見出し画像

女心と秋の空

お昼前から雨になった。
この雨を境に、一気に寒くなると天気予報は告げている。
「ちいさな秋」を見つけようと目を凝らしているうちに、「おおきな秋」はなくなっていたというような気分だ。

「男心と秋の空」というたとえがある。
一方で「女心と秋の空」という人もいる。
私としては、男心は春の空で、女心は秋の空だと思っている。

男心は移ろいながらも、しだいにその熱さを増し、女心は変化の繰り返しの果てに冷めていくというような。

いや違うか。
女心は、ある一点をきっかけに、突然、急降下する。
そして、いったん降下したあとは、二度と上昇の気配を持たない。


「僕は、恋愛至上主義だから。」
と彼は言った。
私は、瞬間的に反応に迷い、けれど無反応がもたらす誤解を恐れて、「へえぇ~」と笑った。
目の前のグラスのビールの泡が一気に消えた気がした。

おかしな言い方になるけれども、自分を愛人体質と感じたことがある。
かなり若い頃からだ。
実際にそれを望んだことはない。
ただ、恋愛だけに心を注ぐことが、私にはできないと感じることがときどきあった。

愛する男が、週に一度だけ通ってきて、そのときだけその人が至上になる。共に過ごすひとときが極上の時間になり、すべては恋愛の前にひれ伏す。

けれど、あとの5日か6日の間は、ほかのことに心を砕く。
「しなければならないこと」に加えて「したいこと」に費やす心も身体も時間もほしい。
もちろん、ほかのことというのは、ほかの男という意味ではない。

ただ、人生に恋愛しかないような盲目的な心情というのは、私には無理と感じていた。
いろいろ考えねばならぬこと、しなければならぬことがあった。
そういう家庭だったから。

それを煩雑と憂い、一刻も早くそこから逃げ出したいと思っていた。
恋愛に夢中になってほかのことなど心から吹っ飛んでしまったらどんなにラクだろうかと想像した。
しかし現実には、どうしてもそうはできないのだった。

一般的に女性は「自分を最優先」にしてほしいものなのだろうと思う。
いまはすこしずつ変わってきているのかもしれないが、私の若いころはそうだった。
「私(家庭)と仕事(またはお義母さん、あるいは趣味の何か)とどっちが大事なの?」とかいう妻のセリフがドラマなどでも語られた。

私は、いつもそれに違和感を抱いてきた。
それは自分がそう詰め寄られたら嫌だなと思っていたから。

私は、本当は夫や恋人を最優先にはできないタイプだ。
できないけどできるように努力はした、つもり。
でも結果的にできなかった場合もあるし、努力の過程に疲れた。

男性でも相手に「自分しか見てほしくない」と言う人はいる。
私が元夫と結婚したのは、この人はきっと私より絵を描くことが大事だろうと思ったからかもしれない。
現実にはそうはならなかったけれど。

自分は恋愛至上主義だと言った男性は、「一途」をアピールしたかったのだと思う。
それに安堵する人もいれば、引く人もいる。
人の心は空模様を読むよりうんと難しい。

ビートルズ最後の新曲「Now and then」
いまもときどき。

そうね。
ときどき、思い出したり想ったりするくらいがいい。

以前、AIの美空ひばりにはちょっと「うへっ」と思ったけれど、こちらはなんだかいいなと。

リアルタイムでのビートルズはあまりなじみがないが、兄の集めたレコードが何枚かある。
プレーヤーがないのでもう聴けないけれど、捨てることも売ることもできなくて。

読んでいただきありがとうございますm(__)m