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学校教育はやるべきことが多すぎる…

 学校教育の要になっている活動は授業です。

その授業も様々な制約ややらねばならないことが非常に多いです。

その結果、戦後から日本は一定水準以上の教育効果をあげることができたのでしょう。

しかし、やることが多いと教師にも子どもにもゆとりが生まれません。

かといっていきなり、ゆとりを持たせられる期間を作ったとしても、うまく活用する術を知らないので無駄に過ごしてしまいます。



授業で行うべきことが示されている学習指導要領はいい例です。

詰め込み過ぎ感が否めないです。

以前やっていたことは継続して、時代に合わせた能力を獲得するべく学習内容を追加し続けた結果、やるべきことに終われ、詰め込み教育になってしまっています。

文部科学省や教育委員会の人が参観に来られるときは、どの教員も求められている授業をしますから、その1時間のみで見たときにはいい感じに見えてしまいます。

しかし、年間を通した学習を見ていくと、本来思考力を働かせて行いたい単元もなくなく詰め込みの授業を行わなくてはならない状況になってしまっていることや、どこかでアクティブな活動を取り入れた際に、別のどこかにシワ寄せが来てしまう状況です。

1年間の指導を見ることは難しいですが、もう少しやるべきものとやらなくても良いものの区別をつけて欲しいと思います。

ただ、ここで問題になってくるのが定期テストや実力テスト、学力調査など、都道府県単位での試験や全国的な学習調査だと教科書の何ページまでが範囲となっていたりすることが一般的です。

つまり、教科書を指導したほうがテストの点数をとることができるということです。

なのに、文部科学省は主体的で対話的な深い学びをするように授業を仕組むことやICTの活用などを叫んでいるのです。

だったら、そういったスキルを身につけなければ解決できないような課題や問題を作成してそれをテストとすればいいのにと思ってしまいます。

例えば、中学校であれば科学の甲子園ジュニア、高校であれば科学の甲子園などが挙げられ、これらは未知の課題に対して少人数のグループで最適な答えを導くことを求めています。

今後はGIGAスクール構想でタブレットが1人1台導入されるので、Googleの様々な機能を用いて(ドキュメント・スライド・クラスルームなど)こういった授業で評価していくことが必要なのではないでしょうか。


しかし、評価の方法が結局4観点から3観点に変わろうが、大きな変容を遂げていないところを見ると、教科書を学ぶ方が成績に結びつきやすいのは変わらないのでしょう。

来年度から完全実施される学習指導要領も、前回の学習指導要領を大きく変化させるといったことはなく、一部分を改訂したにとどまっているところを見ると上記のように考えてしまいます。

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