浅井真久

何か書きたくなりました。 ぼそぼそ隅っこで、ひとり言葉をつぶやきます。

浅井真久

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最近の記事

日記139 ポピュリズムの使い方・0歳児選挙権篇

 大阪の吉村知事が人口減対策として「0歳児選挙権」を言い出したとか何とかという見出しをみた。それでどんなことがあり得るか。選挙権を持つがまだ思慮の弁別ができない子どもたちの選挙権は、ほぼ親が代理して行なうことになるはずだ(あるいは親の言う投票先に投票することになるだろう)。その場合、実質的に親の投票数が少なくとも1.5倍の重みを持つことになる。また、親のなかでも幼い子への影響力は母親のほうが(授乳やそれに続く育児の都合で)大きい。  となると、票の獲得において、幼い子を持つ母

    • 日記138 自動筆記やってみる

       はじめに  板橋区立美術館に行って、シュルレアリスムと日本展を見た。巌谷國士で予習はしたが、まだ所見の作品をそれに沿って解釈できる力はついていなかった。だが展示された作品は、コラージュとデペイズマンを半分ずつ混ぜたようなものが多く、自動筆記は(これが文学の実験の実践だからというのもあるが)まあ見られないし、それを踏まえたのも「無意識に迫る」といったものしかなかった。しかし、巌谷がいうには、自動筆記がシュルレアリスムのもっとも大事な点を明らかにしたという。それは「連続性」で

      • 日記137 讃えよ重音テトを

         ファンメイドの文化として、初音ミクをはじめとするボーカロイドたちがあげられるケースは少なくない。姿、年齢、身長体重と歌声のみを与えられた歌声合成ソフトウェアが、さまざまにイメージを投影され、それがファンアート、3D及び手描きアニメーション、その他2次創作の連鎖で人格を付与され今にいたるというのはなかなか類を見ない(事実思いつかない)。  しかし、初音ミクこそがそうした文化を全面的に背負うかといわれると、必ずしもそうではないと思う。むしろ、それを象徴するのは重音テトだ、と僕は

        • 日記136 文学研究はどう役に立つのか

           はじめに断っておくけれども、僕は学部卒で、ぜんぜん専門性の畑に足を踏み入れられなかった側の人間である。だから、どうやっても素人の所感以上にならないことは承知している。それでも、言ってみたいからこうしてnote記事として表現するのである。  J. カラー『文学理論』(岩波書店)では、文学研究には主にふたつの分野があると述べられている。ひとつは詩学、どのようにしてその作品がその効用を生みだしているかを記述するものだ。いかにして驚異や絶望、感動を呼び起こし、その表現に成功している

        日記139 ポピュリズムの使い方・0歳児選挙権篇

          日記135 社会は潜在的な敵ではないの?

           就職活動で、チームで何かをするときの質問をされ、なかなか面接官と話が噛みあわなかった。そんなにチームに対して楽観的で大丈夫か? 社会は何をしてくるかわからんぞ、いつでも他人を引きずり降ろして少しでも自分を有利にしようと虎視眈々と狙っているのに、と思っていたが、どうやら別にそう考えている人はそんなに多くないらしい。  この世にはおそらく社会を潜在的な味方だと思っているタイプと、反対に敵だと思っているタイプがいて、前者は後者のことをまず理解はできないだろう。なぜなら前者のほうが

          日記135 社会は潜在的な敵ではないの?

          日記134 ウルトラマン随一のオープニング曲

           ウルトラマンのオープニング曲のなかでいちばんの名曲はウルトラマンパワードだと思うんだ。異論は認めるけども譲りはしない。コード分析はできないから説得力はもたせられないけれど、あまりにいい曲だと感じるんだ。明るい雰囲気で、とても親しみやすいシンプルな曲構成である一方で、もの悲しさ、切なさも感じさせるメロディーである。「ぼくらのヒーロー」ウルトラマンであると同時に、手の届かない超人への憧れやウルトラマン自身の孤独、神秘性を兼ね備える。子ども向け番組のオープニングとしては盛りあがり

          日記134 ウルトラマン随一のオープニング曲

          日記133 ラファ

           ガザの住民をラファに追いやり、空爆をイスラエルが実施しはじめた。これに対して僕は、人道の問題は一旦措くとして、そら見たことか、やっぱりやったよ、と思った。当初から、学校や病院など、都市の維持に必要な機関を攻撃していた時点で、あれが単なる軍事的報復に留まるなどと考える人は少なかったろう。イスラエルの目的は、パレスチナの殲滅だと誰もが思ったが、それは明々白々なジェノサイドにほかならないから、まさかそうはせんだろうと思い、みんな口をつぐんだ(僕もそうだ)。しかしイスラエルはその通

          日記133 ラファ

          日記132 飛鳥川ちせの役割

           滑りこみで『SSSS.DYNAZENON』の期間限定配信を見た。以前の印象だと、たくさんの線を用意したもののうまく足並みが揃わずに失敗したという印象だったが、意外とそうでもなく、けっこう綺麗にまとめたなと思った。ただよもゆめ以外の人たちを描ききれなかった面は否定しがたく、そもそも構成自体が、1クールではむりだったといわざるを得ない(ユニバースでも結局深堀りはなされなかった)。  ところでいくつか事前の印象と変化したところがいくつかあった。そのうちのひとつが飛鳥川ちせである。

          日記132 飛鳥川ちせの役割

          日記131 安部公房と井上陽水

           Twitter(現X)で、安部公房と井上陽水は同じカテゴリだと言っているツイート(現ポスト)を見かけた。僕もこれには同意するところがある。両者とも無国籍な作家/歌手だと言われ、作品の雰囲気からそう思われがちなところはあるだろう。しかし、実際のところはそれは誤りではないか、と思う。  安部に関していえば、確かに日本のナショナルなものへの愛着は薄く、舞台がどこでも通用しそうな作品も多い。陽水にしても、いまいち芯が何かわからない歌詞も多いし、曲自身も歌謡曲・J-Popの本流ではな

          日記131 安部公房と井上陽水

          日記130 人間蹂躙の意識について

           たとえば人間の蹂躙があったとする。殴打、脅迫、強要、強請、障害、監禁、強盗、詐欺、そして殺戮や抑留などが行われる。そうした行為を行なう奴らに、人間にこんなことをして平気なのか、と問いかけ風の非難を浴びせる人は非常に多いと思われる。これは相手の情に訴えると同時に、同じくその悲劇を人間の悲劇と考える仲間の共感を集めることができ、非難側の連帯をつくり出し相手を動かす蓋然性が高まる。Twitter(現X)ではよく見ることだし、そうでなくてもマス向けの報道などではよく見る手法である。

          日記130 人間蹂躙の意識について

          日記129 税のこと

           ずっと前から疑問に思っていることがある。公務員は、何か支出をしたり購入物を使用したりするとき、市民/国民のみなさまからいただいた大切な税金だから大事に使おう、としばしば言われるが、しかし税金が公的な支出の財源であるというのは、果たして正確なのか、ということである。外形的には国民から徴収した税や印紙収入、そして公債発行等があって、基本それと同額の支出が予算で組まれるから、自然そういう見方になるのも仕方がない。しかし、政策的にはどうもちがう動機があるんじゃないかという気がしてな

          日記129 税のこと

          日記128 他人への怯懦

           やたらに告発と失脚を恐れるのは、負け続けたせいに相違あるまい。負け続けたといっても、成績的には多くの人よりは勝ってただろうし、キャリア的には(大学卒業までは)わりとトントン拍子に進んでいた。けれども、プライベートの面では、まともに何かを達成して、その標的に勝った記憶がない。ことごとくへし折られていた気分だ。  とにかく口喧嘩には勝った記憶がない。おそらくこれが、現在の僕の心持の不安定さの根っこのような気がしてならない。そりゃ今では正確に伝えて相手と対話することに対して意味の

          日記128 他人への怯懦

          日記127 感覚と感性

           儒烏風亭らでんの切り抜きを見た。芸術的感覚・感性について相談されているものだった。  こで彼女はそれぞれを、何かを感じた、形容詞を伴うものと、その感じたものを言葉にしたものとして説明している。そして後者、すなわち「感性」を育むには、それを表現するための素材、すなわち言葉を獲得していく必要がある、とした。僕はそれはちがうんじゃないか、と思った。思考や嗜好は言語の縛りを受けるとは言うが、しかし感覚というものは必ずしも心理的なものだけではなく、身体的なものもあるわけで、それは形

          日記127 感覚と感性

          日記126 権力論

           盛山和夫『権力』を読んだ。腑に落ちないところがありつつも、とりあえず全体の方向性には賛成、と思った。しかしこの本の書評があるというので見てみると、何と僕の思っていたことと同じようなことが述べられているじゃないか。なんてこったい、僕の独占的なあれこれがなくなった。西阪先生(書評を書いた人)の文章を読めば事足りてしまうじゃないか。さあどうしてくれよう。でもどうするかはもう誰でもわかってるはずだ。  権力を個人間のものとして措定したり、突然外からある図式をもってきて、何の説明もな

          日記126 権力論

          日記125 高校でふるい落としているだけ

           理系が足りない理系が足りない、もっと理系学問に興味関心をもってもらおう! という試みがあちらこちらで語られているけれども、理系が少ない理由は別にそこではないと思う。最大の原因は、僕の私見だと、高校数学でふるい落とされているからだと思う。  概ね偏差値70程度の母校で、理系5クラス/文系4クラスと、ここまであがれば理系のほうが多くなる。だが偏差値60強の高校になると、理系3クラス/文系6クラスになる。  ふつう偏差値60なら学力でいえば上位1/6にあたるので、相応に勉強ができ

          日記125 高校でふるい落としているだけ

          日記124 語らせろ!

           批判されたら「表現の自由の侵害だ」「発言するなってことですか!?」、誰かの発言や企画を批判したら「部外者がつべこべ言うな」「消費者/視聴者はそんなことに口を出すべきでない」「じゃあお前がやれ」とか言いだす御仁がけっこうあらせられるが、僕はそれはおかしいと思う。誰かが何かを発言したり表現したならば、それは当然論評の対象になるわけだし、そしてそれに対して何らかの意見を表明する権利は表現の自由として保障されているはずだ(もちろんそれに対する批判にも、表現の自由は適用されるだろうが

          日記124 語らせろ!