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クラゲと海水浴

「南海トラフ巨大地震に注意」というのが出たせいか、想定された地域か否かで線引きされるのに、なんとなく違和感がある。
神奈川県の地震で「域外だから大丈夫」みたいな雰囲気に逆に不安になってしまった。
大地震は「南海トラフ」だけじゃないのに。

人の意識って、こんなふうに提示されたものに引っ張られてしまうのよな。
提示されないものは、あたかも「ないもの」のように思わされる感じが気持ち悪い。

台風の直撃が予想されている東北は、先月も豪雨に見舞われているので心配でならない。
気候変動は地球規模らしいけれど、今日のマラソンでランナーが駆け抜けたパリの気温は17℃とか言っているのを聞くと、やっぱり羨ましい。
それにフランスは地震がないし。
だから、扉のない棚に絵皿とかを立てて飾れるのよな。

子供のころは「お盆を過ぎたら海に入っちゃいけないよ」と言われたものだ。
土用波が立つし、クラゲが出るからという話だったが、クラゲは何を基準にしてお盆過ぎに出るのだろうか。
亜熱帯化しているいまは、出るタイミングが狂うんじゃないだろうか。
この秋も秋刀魚は不漁らしい。

いわゆる「海水浴」というものが苦手だったから、子供時代、ほかの子の家みたいに夏休みに海に連れてってもらえないことは不満じゃなかった。
海が嫌というわけではなく、人混みが嫌だったし、燦々とした陽光の中で大勢でキャッキャする雰囲気が苦手だった。

夏の湘南とか、渋滞のイメージしかない。
実際、ごくわずかな思い出の中の海は、混んでいて汚くて、帰り道で思い切り下痢になった。

以降、一人旅を始めるまで、夏の海に入ろうなんて思いもしなかった。
真冬の荒れ狂う波の咆哮の中にこそ海はあった。
私はどっぷり日本海の人間だ。

丹後を旅したのは、たぶん夏の終わり頃。
当時の夏は、お盆過ぎからすこしずつやってきて、少なくとも9月の彼岸にはきっちりとかたをつけていたと思う。

伊根の海があんまりきれいなので、ついバスを降りた。
水着も持っていないから、岩場でジーンズだけ脱いで海に入った。
Tシャツが肌に張り付くけれど、さすがに下着姿になるのは憚られる。

周囲に人はいなかった。
泳ぐというのではなく、ただ水の中をプカプカと揺蕩うのが好きだ。
そして、見事にクラゲに刺されまくった。

濡れたシャツだけは着替えたけれど、痛くてジーンズが穿けず、ミミズ腫れになった手足をさらして、髪からしずくを垂らしながら、歩いて宿まで行った。
そのいでたちでバスに乗る勇気はなかった。

宿で薬を塗ってもらい、「お盆を過ぎたら海には入らんよ。都会の人やねぇ」と笑われた。
久しぶりに耳にした「お盆を過ぎたら」という言いようがなんだか心地よい。
そうか。
私は都会の人なのか、とも思った。
いつのまに?

日本の夏の海の記憶は、それで最後。
実際は、その後、元夫と江の島とかに行ったのだけど、もうそれは「なかったこと」にしてある。
だって、やっぱり帰りにお腹を壊したから。

そうそう。
家まで待ちきれず?帰りにラブホに入ったことを思い出した。
お腹が痛すぎて、横になりたかったし、常にトイレが確保できる場所が欲しかったのである。
やはり、ろくな思い出ではない。

写真は南フランスの海。
自分が若かったせいもあるけれど、日本より中高年の世代がとても多いという印象がある。
そして、一人でただ浜で寝そべっている人も多くて、私は居心地が良かった。
ほぼ周囲がトップレスだった海岸では、水着をつけているほうが恥ずかしくなり、同調してしまったのも懐かしい。
世の中に、カメラを搭載した通信機器がなかった古き良き時代の話だ。


読んでいただきありがとうございますm(__)m