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軽やかでたくましいヒロイン -徳田秋声『あらくれ』の魅力

古典と呼ばれるものは、レッテルに囚われずに鑑賞すると、思いもがけず楽しめたりします。レッテルを貼られた当時と現代で、受け手の感覚が異なっているからです。
 
徳田秋声の『あらくれ』は、ヒロインのお島の魅力とその描写によって、ぐいぐいと読ませる作品です。お堅い自然主義文学と呼ばれていますが、どうして、今読んでみると、これほど活気のある面白い小説はないと思えてきます。



徳田秋声は、1872年石川県生まれの小説家。尾崎紅葉門下ですが、紅葉や、同郷で同門の泉鏡花の華麗な作風に比べると、どこか武骨な印象を与える作家です。

徳田秋声


 
『新世帯』で、地位を確立した後、自分の生活を題材にした『黴』や遊女をモデルにした『爛』といった小説で、自然主義文学の代表的な作家と見なされます。
 
日本文学における自然主義とは、実のところ説明が難しいのですが、苦悩している生活を、できる限り突き放して書いた作品、くらいに考えてよいと思います。

田山花袋の『蒲団』や、島崎藤村の一連の作品等、当時の眼では非常に露骨で、センセーショナルな作品に思えたのですが、今読むと、割合まっとうな小説に思えます。
 
1915年の秋声の『あらくれ』は、そんな自然主義文学の代表作の一つ。同時に、どこかその中から浮いてもいる、不思議な魅力の作品です。


 
『あらくれ』のヒロインお島は、男嫌いで、養女として育てられている家族ともうまくいっていない女性です。

結婚を勧められては拒否し、別の人と結婚したと思っては出奔し、また別の男と関係を持ったり、と奔放な生活を送ります。そんな彼女の流転の日々が、客観的な3人称の描写で淡々と綴られていきます。
 
とにかく、ヒロインのせわしなさが、この作品の魅力です。一つの場所にじっとしていられず、ことごとく養父母につっかかり、夫の浮気に怒り狂って、相手の家に乗り込んでいく。作者はそんなヒロインを善悪を持って裁いたりせず、淡々と描写します。

映画版『あらくれ」ポスター


面白いのは、お島は、空気が読めず、衝動的で怒りの沸点が低く、男を見る目があまりないということ。人を小馬鹿にしては失敗して、すぐイライラして、と割りに性格に難があるヒロインなのです。
 
読者が自己投影しやすいかというとそうではない。それゆえに描写が客観的に見えてしまうところがあります。自然主義文学の主人公が難ありばかりなのは、そうした方が、読者を突き放して、何か人生は難しいという印象を与えるためでは、とも思えてきます。
 
と同時に、この作品は他の自然主義文学にはあまり見られない側面があります。それは、ヒロインが独立して商売を始めることです。



 
お島は、最初は工場でミシンを使って衣服を仕立てていたのが、自分で注文を取ろうと、洋服屋を始めます。この後半の展開が実に楽しいのです。
 
職人を雇い、自分で得意先に回り、三人目の夫の尻を叩いて、失敗しては建て直し、養父母の家に帰りたくないというその衝動に突き動かされるように、自分の力で生計を立てていく。

帰るときには、お島のいらいらした感情が、すっかり和められていた。そして明日から又初めての仕事に働くと云うことが、何かなし彼女の矜を唆った。
「こうしてはいられない」
彼女の心にはまた新しい弾力が与えられた。

原文ママ


正直わたしは、惚れたはれたの部分より、こうした、自営業者としての苦闘の部分に興味を惹かれます。当時の家父長制から見れば、お島は異端の存在です。それゆえに作中でも当時の読者にも色物で見られている。しかし、現代から見れば、アパレルで独立してもがいて試行錯誤する、立派な実業家です。
 
また、これは日露戦争後の活気と希望に満ちた時代の描写でもあります。そんな浮かれた空気に押されるかのように、彼女は留まることをしりません。そんな活発な部分が一番美しく結実しているのは、お島が、外回りのための自転車を練習する場面でしょう。

「少しくらい体を傷めたって、介意うもんですか。私たちは何か異ったことをしなければ、とても女で売出せやしませんよ」
 
お島はそう言って、またハンドルに掴まった。朝はやく、彼女は独でそこへ乗出して行くほど、手があがって来た。そして濛靄の顔にかかるような木蔭を、そっちこっち乗りまわした。

秋らしい風が裾に孕んで、草の実が淡青く白い地についた。崖のうえの垣根から、書生や女たちの、不思議そうに覗いている顔が見えたりした。土堤の小径から、子供たちの投げる小石が、草のなかに落ちたりした。

原文ママ


まさにヒロインが駆け抜けるに従って、景色は色づき、人々が活発になっていく。全編の見事な象徴になっています。



 
秋声の小説は、文体自体は特殊ではなく、現代でも読みやすいのですが、不思議な書き方をしています。
 
まず章の冒頭で、ぽん、と一言で状況が説明されます。そして、次の文で、その状況に至るまでの説明がなされ、その冒頭を追い越すかのように、いつのまにかストーリーが進んでいく。この繰り返しです。この小説のように新聞連載の場合は、余計顕著になります。
 
それゆえ、他の作品だと、分かりやすいはずなのに、時制が異様に錯綜して、昏く重たい感触をもたらす場合もあります(そこも面白いのですが)。
 
しかし、『あらくれ』の場合、じっとしていられないヒロインにひきずられるかのように、描写もまた軽快に進んでいきます。他の秋声の作品にはない風通しのよさがあるのです。
 
段々とお島の洋服屋が安定するにしたがって、細部の描写がどんどん膨らんできます。そして、幽玄な空気が作品の中に立ち込めていく。ラストは、まるで闇で輝く金箔の屏風絵のように、どこか凄みを帯びた妖しい艶やかさで、ふっと切れます。充実した、驚くべき美しさの作品です。


 
秋声の作品は、初期だけでなく後期にも、『仮装人物』、『縮図』といった、また違った味わいの名作があります。そんな中で、『あらくれ』は、読みやすく、たくましいヒロインが軽快に引っ張る面白い小説です。是非一度、その作品世界を堪能していただければと思います。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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