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大気を味わう映画 -名作『木靴の樹』の豊かさ


 
【木曜日は映画の日】
 
 
私は、様々な要素が込められた「大きな作品」が好きです。『戦争と平和』や、『白鯨』のように、一見とりとめのないエピソードが続いても、やがてそれが積み重なって大きなうねりを生むような作品。
 
映画では、エルマンノ・オルミのイタリア映画『木靴の樹』が、そんな作品の一つです。北イタリアの農民を捉えたこの大作映画は、細かいエピソードの積み重ねで、物語以上の、その空気感を感じさせるような映画となっています。






エルマンノ・オルミは、1931年、イタリアのベルガモ生まれ。両親は熱心なカトリック教徒の元農民でした。小さい頃ミラノに移住しています。


エルマンノ・オルミ


第二次大戦後、1949年に、電力会社エディソンヴォルタ社に就職。イタリアのネオレアリズモ映画に感銘を受けたオルミは、会社の中に映画部を創り、中・短編の産業PR映画・テレビドラマ・ドキュメンタリーを、40本ほど製作しています。
 
1959年に、エディソンヴォルタ社製作で、長編第一作『時は止まりぬ』を発表。雪深いダムを舞台に、若者と老人の男が、段々と心を通わせていくこの作品は、元々は、ダムに勤務する会社の守衛たちのドキュメンタリーでした。
 
この作品で注目を浴び、ヌーヴェルヴァーグ的な瑞々しい2作目『就職』や、前衛的な傑作『婚約者たち』のような都会のミラノを舞台にした作品も高い評価を受けます。
 
『木靴の樹』は、1978年の長篇10作目、187分の大作です。カンヌ映画祭で最高賞のパルムドールを受賞しています。





映画の舞台は19世紀末の北イタリア、オルミの故郷ベルガモ。

鄙びた農場に4つの農民の家族が暮らしています。地主の横暴さに耐えつつ、農作業をして、夜はみんなで集まって楽しい話をしたりして、過ごしています。
 
映画は、基本的には、この家族たちのエピソードを追っていきます。子供を学校に行かせるか教会の神父と話したり、トマトを垣根に植えたり、集会に行ってなぜか金貨を見つけたり。
 


どこかとりとめのないエピソードの集積の中から、彼らの生きている息遣いが伝わってきます。
 
出演者の殆どが、素人の、本物の農民です。派手な照明はなく、昼は自然光と、夜は蝋燭の灯のみによってとらえられます。

16ミリフィルムのざらついた質感により、時折どこか宗教画のような、敬虔な空気が出てくるところがあります。音楽はバッハのコラールのみというのも、そんな空気を強調しています。





私が好きなのは、若者の結婚のエピソードです。
 
紡績工場に勤めている娘が、ある青年に送られて農場に帰ってきます。二人は交際を認められるようになり、結婚式を挙げます。
 
二人は、小さな貨物船のような舟に乗り、他の農民たちと一緒に、川を下って、ミラノに向かいます。

 


緑繁れる麗らかな陽気の中、静かに滑るように船が進んでいくこの場面は、堪えようもなく美しい。見る度に、私は幸せな気分になります。
 
寡黙な二人は殆ど言葉を交わしません。ただ交わし合う目線で信頼が分かり、人々の中で生きる喜びが伝わってくるのです。

 


ミラノでは、ストライキする労働者と、それと対立する警官隊の争いに巻き込まれたりします。

街路や、修道院の廊下を二人で歩く場面は、昔の絵画を見ているような、お伽噺のような幻想味を帯びています。
 
それゆえ、農民のドキュメンタリーのようなリアルな他のパートも輝いてくるのです。




この若い夫婦の、唐突感あるエピソードが挟まれるのは、元々この映画が、3話のテレビドラマシリーズとして企画されていた、ということによるものでしょう。
 
つまり、第1話で農民たち全体を説明。第2話で、結婚のエピソードを含めて、少しそこを離れ、第3話でタイトルにもなった「木靴」エピソードで締める、というような。
 
と同時に、実はこの作品の基調にあるのは、「テレビ的」な手法です。
 
例えば、娘と青年が川沿いの野原で出会う場面で、娘の台詞が、娘の顔とは別の映像にヴォイスオーバーで被さったりする。
 
これは、演技力に限界のある素人の出演者のために、いい意味でごまかして、自然に見えるように繋げる手法のように思えます。また、窓越しの覗き見のようなアングルもあります。
 
オルミが伝統的な撮影所出身で、役者の芝居にこだわる人ならこんなことをしないはず。

ゼロから自分で映画を作ることを決め、本物の労働者や農民を捉えるため、不完全な素材と格闘しながら作品を残してきたオルミだからこその、柔軟な方法なのでしょう。
 
現在のテレビ的という言葉のイメージはさておき、映画の撮影所から解放されて、街路や農村にカメラを持ち出せるようになった時代の、喜びと野心が伝わってくるようです。





オルミが最終的にテレビドラマシリーズではなく、全てをまとめ、3時間の大作映画にしたのは、素晴らしい判断だったと思います。
 
私が最初に挙げた「大きな作品」は、しばしば多くの雑多なエピソードを含んで、繋がりが緩くなります。しかも、一個一個は結構単純な話のため、ドラマチックな緊張感がなくなることもあります。それは『木靴の樹』も同じです。
 
しかし、それゆえに、ドラマを気にせずに、場面の空気を味わうことができる。
 
川に降り注ぐ陽光、霧深い朝、雨にぬかるむ道、蝋燭の炎でどこか暖かい夜闇。
 
こうした大気の様相がフィルムに刻まれて、私たちはそれを浴びて感じます。ドラマの中に没入して我を失うのではなく、私たちの世界がこれほどまでに豊かなことを再発見するのです。

「大きな作品」だからこそ、そんな体験が得られる。それが、私が『木靴の樹』や、その他の「大きな作品」を好きな理由です。





私たちが、自分とは関係のない時代や国の作品から喜びを得るのは、時代や場所の違いを超えて、世界の根源にある美しさや豊かさを体感する時なのかもしれません。
 
『木靴の樹』は、そんな作品の中でも、最上級の美しさをもって私たちを包む作品です。是非、その世界を一度体験いたただければと思います。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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