日記128 他人への怯懦

 やたらに告発と失脚を恐れるのは、負け続けたせいに相違あるまい。負け続けたといっても、成績的には多くの人よりは勝ってただろうし、キャリア的には(大学卒業までは)わりとトントン拍子に進んでいた。けれども、プライベートの面では、まともに何かを達成して、その標的に勝った記憶がない。ことごとくへし折られていた気分だ。
 とにかく口喧嘩には勝った記憶がない。おそらくこれが、現在の僕の心持の不安定さの根っこのような気がしてならない。そりゃ今では正確に伝えて相手と対話することに対して意味のないことくらいわかっているけれども、それを小学生にわかれったって、なかなか難しい相談である(ASD傾向があるならなおさらだ)。自分の意図と親の意図が食いちがえば、そこで僕はちがうよ、そうじゃないよこうだよと言うが、これがまずい。特に見解の相違があったときはなおさらまずい。このとき、親はだいたい僕の行動に不満を覚えているから、そこで相手を満足させない異論を出しても火に油を注ぐだけで、何の意味もないのである。それは絶対にちがうと言い張っても、相手はそうでないと気が収まらない。だからこちらが折れてそうです、と認めるまで終わらないのだ。この感覚がまだ尾を引いて、相手を怒らせたらその怒りの感情を満たさなければならないと思っていて、かつそれがいつ蒸し返されるかわからない。加えて、相手の満足が必要なので、たとい僕がどうなっても、相手は気分が満たされるのでその後は知ったこっちゃないと思われる。だから社会的に抹殺されるべきと相手が考えて僕を責め立てるとき、それへの反論は意味をなさないと感じている。だからこんなに他人からの悪意に怯えるのだ。

(2024.2.9)

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