『読書感想文不要論』って面白い議題だと思う【長編】


アナタは読書感想文がいらないと思う?

この記事が投稿される日から、あと1か月もすれば夏休み。

そんな夏休みにおける一つの障害。
小学生における難易度最高峰の宿題。

読書感想文!

さて、興味深い話がある。
昨今、読書感想文は不要であるという考えもSNSなどで取り上げられる。

『読書感想文不要論』だ。

検索すれば、読書感想文の攻略法などもある便利な時代。
最近はAIという反則技まである始末。
不要論は根強い。

さて、本題の私の立場だが、読書感想文は不要なのか?

大賛成である。

タイトルからすれば「必要だ!」と言うと思われるかもしれない。

だが、私は逆!

はっきり言うが、活字離れを加速させた原因の1つと思っている。

強制という押し付けに、人は嫌がるものだ。

でも、私は読書や文筆は嫌いじゃない

一方の私だが、実は読書も嫌いじゃない。

文章を書くのも嫌いじゃない。
なんなら、考察などは大好きである。

読書感想文もいつからか苦ではなかった人間だ。
むしろ「文章を書くのなんて簡単だね!」と思っていたくらいだ。

小学校の頃、読書感想文に指定された原稿用紙の枚数3~5枚。

ものすごい余裕だった。
そして、振り返れば常々「文章力が高い」と言われてきた記憶がある。

まぁ、個人的には文章力が高いと思っていない。
自分より上の人はいくらでもいると思っている。

ただ、書くのは好きではある。
それこそ、小説などもよく書いたものだ。

いや、とりあえず自分の文章力が高いかどうかは置いておこう。


私が文筆好きになった面倒な流れ

ここで考えてみるのは、『自分が書くのを苦にならなくなった理由』だ。

これらを考えると以下の流れがあった。

読書感想文で面白い本を知る(出会い)

感想があふれ出てくる(夢中)

メチャクチャでも『自由に』文章を書く(チャレンジ)

下手ではあるが文章を書く苦手意識がなくなる(意識変革)

文章書くの楽しいかも?(気づき)

より文章を書く機会を作る。あるいは恵まれる(学び1)

もっとうまくなりたいと思う(向上心)

名作の文章を真似をする(学び2)

文の書き方や文体が理解できてくる(学び3)

文章力の向上を指摘される。あるいは自覚する(成功体験)

文章書くの楽しい!


という一連の…正直、メチャクチャめんどうな流れが私にはあったのだ。

要所を切り抜いていく。

『出会い』→『挑戦』→『意識変革』→『気づき』→『学び』→『成功体験』

実に簡素なものだ。

では、最大の難関は? 
恐らく『出会い』だ。

これこそ、もっとも難しいと思う。
つまり、最も重要なのは「運命の一冊」に出会うことだ。

しかし、現状はどうだろう?
「書け!」と言うだけで放置しているのではないか?


やらせるなら運命の1冊を一緒に探すべき

「自分で見つけることに意義がある!」
その意見も分からなくはない。

むしろ、自分で発掘したならば、素晴らしい。
その一冊は間違いなく人生を大きく変えることになるだろう。

だが、考えてほしい。

昨今、小説以外にも星の数ほどある面白いコンテンツがある。
アニメ、マンガ、ドラマ、映画、Youtube、ゲーム、スポーツ…etc.

これだけの中で

「人生を変えるインパクト」を得られるもの。
それが小説限定である必要があるのか?

どうして小説を選んでくれると思うのだろうか?

それは怠慢。
いや、もはや傲慢と言ってもいいのではないだろうか?

運命に出会う難易度はいかほどだろう?

だから、運命の一冊に出会うサポートをしないなら、辞めるべきだ。


個人的見解による解決法

さて、ここで個人的な解決法。

聞き流してくれて結構ではある。
興味のある方だけ聞いてほしい。

読書に限定するのが良くないと思う。

そもそも読書感想文の本質とはなんだ?

読書感想文全国コンクールでは以下のように書かれている。

『読書感想文は、何のために書くの?』
 書くことによって考えを深められるからです。
 読書感想文を書くことを通して思考の世界へ導かれ、著者が言いたかったことに思いをめぐらせたり、わからなかったことを解決したりできるのです。ですから読書感想文は「考える読書」ともいわれます。
 また、どんなに強く心を動かされても、時がたてばその記憶は薄れてしまいます。読書感想文は自分自身の記録です。読み返すことによって、いつでも「感動した自分」に出会うことができるのです。

「読書感想文全国コンクール 公式HP」より引用

個人的には重要な要素は

  • 思考の世界へ導かれ、著者が言いたかったことに思いをめぐらせたり、わからなかったことを解決したりできる。

  • 読み返すことによって、いつでも「感動した自分」に出会うことができる

だと思うのだ。

つまり、肝心なのは……

感想を持つ」
「思考する」
「心が動くコンテンツの感想を持つ」
「己の文章で書き出す」

……この4点だ。

ならば、読書=小説にこだわる必要はあるのだろうか?

色々書いてしまったが、これ以上は別の論議になってしまう。
なので、ここまででとどめておく。

ただ、私の言いたいことは簡素だ。

私は「文章を書いた」から「文章を読むようになった」。
そんな経験から、まず書くことを優先するべき。
感想を書くだけなら、小説のこだわる必要はない。

このように考えているのだ。


感動が本質なら、いっそ極ぶりしよう!

重要なのは感動だ。

泣くことでもなく、喜ぶことでもない。心が動くことこそ感動。

感動の先にあるコンテンツを小説に限定する必要はない。

いつか小説に手を出してもらう準備のように割り切る。

一向に構わないではないか。

読書感想文は『感動の感想文』として使うべき。

それも1つの手だと思う。


ここまでで約2300文字。
原稿用紙5枚以上……なるほどなるほど。
どうやら今回も先生に褒めてもらえるだろう。
きっと私はもっと文章を書くのを好きになる……かも。


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