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なんでnoteを書いているんだろう

最終面接のzoomを閉じ、目頭が熱くなって、うまく身体が動かなかった時

一人で京都に行ってきてやったぜ!という高揚感と達成感を抑えきれなかった時

帰りの電車の中で就活の悔しさ諸々が抑えきれず、寝ることもできなかった時

割とどんな時でも、私の頭の中では「書こう、書こう」という気持ちがあって、なんとなくスマホのメモ帳とかに書き留めて、なんとなくnoteに投稿していた

noteをはじめて1ヶ月が経ったが、私はなんでnoteを書いているのか(書けているのか)自分でも全然わからなかった

あえてしっかり言語化しなくていいのかも、と今でも思うけど、答え合わせのように「私が書き続ける理由」が言語化されている書籍と出会った

「自分の本音こそ」伝わるもの。
確かに、私が嫉妬心や卑屈な思いをどうにも綺麗に消化できず、いや、消化させたくなくただ箇条書きで書いた記事は、当時つながりが片手で数えられるほど少なかった私(のアカウント)にしては、すごくよく共感のいいねをいただいた


「大勢」に書いたものこそ、誰にも伝わらないふんわりとしたものになる。時間を持て余した結果、偉そうに書かれた「就活後記」の記事は、自分でも誰に向けて書いたのかわからなくて。
書いてあることは本当のことだけど、でも読み返すたびに「偉ぶってるなあ」と思う きっと、ふんわりとした記事
(▼偉ぶっている記事はコチラ)



書くか、書かないか、ただそれだけ
私が京都へ逃走した話は、はじめは自分のnotion(自分だけのサイトみたいなやつ)の中でだけ生きていた。
だけど承認欲求でnoteのアカウントを作り、なんの修正もせずに公開してみたら、0フォロワーなのにも関わらずその日のうちに沢山の共感をいただいた

つまり、そういうことなんだと思う

これに交えて少し「承認欲求」の話をする。
よく「instagramは自慢」とか、「わざわざなんでSNSに投稿するの?」とか聞くけど、自分の承認欲求をSNSで満たすことは全然悪じゃないと思う

「悪じゃないと思う」なんていうと、私なんかがこの事の正義をジャッジしているようで嫌だけど、でもSNSを承認欲求に使ってもよくない?

私は、自分の承認欲求を無意識下でコントロールすることの方が怖い。

共感してもらえたらもう少しハッピーになれるからストーリー(インスタ)投稿しよう〜♪

くらいの感覚。今はそれでいいと思っている

「なぜ?」を問いただして学びにすること
私は、私の知らない感情で行動することが多すぎる
普段は全然映画なんで見ないのに(数年に一回見る程度)「すずめの戸締まり」だけは2回も足に運んだり
夕方ごろ起きてきて突然一人でお台場の夜景を見に行ったり
そうやって「突然」散歩をするのが好きだったり
航空障害灯が好きで新宿の帰り道を電車を使わず歩いていたり(定期代、無念 )

全部自分らしくて尊い行動だけど、でもなんで好きなのかわからない!!
わからないまま模索して過ごしていくのも素敵だけど、随分時間がかかってしまいそうだから、「なぜ?」を問いただす習慣をつけてみようと思う

早速、航空障害灯の「好き」を書いてみた記事はこちら


今日はここまで
最近、手のひらの大きさもない巾着のショルダーバックを買いました
ちいかわキャンディを入れて配布しようと思います!ハピネス!



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