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「雑」を楽しむ

朝起きてまずカーテンを開ける。
曇り空だとホッとする。
道路の濡れ加減からすると、夜半の雨を聴き逃したようだ。
どこかに被害をもたらすような豪雨は望まないが、雨の音を聴きながら眠りにつくのは嫌いじゃない。

写真は昨日の夕暮れの空。

イングランドやスコットランドのように、ひとつの空の中に晴れも曇りも雨も同時に存在するのがいい。
答えをひとつに絞れないのがいい。
迷いの綱の先っぽに、希望がつながっているような気がして。
雲一つない晴れが「いい天気」だと誰が決めたの?

「丁寧に暮らす」のが流行っているらしい。
なんだ?と思ったら、日常のひとつひとつを大切に手間をかけることらしい。
無理だ。

昨年からの家電総入れ替えで買ったコードレスの掃除機は常に充電中で、気になったところだけ都度ササッと使うのに便利だ。
おかげで、昔みたいにコードとホースにつながった大きな体躯を転がして「全部屋一斉掃除機掛け」みたいなのはしなくなった。
「よおしっ!やるぞ!」みたいな気概がなくなってしまった。

些末なことだが、これまで洗濯機のくず取りネットの掃除がストレスになっていた。
前の洗濯機は20年使っていたから、ネットの袋に穴が空いて、せっかく集めた糸くずや織くずが流出してしまう。
仕方がないから、伝線したストッキングをカバーのように縫い付けていたが、使用のたびに「無事」を確認し、隅に詰まったくずを手で取り除くのが面倒だった。心なしか、端っこの縫い目がカビで黒ずんでいる。
ブリーチしても落ちない。

去年買い換えた洗濯機は、くず取りネットではなくパネルになっている。
パカッとはずすタイプのプラスチック板の中に、くずが板状に固まっていてゴミ箱の上で振っただけでスルリと落ちる。
細かい網状の部分に水を当てるとわずかに残ったものも簡単に洗い流される。
稼働のたびに「自動洗浄」機能をつけているから、昔のみたいに内部にカビが張り付くこともないと聞いた。
両実家の洗濯機からワカメみたいな黒カビのかけらが出たときはびっくりした。
私の親世代は、洗濯機を洗浄するなんて習慣はなかったのだ。

何より利便性を享受しているのは食洗機だ。
一人分なのに必要なの?と自問自答して迷っていた期間が長かったが、もっと早く導入すれば良かったと思う。
一人分の食器しかないからこそ、小さな手鍋もフライパンもごっそり入れてしまえる。
調理中も、「汚れものが出る」ことを厭わずに容器を使える。
そのことで、これまで省略していた手順が苦にならなくなって、調理が心持ち丁寧になった。
すべての家電が省エネ仕様になったこともあって、電気代の増加は感じないし、水道代は間違いなく節約できていると思う。
洗剤の持ちは最低でも2倍になった。
手で洗っていたときは、すぐにスポンジに洗剤を足していたので。

そんなこんなで、私の日常は、丁寧とは真逆になった。
丁寧にしなくても問題ないように家電が補ってくれるし、そうでなくても文句を言う同居人はいない。

「断捨離」という言葉が流行った頃から、私は「反・断捨離」だし、「ミニマリスト」にはなりえないし、なろうとは思わない。
ほかの人にはゴミに見えたり、実生活には何の役にも立たないかもしれないけれど、自分の思い出が詰まったものや好みに合ったものを、自分の感性のままにコーディネートして置いている。
好きなものに囲まれて暮らすのが夢だったから。

「実家じまい」をしたときは、時間に追われて大変な思いをした。
でも、中身を見ずに箪笥丸ごと捨てることで、可能だとわかった。
私の場合は、思い入れがない他人(たぶん役所の人か委託業者)が処分することになるから、さらに容易である。
自分としては理不尽に高い税金(しかも使いみちの怪しい)を納めてきたのだから、死んだあとくらい使わせてもらってもかまうめぇ、と思っている。
だから、周囲の同世代の人たちみたいに「終活」と称してものを処分することもしていない。

珈琲とかビールなども、「雑味を取り除いてすっきり」みたいなのは好きじゃない。
「雑味」の中にこそ旨味がある。
これまで生きて、さまざまな経験から私の中に積まれた「雑味」を旨味や「滋味」に変えて、最後の最後まで、雑多や雑然を楽しんで暮らすつもり。

そして、お金に換算できない、エッセイとも日記ともつかない「雑感」を思うままに書き散らかす。

「こっそりと あなたの髪を くすねては わたしはときどき魔女になります」

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