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洗練された心の喜び -ルビッチのコメディの魅力


 
 
【木曜日は映画の日】
 
 
人の笑いに沢山の種類があるように、コメディ映画にも沢山の種類があります。
 
私は他愛もなく大笑いできる映画も好きですが、微笑を誘うような、ソフィスティケイト(洗練)されたコメディ映画も好きです。
 
エルンスト・ルビッチの映画はそんなソフィスティケイテッド・コメディの最高峰であり、微妙な心の動きが、見事に描かれた映画です。




エルンスト・ルビッチは、1892年ドイツのベルリン生まれ。演劇で頭角を現し、偉大な舞台演出家、マックス・ラインハルトの劇団で活躍します。
 

エルンスト・ルビッチ


映画界にも俳優として参加し、1914年には早くも自身の主演で短編を監督。その後、ポーラ・ネグリ主演作をヒットさせ、1919年の歴史大作『パッション』や1920年の『寵姫ズムルン』は国際的にヒット。
 
その後ハリウッドに招かれ、1924年、傑作コメディ『結婚哲学』を製作。小津安二郎やビリー・ワイルダーにも深く影響を与えます。
 
その後も、『生活の設計』や『生きるべきか死ぬべきか』、『天国は待ってくれる』等の洗練された傑作コメディを連発。しかし、1947年、心臓発作で55歳の若さで亡くなっています。




ルビッチ初期のドイツ時代の作品は、全て見ているわけではありませんが、なかなか泥臭い、工夫を凝らした面白い映画ばかりです。
 
それが、一気に変わったのは、『結婚哲学』から。

仲のいい夫婦と、倦怠期で別れる寸前の夫婦。その妻は、仲のいい夫婦の夫を誘惑し、夫の方は別れるための浮気の証拠を掴もうとします。
 

『結婚哲学』(1924年)
左:アドルフ・マンジュー
右:フローレンス・ヴィダー



かなり危うい状況のところを、微苦笑を誘う誤解とすれ違いで、ゆったりと描きます。そして、頻出するドアを開け閉めする動作。
 
どこか性的なニュアンスを含みつつも、ドアを律儀に開け閉めすることで、おかしみと、一定のリズムが生まれます。
 
彼らはまどろっこしくても、決してドアを蹴破ろうとはしない。ドアがうまく人物たちを隠して、想像の余地を残す。えげつない性的な状況に距離をとり、笑いに変えるのです。





ルビッチの映画では、三角関係が頻出します。しかし、(コメディなので)決して悲劇的な結果になることはありません。
 
どうやって悲劇を回避するのか。

それは、三人の愛の中に、二人の友情を挟むこと。
 
ルビッチの三角関係は、二人の男性(もしくは女性)が、一人の女性(もしくは男性)を、巡って争う作品が多いです。
 
しかし、争う二人の間にも、しっかりとした友情とお互いの尊重があり、絶望に落ち込まずに、前を向いて進み続けます。




例えば、『生活の設計』では、ミリアム・ホプキンズ演じる広告デザイナーを巡って、貧乏画家のゲーリー・クーパーと、貧乏劇作家のフレドリック・マーチが、競い合います。

 

『生活の設計』(1933年)
左:ゲーリー・クーパー
中央:フレドリック・マーチ
右:ミリアム・ホプキンズ


彼らが世の中に認められる過程と、二人の間をホプキンズが行き来するさまが、ヴィヴィッドに描かれる傑作。
 
クーパーとマーチは、お互いに憤ることがあっても、相手を認めていて、同時に、どうしようもなく揺れ動くホプキンズを責めたりしない。
 
そんな二人が再び手を組んで、ホプキンズを迎える、その微笑を誘う展開とラストは、とても美しい。
 
そう思えるのは、どれ程悲劇的な状況に陥っても、人は信頼によって、悲劇を喜劇に変えることができるということを、私たちに教えてくれるからかもしれません。


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ルビッチの描く三角関係では、追われる一人よりも、追う二人の方が、魅力的に見えることがあります。
 
追われる側が、モーリス・シュヴァリエやマレーネ・ディードリッヒのような大スターの場合でも同じ。

洗練された愛とは、友情と信頼が複雑に組み合わさって成り立っているからこそ、魅力的に感じるということなのだと思います。




そんな洗練が最高度に凝縮されたのが『極楽特急』でしょう。

恋仲の男女の怪盗(!)が組んで、美人の女性社長を騙そうとするも、男と社長が恋に落ちて・・・という傑作コメディ。


『極楽特急』(1932年)
左:ハーバート・マーシャル
右:ケイ・フランシス


ここでは信頼と仕事、愛情が絶妙な揺らぎを見せます。「二人の友情」が三人の間でくるくると変わる、その語り口はまさに名人芸。
 
と同時に、社長を演じるケイ・フランシスの艶やかなのに、どこか寂し気な笑顔が、ほんのりと哀愁を誘います。
 
それは、愛情や友情の輪から切り離されて、年老いていく人間の憂鬱でもある。
 
『桃色の店』でも、自殺寸前までの絶望を描いたように、友情から取り残された人々への眼差しも、ルビッチは持っていました。洗練だけでは、どうしようもないものも、世の中にはあります。

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そうした諸々を合わせた集大成が、後期の名作『天国は待ってくれる』でしょう。


『天国は待ってくれる』(1943年)
左:ドン・アメチー
右:ジーン・ティアニー


 
死んで閻魔様の前に出て、男が自分の人生を回想します。お金持ちの家に生まれたこと、華やかな女性関係と、本当に信頼できる妻との長年の夫婦生活について。

口達者な遊び人だけど憎めない男には、皮肉屋のお祖父さんが、友人のように寄り添って、夫婦の危機を助けたりしてくれます。
 
そんな男が年をとって突き付けられる老いの残酷さ。そして、それでもお互い変わらない妻との信頼。
 
友情と愛情、相手を信頼することが、どんな場所に私たちを連れていくのか、美しいダンスが示してくれます。

早すぎた晩年を見据えたかのような、ルビッチが辿り着いた、至高の境地です。




人生が悲劇でなく喜劇であることを、笑い飛ばすのではなく、人を信頼しながら、微笑と共に受け入れること。
 
それこそが、洗練されて優雅に生きるということであり、一つの幸福な喜びでしょう。

ルビッチの映画は、そんな洗練と喜びの美しい発露です。是非、一度ご覧になっていただければと思います。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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