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忘れていた夢や希望を叶えるための「将来」は今だ。

「オカーサンは将来、何やるの?」

当時中学2年生の息子は、学校における進路指導のカリキュラム真っ只中。近隣の企業のご協力により、全員が「職業体験」をさせていただく。息子は「職業体験」リストに興味のある企業・職種がなくて困っていた。

いろいろ悩んだ末に冒頭の質問が出たとみえて、真顔である。

40過ぎの大人に向かって「大きくなったら何になりたい?」的な質問をぶちかますとは純粋無垢な幼児か。ついでに言うなら、かかりつけ医からダイエットを勧められてもいるのだ。これ以上大きくなったらどうするか聞いてくるとは、いい度胸だな、息子よ。

しかし繰り返すが息子はいたって真顔である。一瞬で彼の真剣さを悟り、私はしどろもどろに言った。

「あのー、わたし、もう大人なんですけど・・・」

息子は笑わない。相変わらずの真顔でつぶやいた。

「それでも将来さー」

うわー。そうだった。息子は「将来」と言ったのだ。「大きくなったら」「大人になったら」「卒業したら」みたいなことは言ってない。ヒトの話はちゃんと聞きましょうと言っておきながら、なんたることか。

この時のやりとりをきっかけに、私は自分の「将来」を「現在につながる明日以降」と認識するようになった。「将来」とは、「いつか」「どこかに」「ある(かもしれない)」ような、漠然としたものではなかったのだ。


私はこれまで40数年生きてきたが、いろんな夢や希望をいつのまにか置いてけぼりにしてきてしまった。

学校の先生になりたい。インテリアデザイナーになりたい。声優になりたい。地元の魅力を伝える仕事をしたい。PCを使って仕事をしたい。文章を書くことで収入を得たい。ハンドメイドで収入を得たい。

職業(あるいは収入を得るということ)に関して、こんなにもたくさんの希望をかつて持っていた。曲がりなりにも叶えたことがあるのは「PCで仕事」と「文章で収入」くらいだ。

我が子の学校で読み聞かせの活動をすることで「学校の先生」の気分を少しだけ味わうことは出来た。頼まれて材料代だけもらって手芸品を作ることで「ハンドメイドで収入」の気分を少しだけ味わうことも出来た。

残るは「インテリアデザイナー」「声優」「地元の魅力を伝える」の3つということになる。


さて、職業の希望だけを置いてけぼりにしてきたのか。いやいや実はもっとささやかな夢もいっぱいあったのだ。

自分の家を持てるようになったら、思いっきり自分好みのインテリアにしたい。お気に入りの、ショパンやドビュッシーのピアノ曲を弾けるようになりたい。何か楽器を習って吹奏楽に参加したい。出版社を通すような本物でなくてもいいから、本を出したい。家に図書室を作りたい。短歌で自分を表現できるようになりたい。さりげないおしゃれを楽しめる人になりたい。身に着けるアクセサリーはすべて自作したい。ベランダでたくさんのハーブを育てたい。レース編みや刺繍で「大作」と呼べるものを作り上げたい。博物館や美術館を巡りたい。甲子園に行って高校野球を観戦したい。すべての都道府県を旅してみたい。

わわわ!ちょっと待って。まだまだいっぱいあって書ききれない。

とりあえず少しでも叶えたのは「ショパンやドビュッシーを弾く」「アクセサリーの自作」「ベランダでハーブ」「博物館や美術館巡り」くらいかな。でも、いずれも物足りない。もっともっとと、日々「夢」叶え中である。

置いてけぼりになっている夢のなかで、特に気になるのは「自分好みのインテリア」である。なぜなら私は10代の頃からこの夢のために500円玉貯金を続けてきたのだ。おそらく30万はあるはず。タンス貯金のままにしておくのは納得がいかない。家族がいるため、自分好みのインテリアというよりは「家族みんなの納得のいくインテリア」を目指すかたちにはなるが、ぜひ初志貫徹したい。

また「家に図書室」も我が家的にはだいぶ現実化しやすい夢だ。家族全員、本が大好物なのだから、反対する人間はいない。ただ、図書室に出来そうな部屋に現在置いてある布団や洋服や食料の行方が心配なだけである。実際のところ、どうしよう…。

「本を出す」は同人誌やZINEなど、手段がいろいろあることは分かっている。なんならこのnoteやブログなども、自分の記述を他人様に見ていただくという意味では一緒かもしれない。


あぁ・・・。


私の夢や希望の棚卸をしてみた。なんということか。こんなにもたくさんの夢や希望があったのに、見事に忘れていた。諦めた、とかではない。忘れていたのだ。

こうして並べて書いてみると、どれもこれもが現在でもワクワクする。興味を失ったわけではないのに忘れるってどういうことなんだろう。


現在、息子は高校生である。コロナ禍で大きな行事はほとんど中止か縮小。まともに出来た行事はほとんどないし、修学旅行も中止になった。

私にもまだ「将来」はあるということを教えてくれた息子と、共通の趣味である高校野球を見に甲子園まで行くのもいいかもしれない。

「インテリア」「図書室」「地元の魅力を伝える本」「ベランダでハーブ」「手芸の大作」など、その気になれば今すぐにでもスタート出来るものばかりだ。

四十にして惑わず。将来は「これまで忘れていたやりたかったことを順番に叶えていきます」。

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