日記138 自動筆記やってみる

 はじめに

 板橋区立美術館に行って、シュルレアリスムと日本展を見た。巌谷國士で予習はしたが、まだ所見の作品をそれに沿って解釈できる力はついていなかった。だが展示された作品は、コラージュとデペイズマンを半分ずつ混ぜたようなものが多く、自動筆記は(これが文学の実験の実践だからというのもあるが)まあ見られないし、それを踏まえたのも「無意識に迫る」といったものしかなかった。しかし、巌谷がいうには、自動筆記がシュルレアリスムのもっとも大事な点を明らかにしたという。それは「連続性」である。
 これがないと、シュルレアリスムは現実から離れ、ただの貴重な合成にしかならなかっただろう。そしてそこを回避せずむしろ進んで受け入れたからこそのシュルレアリスムの衝撃なのかもしれない。そして持ち込まれた日本で、シュルレアリスム運動はどう受け取られ、行動されたかを教える展示だった。
 この下につけたのは、自動筆記的に書いた文章である。スマホだし、変換しながらやった。しかも、変換ミスを修正している。だから純粋な自動筆記は全然ない。しかし、やりたかったものは仕方がないから、これで押し通すことにしよう。 

題:準用(500円均一リース用)

 月の光なかりせばセミの鳴き声聞こえない。しかし光は遠くに聞こえて音楽ばかりが波を打つ。とても三のせいにはしたくないし、足はとても痛いかもしれないが、怒りのような桃の木がとてもとても大きいのだ。我らの死体は塔を撃ちここの烏賊の矢は嫌な気分を催させる。ランドマークの地下に池がありそこにはネズミの姿でも大きな烏賊の手を形作る。ミミズはどこにもいないようだ。先端の奥に鹿の爪が灯りロンドを踊るようになる。

(2024.4.7)

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