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一時帰国に向けて忙しなく過ごしていた去年末のリマ。
よく行くスーパーへの道にでっかい交差点がある。
信号無視、スピード違反、えっとここ何車線ですか、…あ、というか信号機壊れてた。。いや、でも警備の人が手信号でなんとかしてる〜⤴︎…とか思ってたら携帯見てた〜⤵︎
とか、毎日そんなんです。
そしてsonnanが毎日だと、こちらも来秘数年目までは戦うが、2、3年もすれば人間の適応能力凄まじいもんで、郷に入っては〜精神で気にしなくなります。社会的に正しいことを掲げないでいると気が済まない、モヤモヤする青年期を経て、自分自身を許せる許容範囲みたいなのが徐々にわかってくる。違反等に加担するでなくても、よろしく生き延びられる術が身につくと言うわけです。なんだか声を上げないのは同罪ぐらいに思われそうだが、今ここでできることと行動が必要なタイミングは人間やコミュニティーによってそれぞれ違うんだにゃ。だから絶対的なものなんてないと思っていた方が気が楽なのらー

あれ、青信号なのにおっかしーなー、歩道が車社会にのまれてて通れないや、、、とか、停止線を越えて完全に青信号の歩道が塞がれるなんてことが多々ある。クラクションの罰金制度も機能していない。(これについてはペルー人の聴覚と障害についても私は疑ってるのだけど。)こんな時、数年前までは思いっきりボンネットやドア蹴ったり口論なったり対抗する淑女だった私も、もうそろそろ真っ当なおばさんになりたいってなもんで、ここ数年は穏やかに過ごしておりました。
そんな事思い出したりする交差点、その日も買い物済ませてそそくさと帰るための信号待ちをしていました。すると一人のおいしゃんが、まぁ私が外国人だという事なのでしょうか。目配せして、道路危ないから気をつけろ的な事を言いたそうな、または注目して欲しそうな雰囲気を出している。なんだかちょっと街の変なおいしゃん。
信号が赤から青に変わるか変わらないかであっても、猛スピードで車がギリ超えてやろうとしてくる中、
「まだだ。気をつけないと、この辺は信号が正しいと思ってはケガしちまぅ!」
みたいな事を言いたかったのでしょう。そう言う事はペルーではよくあるし、下町気質で自虐的な感じは関西出身の私にとっても馴染み深いし有難い。私もよく立ち話する。

しかーし!おいしゃん、私はこっちにきてもう結構年月過ぎたし、なんだったらある所においてはオイシャンよりもペルーの事知ってるかもよ、、? 女性だからって、外国人だからって、なんか関わってやろうみたいな(または避けたり)、見た目で判断ってのも、ありがたいの押しつけも、よく海外に行って見た目外国人ってだけで英語喋るだろうと言う決めつけとかも。昨今じゃ見た目判断やめろーっつってなるんだぜ 、ねえ、おいしゃん・・・エトセトラ。。。
別に、通り過ぎるだけでよかった日常を、頭の中が妄想と深読みでいっぱいになってた。そしてすっかりおいしゃんを無視して歩道を渡ろうとした、
 ・・・んが、その時であーる、、、!!

少し先に歩道を渡ろうとした彼に、交差点を右折しようとする車が思いっきり突っ込んできたのです。マンガのようなすごいタイミング。車気をつけるべし、と標語かかえてた人物が1番にひかれそうになっているではないですか。
おいしゃんはココでの交通安全を、彼の目線から【外国人でリマを知らなさそうなスペイン語のできない女性の私】にわざわざ身を持って教える事になってしまったのだった。。
もう、一瞬何が起こったのか分からず目を疑いましたが、運転手の不注意というよりは一旦スピードを落とすでもなく煽りのようにも見え、接触寸前でブレーキされたのです。
これには流石においしゃん、それはもう昔の私のようにボンネットを叩きのめして大抗議し始めます。
その地点で目撃者はかなりいたはずで、中にはヒヤッとした瞬間に声を出した人もいた。でも、珍しく野次も抗議もなく外野は見守る感じで無反応だった。例に漏れず私も見守りながら(運転手が出てきたり逃げたりしたら話は変わるが)通り過ぎようとした。しかしこの間わずか2秒だが、スイッチが入った。 私の。

なんというか、頼んでもいない、むしろお節介にも似た態度ではあったけど、おいしゃんは一応「か弱い私」の安全を思って注目させようとしていた。というかそんな事考える余地もなしに、悪いのはどいつだ。本当に危険だったし、そのまま無視したらこいつぁまた同じことやらかすぞーと。何故か今度は「私がおいしゃんを守る!」という形勢に完全逆転した瞬間だった。
それはそれはおクソ汚い言葉で罵倒、周辺の皆さんの口がまあアングリだ。しかしそう目立っては、雪だるま方式で野次が増えていくのがペルー。次第に賛同者が増える。一応これが、日本にはないダイレクトな抗議で私は好きだ。 そんな事より、何よりも空いた口が塞がらなかったのはおいしゃんだった。轢かれそうになったからではなく、私の運転手に対するキレ様に、だ。
あれ、もしかしてこの人別にワシが注意しなくてもいける系の人。。?というか、リマ住民だったのか。。そんな感じで、もはや車の事での怒りがおさまっている様子だった。
あ、しまった、、
なんか大通りの交差点で大声上げて叫んでる外国人、みたいにみんなが注目しているではないですか。
その数秒の異様な空間で運転手は曖昧な表情のまま車を走らせていってしまった。
さて、残った私とおいしゃんは解決したわけでもないのに何故か戦友のようになって、しかも2人して顔を合わせ軽く会話を交わすも恥ずかしい状況になった。
残りの歩道をとぼとぼわたる。足取りをどう遅めても会話しないといけないぐらいの距離に縮まる。気付かなかったが、 前を行ったおいしゃんは足が不自由なようだった。
運悪く帰るは同じ方向で、クールに立ち去る事などできず、しかし第一声を放ってくれた事により救われた。
「クレイジーだったね。。。」
あ、そ、そだね。クレイジーだったね。。あ、わたしが、か?。。と思ってしまったけど、それ以降は、あんな奴ばっかりだよ、ろくでもないし気をつけたほうがいいからね。。と、多分ご近所さんだったのだろう、とても感じが良く、一時はどうでもいい様にあしらって(?)しまった自分を反省。なんだか心温まるエピソードに加えられそうな、そんな別れ際になってしまった。
 
帰りに興奮してサンドロに報告、。。。久しぶりにそんな事なってんだ。。て苦笑いしてた。彼はかなり気持ちが穏やかなペルー人でして、そういうことは一切加担しない。一緒にいて私だけがヒートアップして何かに猛抗議した事が2回あったけど、その時も見守ってた。自分から手は汚さず?私を守る立場に徹する。この根性なしがーもっと意見せぃやーと、その時は思ったものだけど、彼なりに仕向けるポジションがあったのだなと今になってよくわかったのでした。
誰がどう、何に関わってくるかわからない世の中でとりあえず、すみっこクラブでヨロシク、やっぱりうまいこと生き延びたいわ。



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