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面白さ

私は現役の占術家と個人的な付き合いはない。

だが半世紀を生き、人生の節目節目で体験した事実に基づき、
私しか知らない実績について、触れておきたいと思い立った。

今思えば、世話になったなあ、と思う。
同じ時代を生き、人生を彩ってくれた。

気付けば、その殆どが故人となった。
ささやかな恩返しといった気分もある。

侮辱する様な事を述べる心算はないし、
実際、そんな人とは出くわさなかった。

今となっては、他人に鑑定してもらう理由も必要もなくなり、
自分の事など気にもしなくなったが 運命学は好きだし面白い。

どれもその手法を以って観察すれば、事実を描写している訳だし、
その描写も それぞれ角度というか、中り方が違っていて興味深い。

ある程度の歳になり、人生の結果が出て来ると、まあよく出てる。
自分の事は 自分が一番よく判るから、尚更際立ってくる事がある。

当時はそう思わなかったけれど、今になってみると凄さが解る。
自分という事実が、どのように描写できるのかを読み取る技術。

当然の事だが、運命学は事実に依存している。
自分という事実と平行していると言ってもいい。

自分が運命の主役なので、本当はあってもなくてもいい。

全然、的中しないのであれば、それはそれで意味がないし、
本当に的中するなら このままの自分の事だから意味がない。

だが的中するなら知りたいし、知恵や技術も使いたいではないか。

修道者ですら、自らの運命を見究めようとしただろう。
密教はヒンズー、当然、占星術による星辰信仰がある。

僧であり仏教の碩学だった原坦山は易者でもあった。
自身の死期を覚ること正確無比であったと言われる。

日本の道元が その悟境を高く評価した北宋の蘇東坡は、
父親と二代に亘る易の研究で知られ、それは終生続いた。

現在でも "蘇東坡の易" というタイトルで書籍化されている。

仏法の大悟者による易とは どのようなものか、
現代の易の達人は見究める事ができるだろうか。

運命学の面白さは、深く通じたものにしか解らない。

それは、人生の最も重要な局面で、自らの背中を押してくれる事もある。

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