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「なりすまし」の話

ネトフリで「THE CIRCLE」を見ている。
映画ではなくてリアリティーショーのほう。
最初にフランス版を見て、いまはアメリカ版。
ちょっと飽きてきたけれど。

昔、渡仏したとき、私はまったくといっていいほどフランス語ができなかった。
いまはさらにできない。
事前の勉強は、挨拶と数の数え方だけで、カレンダーの紙の裏に書いてトイレに貼った。
NHKの「フランス語会話」を見たけれど、これと言って身についたものはない。
大学の第2外国語はドイツ語で、フランス語より「人数が少なそう」という基準で選んだ。

重宝したのは現地のアパルトマンにあったテレビだ。
前の住人が置いていったもの。
それでクイズとドラマを中心に見た。
文法がどうのとか問われないラフな会話に耳が慣れる。

いま見ている「THE CIRCLE」がいいのは、参加者が発した言葉がすぐに文字入力の形で示されること。
彼らは、直接会うことを禁じられて「CIRCLE」という音声入力システムを通じてチャットだけで交流を進める。

だから、視聴者には音と文字が同時に示される。
学習のための正しい発音や文法ではなくて、同じ語句でも感情でイントネーションが変わる生きた言葉だ。
いまはアメリカ版だが、フランス版同様、見始めたときよりヒアリングや語彙力が上達している気がする。
汚い言葉もたくさんあるが、こういう場合にこういう言い方をするんだなとわかるのは、それはそれで悪くない。

ゲームでは、都度投票を行い、人気を得た者が勝ち残り、得られなかった者は追放される。
参加者は、プロフの写真や文章、それから日々のチャットで相手の心をつかもうとする。
勝つためには戦略を駆使することも厭わない。
誰と仲良くするか、誰と信頼関係を築き、誰を排除するかが勝利につながる。
ゲーム内では「なりすまし」も許される。
別人の写真を使い、性別や年齢や職業を偽ってプロフに上げ、チャットではバレないように演技するわけだ。

なりすましをする人は、見た目で判断されるのが嫌だからという理由が多い。
最初、私はなりすましに腹が立って、うかうかと騙されている人を「バカじゃないの。なんで気づかないの」と思った。
なりすましがほかの参加者の支持を得て勝ち進んでいくと、納得できなかった。

しかし、参加者たちは、毎日ネットで会話をするにつれて、会わないなりの親交が深まる。
すると、最初は私のように「なりすまし」に腹を立てたり、疑ったりした人たちの意識が変わってくるのだ。

最初は若い美人だからあわよくばと近づいた男性が、会話を深めるにしたがって、「たとえあの人が若い美人でなくても、おばさんでも、男でも、私はあの人を信頼する」というようになる。
だって、彼女との会話は真摯なものだったから、と。
私は、彼女の外見ではなく、中身に共感したんだから、と。

しかしもちろん、その会話自体に偽りが含まれていることも多い。
自分をいい人だと見せるだけでなく、ライバルを陥れるために嘘をつく。

では。
交わした言葉に偽りのない「なりすまし」と、正直なプロフで嘘のストーリーを語る人と、あなたはどちらを推すだろうか。

視聴者としては、どちらにも嘘のない参加者に勝ってほしいと思いながら見ている。
それでも、相手の脱落につながる二者択一を迫られたとき、名前や性別や顔が偽りであることを除けば、この人の言葉は正直で誠実さを感じる人と、素顔をさらしているんだけど話の中身は勝つための嘘ばかりという人と、どちらが勝ち残ることを望むか。
参加者と自分の心を見つめるのが、非常に興味深い。

ネットで交流を始めたのは18年前で、最初は短歌のサークルに入った。
自作短歌を発表するだけでなく、雑談みたいな場所も設けられていて、そこでの会話が、私がブログを書くきっかけになった。

匿名だからこそ話せることもある。
置かれている状況や経てきた経験については、どこでも正直に書いてきたが、これらはリアルな友人には打ち明けていないことも多い。
知られたくないのか、言いにくいのか、両方か。
ぶっちゃけ、面倒くさいというのもある。

短歌の雑談仲間とオフ会のような形で初めて会うことになり、迷ったあげく出かけると、何人かの外見は想像と違っていた。
女を装った男であったり、同年代だと思っていた人がうんと年長だったりしたことがわかって、私の心はざわざわした。
でも、そういう私も、ハンドルネームで参加しているのだ。

18年間のあいだには、掲載した短歌を盗まれたり、私の名を騙って卑猥な投稿をされたりしたことがあり、私はサイトの主催者に抗議したが、特に対応はなかった。

そんなこんなを思い出しながら、「THE CIRCLE」を見ている。
そして、外見や性別や年齢や人種や職業に関係なく、素のままの正直さで真摯な言葉を重ねて関係を築いた人の勝利に、やっぱり拍手を贈らずにはいられないのだ。

読んでいただきありがとうございますm(__)m