日記135 社会は潜在的な敵ではないの?

 就職活動で、チームで何かをするときの質問をされ、なかなか面接官と話が噛みあわなかった。そんなにチームに対して楽観的で大丈夫か? 社会は何をしてくるかわからんぞ、いつでも他人を引きずり降ろして少しでも自分を有利にしようと虎視眈々と狙っているのに、と思っていたが、どうやら別にそう考えている人はそんなに多くないらしい。
 この世にはおそらく社会を潜在的な味方だと思っているタイプと、反対に敵だと思っているタイプがいて、前者は後者のことをまず理解はできないだろう。なぜなら前者のほうが明らかに社会に適応的であるし、それに後者との関係を見切れば、自分のもつ仮説を揺るがさなくても済む。だからはっきりいって、後者に歩み寄るメリットは特にないのである。しかし後者は後者で、必ずしも本人の責のみに帰せられるわけではない。生育環境とか金銭トラブルとかで、後天的にそういう考え方になる場合もあろう。誰しも幼いころは、両親ら周りの大人を無条件に信用していたはずで、それが諸々の事情で損なわれた結果の猜疑心だと僕は思う。しかしどんな事情があったとしても、かれに付き合わせられる周囲にとっては知ったことではないし、そんな苦労をかけてくるやつのことなど、慮りたくないのが心情だろう。それゆえ、そいつのことは放ったらかして誰かが矯正してくれることを祈りつつ、自分の世界から切り捨てる。
 そしてここまでに書いたことからおわかりのように、僕は後者側の人間である。はっきりした原因はわからないが、そのままでおったら社会でやってけないよ、とか社会は甘くない、とかあんたがよくても周りはよくない、とかを言われつづけて、ほなちょっとでも周囲にとって気に食わないことをすれば俺が周りの敵になり得るんかー、と思うようになり、自分が社会の敵になるかならないかは紙一重という感覚をもつようになったためだと思う。さすがにそんなに他人に敵愾心を持ちやすいわけではないと思いながらも、そうでない保証はどこにもなく、考えを改めるにいたっていないというところである。

 今日がアルバイトの最終出勤だったので、更新が途絶えがちになると思われます。

(2024.2.22)

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