自己完結の世界とファッションが遠いわけではなく、むしろ非常に近しい存在であると感じていることは先に述べておくべきかもしれません
両者の世界において、最も違うものは他者という言葉に内含される第三者の眼のように一見思えるかも知れませんが、自己と他者を切り離せないのがファッションだと考える現時点での私からすると少し異なります
ファッションを気にかける人は、大小問わず何らかしらのセルフイメージを持ち、セルフプロデュースを意識をしているかしていないかを問わず行っていると考えています
それは、なりたいものへの憧れであったり、自分の内面の表現であったり、自身の魅力を引き出す、あるいは不足しているものを補おうとしたり
モノを身に着けるとき、人は必ずどの角度からであれ、正誤はともかく、自身を見ていて、その上で選択していると私は考えています
自己完結の世界における眼も、他者を意識した世界における一番最初の眼も自身にあると
さて、話は前回の終わりに戻りますが、
「なぜ色とりどりの透明感がファッションにおいて必ずしも味方にならないと感じたか」
私の答えは簡単で、それは「人には色があるから」につきます
当たり前の答えだと拍子抜けさせてしまったら申し訳ないです
でも、だからこそ面白いと思っているのです
<人>はそれ自体が多色であり個体差が大きく、容姿に至っては非透明
そこに、さらに色のついた様々なデザインの非透明な洋服を着ているのです
端的にかつ限定的に言うなれば、限りなく平面に近い私の作るアクセサリーでは、透明であるいくつかの色が、はたまたその色を含めたデザインそのものが、肌の色やお洋服によっては死ぬ可能性が出てきます
では、そうならないように、着用される方の肌の色やお洋服の色を限定してもらえば良いでしょうか 私の答えは「NO」です
そこから導き出されたのが、一般的なステンドグラス風とは少し遠い、透明感のあまりない現在のYUENのアクセサリーのスタイルとなっています
ここで、一つ大きな疑問が湧くかもしれません
「なぜ、YUENは色が死ぬ可能性のあるアクセサリーを好まないのか」
その答えは、もしかしたら私のアクセサリー制作における根幹となっているのかも知れません
長くなってしまったので、今回はこの辺で
また次回もお付き合いいただければ嬉しいです
Atelier du YUEN
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