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鼓くらべ

山本周五郎の作品に「鼓くらべ」という短編がある。
私が教育実習に行ったとき、配布された教科書に載っていた。
残念ながら、私の担当する教材ではなかったが、その物語はそこにあるどれより私の心を占領した。

五行歌を詠み始めたのは2006年のことだ。
初めの1年は、右も左もわからぬビジターとして、手探りの歌会を楽しんだ。
私は、新しいおもちゃを与えられた子供のように、ただひたすら自分だけのためにその楽しみに没頭した。

だが。
翌年、正式に会員となり、会費を支払い、膨大な歌の載った月刊誌を定期購読するようになって、私の意識は少しずつ変化した。

私は、せこい人間である。
ケチなのである。
お金を払ってひとさまに見せるからには、お金を払っていただいてひとさまに見ていただくからには、と思い始めた。

そして、払ったからには、いい場所に載せてほしい。
つまり、選者の趣味、意向までせこく探る。
そして、思うことがある。
この歌が、どうして私の歌よりいい場所を占めているのか。
かつて、同じように、巻頭を飾るために必死になっているメンバーの話を聞いた。
そのときは、なんでそんなことにこだわるのかと思ったのに、自分がその立場となるとこのザマだ。

恋歌や官能歌を歌会に出すと、いただく評は、ばらばらだった。
ものすごく気に入ってくださるかたもあれば、まったくチンプンカンプンというかたもおられる。
それで、良かった。

しかし、そのうち、私の中に生まれてきたある思い・・・。
「この歌では、あのメンバーにはウケない」

私はいつのまにか、万人受けをするものを詠もうとしていた。
万遍なく評価をいただけるものをよしとするようになっていた。
だから、湧き上がるように詠んだ恋歌はやめて、頭で考えた親との絆を詠んだものに差し替えた。
万人の、特に高齢のメンバーの心を打つようなものを計算した。

小学校から大学まで、私はこの手で感想文や作文や論文、そして記述式のテストを乗り切ってきたのだった。
私の意見ではなく、この人の求める解答は何か。
採点者が求めるものを書けば、評価は高くなる。

気がつくと、提出歌は一定の評価を得られるものになってはいたが、歌自体は私を癒すものではなく、締め切りに追われ、他人の思惑ばかりを気にし、歌会での役目を果たすために出席する、というようなプレッシャーを与えるものになっていた。

恋歌や官能歌を詠むと、年長者の多い歌会では、不審の視線を感じることがあった。
この女は、どういう私生活をしているんだ?

だが、歌は私にとって、過去と現在と経験と妄想がほどくすべもないほどに絡み合って生み出された世界だ。
あるときは現実を逃避した世界であり、別のときは現実に立ち向かうためのリアルな武器である。

詠み始めたときは、介護の真っただ中。
結婚もしていた。
だからといって、恋歌や官能歌を、まったくのフィクションだと決め付けられたくない。
この人(私)なら、こういうこともリアルにありえるのかもしれない、と思われるのがいい。
不届きであっても「ありえない」と決めつけたり、常識的なフレームを通して評価されたくない。

私はやはり組織向きではないのだろう。
表では合わせているふりをして、内心では決められた枠からはみ出すことばかりを考えている。
しかし、それが私なのだ。

「鼓くらべ」のヒロインは、鼓の勝負を避けるために自らの腕を折ったかつての名人に言われる。
「すべての芸術は、人の心を楽しませるためのもので、だれかを負かそうとしたりする道具にすべきではない」

私は古典落語を除いて、いわゆるお笑い番組は苦手だが、あるお笑いの大御所っぽい人が言うのを聞いた。
「わて、お笑いに点数つけるの嫌いですねん。せやから(M-1などの)審査員は断ってますねん。」
その人の芸や好悪は別として、ほほぉと思ったことは忘れていない。

一般コンクールの2度の受賞のあと、(もうこれ以上の賞金は獲れないだろうというセコイ読みもあって)、会員をやめた。
詠みたい歌を、詠みたいときに詠むと決めた。
締め切りもテーマもない。
忖度もしない。ウケも狙わない。
誰の評価もいらない。

そして、自分の特集が載った本誌も含めて、すべての掲載誌をゴミの回収に出した。


ブログもnoteも同じ。
誰かのためにとか、誰かより上手くとかではなく、誰の役にも立たない私だけの思いを書きたい。
誰とも比較しようのない、私だけの経験から生まれた、ほかの誰にも書けない、私ならではの思い。

読んでいただきありがとうございますm(__)m